第三章
戦士の覚悟(前編)
「そ、それは……まさか。お人が変わられたと思いはしましたが、そんなことがあったとは……!」
「驚かないのか? それに、敵意もない」
ヘラクスは自分の正体を告げても、何一つ変化のない手下たちの様子を見て困惑を隠せなかった。すると、手下のうちの一人が口を開く。
「ええ、それは勿論。驚いてはいますが……今まで話をしていた方が違っていたのなら、今更という気もします。それに……」
「それに?」
「ゼアカ様……いっそこの際なので、ヘラクス様と呼びましょうか。ヘラクス様は殻人族に対する仲間意識を持ち併せていないようですからね。おそらくそれは、我々にとっても……ですが」
その手下は見抜いていた。ヘラクスの自分たちを見る目が仲間意識とはまったく異なる興味であることに。それが少し残念なことと思いながら、その手下はヘラクスに向かって尋ねた。
「ヘラクス様、あなたは……何をそんなに探しているのですか?」
「探している……? ああ、確かに俺は探しているな。かつての自分が何故、あのような姿をしていたのか。その真実を探している……!」
ヘラクスは妙に納得したかのように頷くと、自分の探し求めているもの──殻人族の真実について話す。ヘラクスにとっては、『そのためならば殺害をも厭わない』とそのように考えていた。
──それこそが『災厄』たる所以。
「お前の名前は何だ?」
「ええと、私の名前ですか?」
「そうだ」
ヘラクスは今さっきまで話をしていた手下の一人、その名を尋ねる。
「は、はい……。私の名前は、イロハと言います。身体は灰色ですが、何故か『イロ』という言葉がはいっているのです」
そう言いながらイロハは自分の身体──灰色で無機質な甲殻類の身体をヘラクスに見せた。その後、ヘラクスの前で一礼してすぐに引き下がろうとしたその時、
「なるほどな、それは不思議な話だ……! 実際に調べてみたいところだが、それはできなさそうだな。調べる手段もなければ、文献もない」
文献、地上世界では木の皮を紙として用い、炭で文字を書くのが普通のことであるが、地底世界だとそう上手くはいかない。そこで地底に生きる殻人族や殻魔族たちは粘土質の土を固めて、それを凹ませることで文字を記す。
現実的な話、人の名前について文献を残す者が存在しただろうか。
否、今までにそのような文献を記した者は誰一人としていない。唯一知っているとしたら、それは親なのだろう。だからヘラクスは調べる手段もない、と答えた。
「ヘラクス様は一体どうしてそこまで真実を探し求めているんですか?」
「今の俺も、かつての俺も、姿はよく似ているが、祖先と言われている昆虫とは似てもつかない。だから気になるんだ……!」
ヘラクスは昔から、そして今でもこのことを考え続けている。気になることはすべて、知識欲として蓄積されるヘラクスの
***
そして、事態は動き出す。
数日後になって『日食魔蟲』ヘラクスが行動を開始したのだ。ヘラクスはいくつかの手下──蜘蛛たちを連れて殻人族の集落へと向かう。そしてその情報は、当然のように殻人族たちにも伝わっていた。
殻魔族が動き出した、というニュアンスで。
「どうするか。また、やつらが動き出したっていうのかよ……!」
マルスは難しい顔をしながら唸る。
殻魔族を率いているのはかの災厄、『日食魔蟲』ヘラクス。このことだけは伝わってはいなかった。
しかし、彼らが再び動き出したという時点で既に大問題なのだ。それを率いるのがヘラクスだと分かれば、更なる混乱は必至だろう。
「こっちには、地上のやつらも来ちまってる。地上のやつらに、アトラスの友達に戦わせる訳にはいかない……!」
そうなのだ。
マルスはアトラスの友人──ヒメカ、ギンヤ、キマリの三人には戦わせたくなかったのである。
上も下も、左右も囲っているのはすべて土。そんな彼らにとっては未知の場所で、ましてや自分たちの敵と戦わせることはさせたくなかった。
(せめて地上で戦えれば、やりようがあるんだけどな……!)
加えて説明すれば、下手をしてこの地底世界が崩落してしまうという可能性もなくはない。そうなってしまえば、地上世界のほうも全てが崩れ落ちる未来が待ち受けている。
「どうすれば。いや、やはり──」
今のところ地上へ誘導する手段もなく、残された手段──否、一番無難な答えが『地上の民を巻き込まない』ということだった。
「父さん! 俺も戦う!」
「そうか、それはありがたい。今のところ俺たちだけじゃかなりジリ貧だったんだよな。だから……助かるぞ、アトラス!」
「うん!」
──アトラスを守るために……そのためなら、この身を棄て去ってもいい。
そんな想いがマルスの頭を過ぎったが、首を振ってそれをふりほどく。するとマルスは、ニカッと大きな笑みを浮かべる。
(でも、あの様子のアトラスを見るに……そんな心配も要らなそうだな……!)
マルスは今のアトラスを見て、そんなことを思うのだった。
***
──ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ!
そんな叫び声も誰かへ届くこともなく、ただただ無慈悲に殺されていく。同時にその凄惨な光景が誰かへ伝わることもない。なぜならそれは、既に死んでいるからだ。
殻魔族の侵攻について、次々にマルスのもとへ情報が伝わってきている。しかし、これといって今、どこにいるのか──彼らの位置は一向につかめない。
その理由は伝わってくる情報がどれも共通して『気がつけば何もかもが消えていた』という襲撃後の情報だけ。そのため相手側の力量についてなどの把握が困難な状況にあった。
(なんで、姿すらも目撃情報がないんだ……? それに、消えるとは一体なんなんだ!?)
マルスは未知を見たかのような、そんな表情で唸る。そして、歯を食いしばった。
「くそっ! 姿も見えないなんて、どういうことだよ……っ!!」
洞窟となっている通路の壁をマルスは殴りつける。たった一度だけ殴り、すぐに膝をつく。
マルスのどうしようもないくやしさが行動に現れている。しかし、殴り続けてしまえば壁は崩落してしまうかもしれない。
そのもどかしさが、余計にマルスを苦しめた。
「なあ、エルファス……今、地底で何が起こってるんだと思う?」
「っ!? 俺にも、わからない……。申し訳ないが、わからない」
同意を求めるような、縋るような、そんな悲しい表情でマルスはエルファスに言葉を投げつける。エルファスも襲撃の真相について考えてはいるが、やはり見当もつかない。
そしてエルファスは疑問をそのまま返すような形で返答をした。
「やっぱり、答えを探すのは難しそうか……! よし、エルファス……俺だけで先行するのはどうだ?」
考えた末の手段がこれだ。エルファスはその身を危険にさらすような捨て身の手段について反論する。
──スタスタと近づいて、マルスの胸ぐらを掴みながら。
「だめだ! それだけは……マルス、お前の気持ちもわかるがな、もっとアトラスのことも考えてやれ! 自分の守るべきものはなんだ!? もう一度考え直してみろ!」
エルファスに持ち上げられたマルスは暗い光を瞳に宿らせながら、顔を下へ俯かせた。
実際のところ、マルス自身もわかってはいるのだろう。
でも、そうせざるを得ない状況や、長く続く戦いで心も疲弊していて、まともな考えを持つことも難しかったのかもしれない。
マルスは暗い表情で、エルファスは現状どうにもならないマルスの本心に、手を震わせて力を抜く。
マルスは自重に従うように、再び地面に崩れ落ちた。そしてエルファスはマルスから背を向けて、遠ざかっていく。
「俺だってな……考えてるんだよ。マルス、お前を復活させる方法を……!」
そうして自分のやるべきこと、それに気がついたエルファスは、
「マルス、俺は少し……襲撃のあった場所を見てくる」
「……そうか」
背を向けたエルファスの声にマルスは淡々と答えた。
先程から続くもどかしさが自分をみじめな気分にさせてくれる。マルスはそれがたまらなく嫌でとても不機嫌だ。
「とにかく! 俺は行ってくるからな。お前は
最後にそれだけ伝えると、エルファスは地底の村を飛び出した。
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