第二章

地底の子ら

『やっと着いたーっ!!』


 アトラスたちは遂に、元々いた場所──『ブルメの森』へ帰ってきた。今アトラスたちがいるのは集落の外側なので、木々は乱雑に生い茂っている──植物にとってはある意味、弱肉強食の世界。陽の光を求めて植物たちが争うような場所。

 アトラスたちはこの木々の中をくぐり抜け、最奥部の集落へと向かう。

 幹や枝に絡みつく蔦が垂れ下がり、それらが頭や頬に触れると何とも気持ちが悪くなる。そんな感情を押し殺してアトラスたちは鬱蒼とした森を抜けた。

 やがて、森の最奥──新しくなった学び舎へ辿り着く。


「待っていましたよ、皆さん。思ったよりも大変だったようですね……」


 目の前にいるのは『ブルメの森』の学校長であり、この森の頂点に立つ【殻人族】の女性。髪は赤みがかった長い金髪。透明な翅と、その根元には前翅の名残。祖先の影響なのかは分からないが、前翅の名残の色は山吹色だ。


「メイスター学校長、ただいま戻りました」


 メアレーシは帰ってきたことを、そのように伝えた。メイスターは長い金髪を風とともに後ろへ靡かせて、メアレーシのもとへ近づいていくと、


「メアレーシ先生、引率お疲れ様でした。それでは、新しいなった校舎を見てもらいましょうか」


 メイスターは生徒たちのほうを振り向いて、ニッコリと笑うとそのまま校舎のある方角へ歩き出す。

 そして新しくなった校舎を一言で表すと、森のアスレチックと言うべきだろう。


『うおぉぉぉ!』


 生徒たちが驚くのも無理はないほどに、それは大きな変貌を遂げていた。今までの校舎のように、大樹の中をくり抜いてあるのは勿論、更に増えた部分がある。

 これは増築と表現してよいのだろうか。コーカスとの戦いで欠損してしまった外壁などの一部が穴の空いたままとなっている。そこから大樹の幹に沿ってにらせん状の階段が追加されていた。

 階段は上の階を繋ぎ、階段は大樹から何本も突き出した枝によって形づくられている。


「生徒たちに驚いてもらえて嬉しいですよ。私も頑張った甲斐がありましたから……!」


 メイスターはそう言うが、メイスターの嬉しそうな顔の裏には、どこか気疲れのようなものが見え隠れしているようだ。

 その理由は──


「うおおおおおお!! この階段面白ぇ!」

『違うでしょケタルス! 私たちの目的を忘れたの?』

「いや、兄ちゃんを探すのはわかってるけど……」


 三人の小さな少女と一人の小さな少年が何やら言い合いをしている。その会話内容から、『お兄ちゃん』と呼ばれている誰かを探しているようだ。


「はあ……大人しくしていて下さいよぉ。いくら師匠の関係者だからといっても、まだ子供じゃないですかぁ!」


 メイスターは天に叫ぶ。メイスターの師匠だという者が知り合いの子供を預けたらしい。この時点で疑問点しか存在しない。

 メイスターだけでなく、それを聞いていた皆が訝しげな顔をしている。


「え、ええと……まあ、ちょっとした知り合いの知り合いが訪ねてきていますが、お気になさらず……」

(それって最早、他人じゃないの!?)


 メイスターの知り合いの知り合い──つまりその者たちはメイスターの赤の他人ではないかとアトラスは咄嗟に思った。それは口に出さずにアトラスは、僅かに聞こえてくる子供たちの声を聞いて、はっと目を見開く。


(あれ……? この声ってもしかして!)


 アトラスは校舎のもとへ走り出す。階段を猛ダッシュで登っている少年の姿を見つけた瞬間、アトラスはその少年の名前を呼んだ。


「……ケタルス! どうしてここにいるの!?」

「あ、兄ちゃん!」

『お兄ちゃん!?』


 その場にいたメイスターを含め、傍観していた全員が素っ頓狂な声をあげたのは言うまでもないだろう。


「え!? ち、ちょっと! お、お兄ちゃんってどういうこと!? アトラスって、弟いたの!?」


 ヒメカはかなり取り乱しているようだ。今までアトラスから弟の話など、一度たりとも聞いたことがなかったからだ。アトラスは少しバツが悪そうな表情をすると、輝くような笑顔を見せる。しかし、口から言葉が一つも出てこないので誤魔化しであることは一目瞭然。


「あ! いたいた!」

「うん! いたね!」

「本当だ! アトラスお兄ちゃんだ!」


 ケタルスに続いてラミニ、ルミニ、ヨーロが後を追いかける。

 ケタルスは褐色の髪の少年で、ラミニとルミニは双子の姉妹、そしてヨーロは彼らと同い年の少女。

 ラミニとルミニは同じ栗色の髪を持ち、容姿はかなり似ている。相違点を挙げるならば、それは瞳の色だ。ラミニは赤色の瞳で、ルミニは青色の瞳をそれぞれ持っている。

 そんな中、四人のちびっ子たちはアトラスのもとへ駆け寄ると、腕に掴まってぶら下がったり、脚に抱きついたり。

 あまりにも突然のこと過ぎて、ヒメカやキマリ、ギンヤ、そして他の大勢は唖然とした表情をしている。特に、ヒメカは引き攣った笑みを浮かべてアトラスのほうを見ていた。否、睨むといったほうが近いかもしれない。


「え、ええと……? 貴方は確か……編入生のアトラス君よね?」


 メイスター学校長は目をぱちくりさせながらアトラスの顔とちびっ子たちの顔を交互に見て尋ねた。


「そ、それじゃあ貴方はもしかして……地底の出身?」

「な、なんでそれを!?」


 アトラスは目を見開いてメイスターのほうを凝視する。今まで周囲の友達から散々『笑えない冗談』であると思われてきたために、地底に生きる殻人族の存在を知る者がいることに驚きを隠せない。

 メイスターはちびっ子たちが『師匠』なるものからの伝言を受け取る時に、何故ちびっ子を寄越したのか、それだけが甚だ疑問だった。


「アトラス君……本当に良ければでいいから、両親のことについて教えてくれないかしら?」

「俺の両親ですか? 一体どうして」

「もしかしたら、私の知っている人かもしれませんからね。できれば教えてほしいのです」


 アトラスは困惑したように頭を掻くと、しばらくして自分と自分の両親について話し始めた。


「俺の名前はアトラスで、母さんの名前はシロナです。そして父さんの名前が──」

「ごくり……っ」


 誰かの唾を飲み込む音がする。


「父さんの名前は、マルスです」

「はぁ、やっぱりね」

「やっぱり?」


 メイスターは腑に落ちたといったようにほっと息をつく。しかし、アトラスにとっては何が何だか全くわからない。


「えっと、どういうことですか?」


 アトラスは思わずメイスターに質問で返した。父親であるマルスとメイスターの間に何か関係があったのだろうか、メイスターは指を顎に当てて思考を巡らせている。


「貴方の父親のマルスは……私の師匠なのよ。道理で最初の決闘の時、既視感があった訳だわ!」

「えっ!? 父さんが!?」


 メイスターは少し弾んだ声でそう返す。ヒメカとアトラスが決闘することになったとき、メイスターも決闘の一部始終を見ていた。だからとても納得した様子だった。

 アトラスは驚いたまま動かない。やがて深呼吸をすると、シロナのことも知っているのか、あまり関係のないことに思考がシフトしていた。


 ──クイクイ。


 誰かが制服の裾を掴んで、アトラスは下へ顔を向ける。


「どうしたのラミニ?」

「お兄ちゃん、それよりも……マルスさんからお兄ちゃんにも伝言があって」


 ラミニはマルスからの伝言をその場でアトラスへ伝えた。マルスの伝言ようけんは、


 ──地底に帰ってきてくれ。とても重要な話がある。拒否権はない。今すぐに戻って来い。


 ただこれだけ。これだけが、マルスからの伝言だった。


「は? はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 両手で頭を抱えて、アトラスは天に大きく叫ぶ。その心の内は、突然過ぎる帰郷の命令にどのような意図なのかわからない、そんな複雑な心境だった。

 でもおかしなことに、マルスの伝言にしては冷淡なもので、どこか威圧感を感じるくらいだ。



 ***



「ねぇ、アトラス……地底出身というのは本当のことだったのね」


 ヒメカは少し遠くから眺めながら、そう呟く。

 ヒメカは未だに信じられないようだが、それでも目の前の光景を見て事実であることを知る。その隣では、ギンヤとキマリが口をぱくぱくとさせて驚いていた。二人も以前に『笑えない冗談』として済ませていたので、驚きはより一層大きいものだ。


『っ……!?』


 視線を向ければ、ラミニから伝言を受け取ったアトラスが突然、絶叫をあげている。


「ち、地底に帰らないといけないの!? そんな、どうして……!」


 アトラスは手を震わせながら、地面に膝をついた。いくら父親であるマルスの伝言めいれいだからとはいえ、その伝言を受け入れるかどうか、決心がつけられない。

 今、アトラスの心の中は幼い子供のような、どこかへ出かけたときに『帰りたくない』と駄々をこねるような、そんな状況にあった。


 つまりアトラスは、せっかくできた仲間や友達、それらの存在があったために離れ離れになることが嫌なのだ。

 地底に帰ってしまば二度と会えなくなる。


「どうしよう……! 俺は、帰らないといけないのか」


 帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない──アトラスはそう、思うことしかできない。父親が言うように、アトラスには拒否権は存在しないのだ。


「アトラス君、どうしてそんなに帰りたくないのかしら? 理由を教えてくれない?」


 アトラスは少し迷う様子を見せてから、すぐに頷くとその理由について話し始めた。



 ***



「なるほど、そういうことなのね……! いいじゃない、青春してるわね!!」

「え、えっと……?」


 アトラスは自分の思うところについて一通りメイスターだけに伝えると、メイスターはニヤリと笑ってアトラスの肩に手をぽんと置いてみせる。


「まあ、本当はこれから試験があるんだけど……内容が内容だし、試験は今ここでやってしまいましょうか! だから少しの間、ここに留まってくれないかしら?」


 メイスターはニヤリとした笑いから一変して朗らかに笑うと、アトラスにそっと耳打ちをした。


 ──ねえアトラス君、折角だからあの三人を地底に連れていくといいわ。別に師匠……いや、マルスさんから同伴が駄目だとは言われていないんでしょう?


 アトラスに向けて放たれたその言葉は悪戯を企むかのような、メイスターの思惑が含まれている。それこそ師匠に対する小さな反抗というべきか、ちょっとした意趣返しのようにも思えた。


「どうする? 連れていってみたらどうかしら?」

「わかりました。連れていけるのなら、連れていきたいです!」

「そう、わかったわ」


 アトラスはヒメカ、キマリ、ギンヤのもとへ近寄って早速、伝えたい要件を話し始める。


「ねえ三人とも──」

『……ん?』


 ヒメカ、キマリ、ギンヤの三人は揃って首を傾げた。しかし、三人ともなんとなく想像がついているのか、少し楽しそうな様子だ。その証拠に皆揃って目を爛々と輝かせている。


「ええと、俺……地底に帰らなきゃいけないんだ。そのときに一緒について来てくれないかな? もしかしたら、ここに戻ってこれないかもだけど……」


 アトラスは自分の気持ちと、地底に向かうことについてのリスクを伝えると、一度だけため息をついた。


「うーん、どうだろうな? 本当に戻って来れないのか?」


 ギンヤは思わずアトラスに尋ねる。しかし、アトラスは首を横に振って、


「父さんの伝言には『拒否権がない』と言っているみたいだから、俺を帰らせる大事な理由があるんだと思う……。でも、皆と離れ離れになるのもなんだかちょっとね」

「なるほど。わかった、行く」

「結論が早すぎねぇか!?」


 キマリの英断にギンヤは即、ツッコミを入れた。


「なに? ギンヤはやっぱりビビりすぎ」

「はあぁぁぁぁぁ!? お、俺だってついて行こうと思えば行けるしっ!!」

「……フッ!」

「本当にお前はなんなんだキマリ!?」


 ギンヤとキマリがいつも通りの喧嘩をしている中、ヒメカはしばらく考え込んで、やがて自分の胸の前で両手を組むと、視線をアトラスへ向ける。


「私は……ついて行きたいわ。ううん、何がなんでもついて行くわっ!!」


 ヒメカもいつも通りの通常運転であった。

 そんな恵まれた友人たちの存在を改めて感じて、アトラスはいつまでもこの関係つながりを大事にしたいと思うのだ。

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