無力なアトラス(前編)
「…………」
槍がかすめた後、ディラリスの頬には一筋の黄緑色の傷があった。傷からは血が滴り落ちて、その一粒が地面を湿らせる。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
アトラスも粗い呼吸を繰り返して、膝で重い両腕を支えていた。その顔には怒りと焦りが映る。
「まさか、怒りをバネにしてしまうとはね……。今度こそ、良い意味で予想外だった。完敗だよ、アトラス君……」
ディラリスはそのようにアトラスを賞賛するが、アトラスはディラリスの侮辱に納得しているはずもなかった。
「えっと、あの……一度でいいので、謝罪をしてください」
「……わかった。君たちを侮辱してすまなかった。本当に申し訳ない」
ディラリスはアトラスへ視線を向けて一度だけ身体を前へ傾けて、上体を起こす。それからディラリスは皆のほうを向いて、次の説明を始めた。
「それじゃあ皆に注意云々の話じゃなくて、実際の戦闘について話をしようか」
『わかりました』
ディラリスは手を二度叩いて注目を集めると、声を張り上げて、
「戦闘について、型だとか形から入る者もいるかもしれないから、先に伝えておこう。戦闘で最も重要なのは……判断力だ。何においても、判断に迷えばそれだけ時間を浪費してしまう。皆にそういった経験はないかい?」
『…………』
生徒たちは再び現実を突きつけられて、押し黙る。特にアトラスはとても悔しそうだ。
アトラスにとっては、ヒメカをコーカスの呪縛から救い出す際に、一時の迷いがアトラスの敗北を招いたこともある。
だからなのか、唇を力強く噛み締めていた。
「その様子だと、皆迷ったことがあるようだね。戦闘において迷いというものは自分を殺すに等しい。だから皆には、
「……なるほど」
アトラスの口から思わずそのような言葉がこぼれる。アトラスも自分の頭の中でその言葉の意味するところを噛み砕いて噛み砕いて、より深く認識した。
(最適解……確かにそれを選ぶことができれば!)
確かに納得だ。しかし、型から入ることを何故否定したのか、それだけが不思議でならない。アトラスは父親であるマルスから、甲殻武装の扱いの次に、型についてを教わった。
だからこそ、アトラスは否定したことについての理由が知りたかった。
「すみません。それなら何故、型が駄目なんですか?」
その質問にディラリスは饒舌に答える。
「別に否定をしている訳じゃないよ。ただ、最適解を選べるならば、型など意味がなくなってしまう……それだけさ」
「最適解の前には、無意味なんですか?」
「その通りだよ。戦っている瞬間でどちらの方向に避けるのが正解なのか、どこを攻撃すればいいのか、そのすべてが分かってしまうからね。読み合いも何もないんだよ」
それを聞いて、アトラスは納得することができた。つまり、最適解の前には型をつくる意味も無いのだ。
「仮に、型が必要だとしたら、それは日頃からの訓練で必要だろう」
ディラリスはアトラスへの補足として、そう説明した。
もしも、型が必要な時があるとすれば、それは訓練の時。訓練で身についた姿勢や体幹などは、戦闘において活かされる。姿勢のキープには日頃から型を使うことが必要だ。
「──それじゃあ、判断力を鍛えるために次の授業を始めるとしよう」
ディラリスは無慈悲にも、そのように告げた。
「まず、最適の選択をするには、極限状態の維持ができなければ難しい。だから君たちには
ディラリスは風に乗った木の葉を
そして、それを複数用意してみせた。
「僕がランダムに固定を解除するから、木の葉を避けつつ、僕に触れることができれば満点だ。無論、君たちを固定することはしない」
『…………』
生徒たちはただただ耳をすませてディラリスの説明を聞いている。
「それじゃあ、
ディラリスが手を二度叩くと、それが開始の合図となって、生徒たちを動かした。
「来てくれ! アトラスパーク!!」
アトラスの手に己の甲殻武装が握られると、アトラスはたちまち前へ走り出す。
「俺を護ってくれ!」
アトラスの心に感応して、刀は盾の姿へ変貌を遂げた。
(木の葉に当たらなければいいっ!! それだけだ!)
アトラスは正しい判断をする──というよりも、『幻影魔蟲』コーカスを倒したことによる驕りがあったのかもしれない。だからこそ、自分自身に当たらなければいいと考えた。
「アトラス君。それでは訓練をしている意味がないよ。周りを見てみたまえ」
アトラスが首を回してみれば、他の生徒たちは皆、風が吹き出すタイミングを見計らいながら、着々とディラリスへと近づいている。
「君もこれをやらなければ特訓をしている意味がなくなってしまう。このままでいるならば、直ちに辞退してもらえるかな?」
「……っ!?」
それを聞いてアトラスは言葉を失った。
(俺に、俺にはコーカスを倒した実力がある! 何が駄目なんだよ!)
アトラスは自分自身に実力があることを自覚している。だから危険を犯さずに進みたいと思うのも当然のこと。
しかし、訓練をしている意味がなくなってしまうのも、事実だった。だからここで自分自身の実力を証明すればいい。アトラスはそのように考えた。
アトラスは己の甲殻武装を握り直すと、
「いこう! アトラスパーク!!」
「はぁっ!」
アトラスは刀を一振り。そして発生した風圧で風に乗る木の葉を乱れさせる。
「今……っ!!」
少し木の葉が浮いたところでアトラスは一直線に突き進んだ。
刀を突きの動作にすることで空気抵抗を減らす。それと同時に木の葉に当たる可能性を限りなく低下させてもいた。
「っ! はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そしてアトラスは──
「お見事。やればできるじゃないか、アトラス君。しかも君が、一番最初だ……」
ディラリスの出した試練を乗り越えることに成功した。
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