第四章

取り戻した日常

 翌日、アトラスはヒメカとともに学校へ登校した。ヒメカの心には今までのようなちぐはぐさはなく、ありのままの自分というものを押し出している。


「ねえ、アトラス」

「なに? どうした?」

「私は今、自分を殺してはいないわよね?」


 ヒメカは隣に並んで歩いているアトラスへ目線を移して尋ねた。自分の感情についての再確認と、アトラスから見た今の自分について比べるために。


「いいや、今のヒメカは生き生きとしていると思うよ?」

「そう、良かったわ。今まで自分を殺してきたせいで、今自分が生き生きしているのかどうか分からないのよ」


 ヒメカはそっと胸に手を当てて目を閉じた。その様子はとても安心しているようで、口元も緩んでいる。


「コーカスの悪夢を見なくなってからは……君は優しく笑えてる気がするよ」


 アトラスは笑顔で答えると、ヒメカの肩にそっと右手を置いた。


「なっ、何を……!?」

「いや、特に意味はないんだけど、改めて考えてみたらヒメカは良くあの悪夢に耐えられたな、と思って」

「どうして?」

「だって、ヒメカ以外にもいるかもしれないでしょ? あの悪夢を見ている人たちが」

「っ!? ……確かに、そうかもしれないわ」


 ヒメカも自分以外に殺される夢を見ている者がいる可能性に思い至る。


「でも、だとしたらコーカスは一体、何を考えてるの?」

「それを知るためにはきっと、コーカスの言う〝ホンモノ〟について知る必要があると思うんだ」


 アトラスはそう答えた。確かにコーカスの言う〝ホンモノ〟について知らなければ何も始まらない。

 夢の中でコーカスは「次は現実で殺す」と言って姿を消した。すなわちコーカスとの遭遇も近づいているはずである。

 それまでにコーカスの目的を知らなければならない。


「多分、コーカスは俺かヒメカを狙ってくるはずだ。近いうちにこの場所にも来るかもしれない! だから、あいつの目的について何か知っていることはない?」

「で、でも、コーカスの目的なんて想像もつかないわ」

「ヒメカの悪夢に出てきたコーカスはホンモノ、ニセモノ云々よりも他に……そう! ヒメカを殺そうとした瞬間に何か言ってなかった?」

「え、ええと……そうだわ! コーカスは、になるって言っていたのよ! たぶんコーカスは力を求めてるんだわ!!」


 会話の中でコーカスの目的にたどり着く。

 ヒメカは自分の体験した恐怖を踏まえて、ほぼ確信とも呼べる憶測を口にした。


「コーカスの糧に選ばれた者。それがホンモノの正体かもしれない!」

「そうか! だから俺のことは〝ヒメカの夢の部外者〟だからニセモノって言ったんだな!」

「ええ、たぶんそうだと思うわ」


 ヒメカは怯えた様子で答えた。しかし、まだ矛盾は残っている。



 ***



「まさか、あいつが僕をここまで追い詰めるなんてね。現実ゆめで戦ったらどれだけ強くなれることか……!」


 コーカスはそう呟いて、横腹にある脚跡の鎧を撫でた。


「あの〝ホンモノ〟はなかなか壊れてくれないし、どうなってるんだろうな。明らかにおかしい……」


 コーカスは誰もいない真っ暗な場所で叫ぶ。


「あぁ、今すぐにでもあいつと戦いたいなぁ」


 溜まった鬱憤を吐き出すように、口元が歪む。コーカスの心に感応するかのように脚跡の鎧から黒炎が吹き出す。

 コーカスの笑みは、欲しいものをみつけた子供のように無邪気だった。



 ***



 夢でコーカスと戦ってから一週間が経過した。アトラスたちはいつもと変わらぬ日々を送っている。


「なあ、アトラス! いつの間にヒメカと仲良くなってんだ?」

「ん、確かに……気になる」

「ふふっ、そうね。単純に私が彼に救われたのよ」


 ギンヤとキマリは意外そうに言う。

 それを聞いてヒメカも笑いを溢した。それも決して強がりからくるものではなくて、本心からの──優しい笑い方だった。


「それはどうなんだろう。根本から解決できたとは、まだ言い切れないから。コーカスはまだ生きてるし」

「こ、コーカスだって!?」

「げ、『幻影魔蟲』!?」


 アトラスが強く言うと、ギンヤとキマリは『その名前』に目を見開いた。キマリがここまで驚いているのは、アトラスにとっては初めてのことだった。


「もしかして、アトラスはあの魔蟲に勝ったの? でも魔蟲といえば、大昔の存在」

「いや、勝ったというか、追い払ったというほうが正しいかな。コーカスと戦ったのはヒメカの夢の中でだったし」

「ゆ、夢ぇ!?」


 途端にギンヤがすっとんきょうな声をあげた。


「だって夢の中だろ!? 夢の中じゃあ勝ち負けなんて無いだろ!?」

「それがそうでもないんだよ。コーカスは人の夢を襲うみたいなんだ。だから実際に俺もヒメカも夢の中で殺されたんだ」

「そうよ、私は昔からこの悪夢にうなされていたの」

「そ、そうだったのか。悪ぃ、勝手なこと言って。こんなしんみりしてるのに、冗談なわけないもんな」

「いや、いいよ。そう思うのは仕方ないし」


 アトラスはギンヤの心の内を想像して、気にしなくていいと言う。ギンヤは少しどんよりとした空気を戻そうと手をパチリと叩いて、


「そうだ! なあ今度どこかご飯にでも行こうぜ! それに丁度、アトラスに貸しがあるし!!」

「ぎ、ギンヤ……今それ言うぅ!?」

「それはいい。私も貸しがあるから行く。レッツゴー」

「え、えっと、わ、私は」

「ヒメカもいいんじゃないか? なあ、アトラス。どう思う?」

「はあ。うん、いいよ」

「よっしゃあぁーーー!!」

「やった。ぶい」

「本当に私も良かったのかしら」

「うん、大丈夫。それじゃあ今度、四人でご飯にでも行こう!」


 アトラスは少し残念そうに、それでも楽しそうに言った。それから週末の放課後。アトラスたち四人はご飯を食べに行くことになっだ。


「おうおう、待たせたな!」

「ん、おまたせ」

「ええと、待たせたわね!」


 アトラスの元に三人が集合すると、四人揃って街を歩き始める。


「アトラスってまだここに詳しくないよな?」


 ギンヤのふとした言葉に無言で頷く。


「それなら案内がてら、少し遠回りするか」

「ん、全然大丈夫」


 ギンヤが出した提案に女子二人組みも賛成の意を示す。少しだけ迂回しつつ、ギンヤはアトラスを連れて商店街へと向かった。


「アトラス、ここが商店街だ。基本的になんでも手に入る」


 端から端まで眺めてみると露店がびっしり並び、少し値が張りそうな店もある。まっすぐ進んで道を曲がり、次に現れたのは学園通り。


「ここは学園通りだ。多分お前も通学の時に通るだろ?」

「うん、いつも歩いてる道だ」

「繁華街はこの通りもう少し横道に逸れた場所にあるんだ」

「へぇ、そうなんだ」


 ギンヤの案内に沿って街を散策していると、確かに横に走る狭い路地から香ばしいものが漂っている。


「ここを右だ。まっすぐ進めば繁華が──ぐぉっ!?」

「この先が繁華街よ!さぁ、ご飯に行きましょ!」


 ギンヤの説明を振り払って、ヒメカが皆の前で手を差し出す。ヒメカが嬉しさ満点の声色で皆を催促した。

 一瞬よろけたギンヤは一度ため息をつくが、緩みきった口を開く。


「よっしゃあぁぁぁぁぁ!! 高級飲食店で決まりだな!」

「ん、それがいい」

「え、ほんとにいいの?」

「お、俺が奢るからって、高いのを選ぶなよぉぉぉ!」


 ギンヤは調子に乗って値の張る店を選んだ。

 アトラスにとっては金銭的に負担が大きい。ギンヤの選択にアトラスは悲鳴をあげるが、ギンヤはけらけらと笑ってお店に入っていく。

 ドアにかけられた看板の名前には「食事処おてんと」の文字。


「おお、店の中……綺麗だな。ぴっちりした床だ」


 アトラスの言う通り、店の中は綺麗そのものだった。外装も隙間なく並べられた木の枝だったので、余計に綺麗に見えるのだ。


「すごい……!」


 キマリも感嘆の声をもらしていて、ギンヤとヒメカに至っては言葉を失っていた。


「へいらっしゃい! お客さんたち……学園の生徒さんかい?」


 すると店の奥から、赤色の翅を持つ男店主が現れた。翅の中には黒い斑点のような模様があって、不気味なようだが、明るい印象を受ける。


「俺はテントウっていうもんだ! ぜひとも俺の絶品料理を食べてってくれよな!」


 男店主──テントウはニカッと笑って言う。


「「「「はい!」」」」


 その言葉に四人は揃って答えた。


「ご注文はなんで?」


 テントウは少しクセのある口調で尋ねると、


「うーん、皆どれにする?」

「そうだな、俺はこの……『樹液とナッツのパウンドケーキ』ってやつにしようかな!」


 ギンヤは悩んだ末にケーキと呼ばれるメニューを選んだようだ。

 ケーキはケーキと言っても、フルーツは入っていない。一般的にナッツのほうが好まれるためだ。

 農業も盛んに行われているため、小麦粉もそれなりに流通している。


「『樹液とナッツのパウンドケーキ』と……そちらの三人は?」

「ん……えっと、じゃあ私は『イナゴのつくだ煮』を」

「だから怖ぇえよ!!」


 注文の内容にギンヤは怯え、自分の翅をキマリの視界から隠そうとする。しかし当然、細長い手では翅を隠すことはできなかった。


「俺は……この『熟成腐葉土』で」

「わ、私もそれでお願いします!」

「へいよ! ちょっくらお待ちくだせぇ!!」


 待つこと十数分程。注文していた料理が手元に届いた。


「へい、お待ち!」

「「「「おおぉぉぉぉおぉお……!」」」」


 ギンヤが注文した『樹液とナッツのパウンドケーキ』。見るからに甘そうな一品で、三つに切れている。それらを斜めに倒し、その上から樹液の蜜を振りかけた至高の逸品だ。樹液の香りが鼻をくすぐる。

 キマリが注文した『イナゴのつくだ煮』。イナゴ一匹一匹は亜麻色にじっくりと火で通した後、蜜で煮込んでいる。これもまた甘い香りが漂っていた。


 アトラスとヒメカが注文した『熟成腐葉土』。これは──完全に真っ黒のなにかだった。

 葉っぱも黒ずんで、ぼろぼろになっている。土はしっとりとしていて冷たい。何度も発酵を繰り返し、熟成され尽くした土のようだ。


「それじゃあ、食べようか!」

「おう! そうだなアトラス」

「……ん、食べる」

「ええ、食べましょう」


 そして四人は手を合わせた。


「「「「いただきます!!」」」」


 まずはギンヤがパウンドケーキを一口、口に入れる。


「っ!? な、なんだこれ! う、うめぇ!!」


 樹液のやさしい甘さと、噛むたびにナッツのカリカリとした食感が口の中を楽しませてくれる。

 ギンヤが噛むたびに口の中からザクザクと音が鳴って、ギンヤはとても楽しそうだった。


「ん、美味しい……(モグモグ)」

「なんだ!? 美味しいなこれ!」

「本当ね。とても美味しいわ……!」


 それぞれが注文した料理はどれも好評のようで、皆の食べるスピードが上がっている。


「「「「美味しかったです! ありがとうございました!!」」」」

「いやぁー、俺もそんなに褒められると嬉しいもんだぁ」


 四人はお礼を言うとアトラスが代表して懐からなにやら緑色に光る石を取り出した。


「へい! 毎度ありーぃ!! って、エメラルドぉぉぉ!?」


 森での物の流通は基本、物々交換。

 つまり、アトラスはエメラルドという宝石をテントウに対価として支払った。対価として大きすぎるものに、テントウは驚きの声をあげる。


「「「「ありがとうございましたー!!」」」」


 テントウの叫びを無視して、アトラスたちは店を出た。



 ***



「なあ、なんでお前。エメラルドなんか持ってんだ?」


 店を出て早々にギンヤは尋ねた。


「え、なんでって、それは故郷の家からだけど」

「いや、だっておかしいだろ。エメラルドってここじゃ滅多に採れないぞ!? 本当にお前はどこに棲んでいたんだよ。まあそれよりも、一つだけ言っておこう。いいか?」


 一呼吸置いて、ギンヤは大声で言い放つ。


「エメラルドはこの『森』では貴重なんだよぉ!! それをお前ぇ、釣りはいらないってか!? 意味分かってんのか!?」


 それでやっとアトラスは気がついた。対価としてはあまりにも大きすぎるものを渡してしまったことに。


「え、えっと、どうしよう……」


 顔を青ざめさせてアトラスは動揺した様子を見せる。


「アトラス、貴方……どうしてそんなに抜けてるの!? 馬鹿なのっ!?」

「ん、お馬鹿」


 ヒメカとキマリはアトラスのことを〝馬鹿〟と称していて、それにギンヤもうんうんと頷く。


「え!? で、でも今度また行けばきっと、割り引きしてくれるはずだよ!」

「おいおい、そんなのが通用すると思うか? だって相手は仮にも、ものを売っているんだぞ?」

「それは……」


 アトラスは言葉に詰まる。

 今、自分の持ち物の莫大な価値に気がついてしまったがためにかなり後悔をしてしまっていた。


「今度、両替商を紹介するから、せめてそれぐらい覚えてくれ……」

「両替商?」

「そうだよ。って、疑問符が付いてるのはなんでなんだ」


 両替商。

 物々交換で成り立っているこの世界での商売の一つの形。ものを購入するときに、ものの価値を合わせる必要がある。交換だからこそ、大きすぎても、少なすぎても問題なのだ。


「…………まあ、これからは気をつけるよ!」

「どうして知らねぇんだよ」

「ずっと地底で暮らしてたから?」


 アトラスがとぼけたように言うと、たちまち三人は顔をしかめてしまう。


「その冗談は聞き飽きた」

「ん、つまらない」

「それにあんな危険なところで生きていられるはずがないわ」

「は、はあ」


 未だに信じてもらえないアトラスは諦めたように、ため息をついた。

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