旅立ちと発見

「はあ……、更に痛いなこれ……!」

「そうは言ってもな……。『良薬は口に苦し』とも言うだろ?」

「それはそうだけど……って、口じゃないし」

「それは言わない約束だぞ、アトラス?」


 アトラスは今、マルスに軟膏を塗られている。

 軟膏とはいっても木の根から絞った絞り汁を固めたものを傷口に塗るだけなのだが、それでも虫を起源とする者たちには大きな効果があった。

 アトラスは横腹の染みるような痛みに耐えながらしばらくの時間を過ごしていると、


「ねえ、アトラス……。学校に通いたいって気持ちに嘘はないのよね?」


 そんな中、母親であるシロナがアトラスの元へとやってきた。


「うん」

「それなら一つだけ伝えておくわ」


 シロナは一回深呼吸すると、アトラスの頭を優しく撫でて言う。


「学校には、ルールというものがあるの。人を傷つけてはいけないだとか、色々と。そういう決まりがあるのよ。それに、ルールを守らないと『魔蟲が湧く』のよ?」

「そうなの?」

「ええ。だからね、言われたルールはしっかりと守りなさい!」

「うん、分かった!」


 アトラスはそう頷いた。

 ──魔蟲が湧く。大昔に災厄をもたらした三人の殻人族、それぞれ『幻影魔蟲』、『破壊魔蟲』そして『日食魔蟲』と呼ばれていた者たち。

 彼ら、魔蟲という存在が自分たちに災いをもたらしたことから、ことわざとして用いられていた。


「学校が楽しみだな!」

「ええ、楽しみね……それじゃあ、ご飯にしましょう!」


 そう言ってシロナは一度アトラスの元を離れて、食料を持って戻る。


「今日はご馳走よ! 特別に地上のご馳走なの! さあ、召し上がれ‼」


 シロナは嬉しそうに植物の葉の上に真っ黒な腐葉土を乗せてアトラスに手渡す。

 それとは別に木の蜜がべっとりと塗られたような木片を半分、マルスへ手渡して、


『それじゃあいただきます‼』


 そして三人はそれぞれのご馳走を貪り始めた。

 アトラスは腐葉土を口の中へ詰め込んで、マルスとシロナは木片についた蜜を舐める。


「アトラスの学校デビューを祝って! 乾杯‼」

「おう、そうだな! アトラス、頑張って来い‼」

「うんっ! 頑張るよ、父さん! 母さん!」


 マルスはアトラスを激励し、シロナは感慨深そうにアトラスを見つめていた。


 ──そんな温かい時間もやがて、終わりを迎える。


 数日後、アトラスは旅立つこととなった。編んだ蔦を風呂敷にして、少しばかりの食料を詰め込む。それを手にぶら下げてアトラスは旅立つ。


「それじゃあ行ってきます!」

「おうアトラス! 立派になって帰ってくるのを楽しみにしてるぞ‼」

「ええ、楽しみにしてるわ。勿論、応援もしてるから頑張ってらっしゃい!」


 両親の激励にアトラスは大きく頷き返すと、


「ありがとう! 父さん、母さん……!」


 涙を必死にこらえて、二人の顔を順番に見つめる。


『お兄ちゃん行ってらっしゃい‼ それと、頑張って!』

「四人も、ありがとう! それじゃあ、行ってくるよ!」


 旅立つ際には、ラミニ、ルミニ、ヨーロ、ケタルスの四人も見送りに来ていて、応援の言葉を口にする。

 四人の言葉は綺麗に揃っており、彼らの笑顔はその場にいた者たちの心を数度、温めた。

 アトラスは学校──つまり、地上にある『森』と呼ばれる場所に向けて、土の中を上へ上へと進み始める。

 アトラスの力は既に土竜を撃退するまでに至っており、マルスも何も懸念することなくアトラスを送り出すことが出来た。

 でも、皆が笑顔でいられるかと言えば、決してそうではない。


「ぐすっ……」


 シロナは目に涙を溜めていた。アトラスがいなくなって寂しいのだ。目からはみ出てしまった寂しさの粒は、ポトリと地面に落ちて土を湿らせる。


「行ってしまったわね……ぐすっ」

「そうだな。アトラスが生まれる前に姿を消したの居場所も気になるしな……。でも、アトラスとはいつか再会できるはずだ! その時までの我慢だ、シロナ!」

「そ、そうね……!」


 シロナは目に溜まった涙を拭うと、地中にある彼らの棲みかへ戻っていった。

 このときマルスが何かを憂いているように見えたのは、決してシロナの気のせいではないだろう。



 ***



「ここが、森……!」


 アトラスは既に、羽の形をした皮膚のようなものが背中にこべりついている。

 これは所謂、『蛹』という状態にあたり、蛹の間は動くことができなかった虫の弱点が度重なる進化の末に克服されていた。

 殻人族においての、子供と大人の外見的違いは身体の大きさもそうだが、透明な羽の有無という基準もある。先祖によっては、硬い羽を持つ者もいるが、硬い前羽は透明な羽の付け根に名残があるくらいで、退化してしまう。

 勿論、生まれつき羽を持たなかったり、蛹にならない殻人族であれば話は別なのだが。


 子供の頃の黒い顔も白い柔肌になっていて、顔はシロナに似てきている。目も、シロナ譲りの赤色だ。

 ただし、髪色は緑がかった黒だ。

 光沢があり、それはまるで【殻人族】の祖先が持つ外骨格のよう。


「おおっ……! これはすごい‼」


 アトラスが見たもの──それは、天に届くくらいの大きな大樹がたくさん並び、そのそれぞれに蔦が絡みついている。

 時には蔦が垂れ下がり、大樹も枝を分けている。

 歩く道は脚跡の無いところにだけ苔が生えていて、他の殻人族がどこを歩いていたのかが一目で分かってしまう。

 そのような、緑に覆われた、とても迫力のある光景だった。

 アトラスは顔を上へ向けて森の中を歩いていく。景色はどこを見ても緑色で、葉の隙間から入ってくる太陽の光はとても眩しい。


「──おっと、危ないぞ。しっかりと前を見て歩きな」

「あ、すみません……」


 アトラスが上を見ながら歩いていると、前から誰か歩いて来ていることに気がつかなかった。

 その殻人族の男はアトラスに注意をすると、快い笑顔を見せて「次からはもうやめろよ」と言う。

 そして、その場を去ろうとするが、アトラスは男を引き留めて、


「すみません、ぶつかりそうになって申し訳ないんですが、学校ってどこにあるか分かりますか……?」


 学校の場所について尋ねた。


「ん? 学校? ああ、それならあの大樹の下だよ」


 そう言って、男は一際大きな木を指差す。その木は森の中心であり、学校という学び舎だ。


「そうなんですか、ありがとうございます!」

「おう、学校に行くなら頑張れよ!」

「はい‼」


 アトラスは力強く返事をすると、その大樹のほうへ歩いていく。

 その道中、街ゆく人たちに何度かすれ違うも、皆どれも綿の衣服を纏っていて、染料によって色も人それぞれ。それは緑一色の森をカラフルに彩っている。

 やがて中央の大樹に辿り着くと、


「なるほど……! くりぬいてあるのか……」


 外から見れば、その大樹は下の部分だけまるで部屋であるかのようにくりぬかれていた。

 空洞は幾つものポケットに分かれており、そのそれぞれに何人かの殻人族の姿が見える。

 それこそがこの空洞が部屋であることを証明していた。


 ──トントン、トントン。


 アトラスの背後から肩をトントンとたたく音がする。


「君! もしかして、学校に入りたいの?」

「え? あ、はい! って、え……!?」


 そして振り向くとアトラスは目を見開いた。

 ──何故ならば、声の主はアトラスよりも少しばかり身長の高い少女。

 しかし、アトラスが驚いたのはそこではない。

 少女の背中には、四枚の『碧い羽』。所謂、モルフォ蝶の特徴を持っていた。の羽は光を反射して、あおく輝く。

 宝石のような輝きはアトラスの心を魅了した。


「ああ、驚いた? この羽はね、生まれつきなの! 驚かせてごめんなさい」

「え? い、いや……こんなに綺麗な羽を見たのが初めてで、つい見てしまいました。こちらこそごめんなさい」


 アトラスがそう言うと、少女は驚いて目を丸くして、


「この羽を綺麗と言ってくれる人を初めて見たわ……。皆、この羽を見るとって言われるから。だって青い羽なんて、気味が悪いでしょ?」


 少女は悲しそうにそう言う。

 それでも、その瞳には淡い歓喜の感情が浮かんでいた。


「俺はここに来たのが初めてで……見るものすべてが新しいんです!」


 アトラスはそう返して、大樹のほうを向いて歩き出そうとした瞬間、


「あ! 学校に入るなら、あっちで先生にそのことを伝えてきなよ!」

「はい! 分かりました!」


 アトラスは少女が指を差したほうへと走っていく。

 その後ろ姿を見ていた少女の頬には、少しだけ朱が差していた。



「編入ですか?」


 受付の人が丸太の椅子に座りながら、アトラスを見上げる形で尋ねた。


「はい!」

「この時期に編入ですか……? もうすぐ試験があるんですけど……ええと、これだけ確認しておきましょうか。試験を前に授業も早く進んでいますが、それでも頑張れますか?」

「はい! 大丈夫です‼」

「そう、ですか……。それならこの紙に必要事項を記入してください」


 それならと受付の人は紙──木の皮から作った板状のものと木炭を一本、アトラスに手渡した。

 アトラスはそれに必要事項を素早く記入すると、受付の人へ返す。


「大丈夫そうですね。それでは今日から授業に参加されますか? それとも……」


 そう言って受付の人はアトラスの格好を見やる。アトラスの身につけている服はどれも土だらけ。

 しかも、白と呼べる部分がないほどの汚れだった。


「……どこか身体を綺麗にできる場所はありませんか?」

「ええ、ありますよ。そういえば、さっきもう一人編入希望者がいましたね……」


 受付の人はニッコリと微笑んだ。

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