旅立ちと発見
「今日で最後の修行にしようと思う。お前の実力を見たい」
甲殻武装を木の根に打ち付ける修行からしばらくして、マルスは確認試験とも呼べる提案をした。
これはいわゆる一対一の決闘だ。マルスは集落から少し離れた広い空洞へ移動し、アトラスに向き合った。
「来い! アグニール」
「来てくれ……っ、アトラスパーク!!」
互いに得物を取り出して両者の間に沈黙が訪れる。アトラスは銀色に輝く刀を、マルスは鈍色の刀を片手に構えた。
「いくよ、父さん」
「ああ。かかって……来い!」
まずアトラスが放ったのは上段からの袈裟斬り。マルスはそれを軽く往なすと、斜め下から斬り上げる。身体を仰け反らせてアトラスは回避。勢いそのままにバックステップで距離を置く。マルスは数瞬の間に距離を詰め、上段から刀を振り下ろす。アトラスは身体を屈める。
「その避け方は、少し失敗だな」
「っ!?」
刀の鍔の向きをすぐに変えて切り上げる。アトラスは今度こそ避けることが出来ず、右腕の皮膚にぱっくりと亀裂ができた。血が滲み、じんとする痛みがアトラスを襲う。痛みに反して、刀を持つ手には力が入る一方だ。
「父さん、痛いって……」
「お前の本気を見るためだ。あとで手当てしてやるから、もう少し頑張ってくれ」
アトラスは刃のない刀を姿勢を低く構え、反対にマルスは上段から振り下ろせるように姿勢を高くする。
「これで決める! いくよ、父さん!!」
「お前の実力、見せてみろアトラス!」
アトラスは
「……っ!」
斬撃の勢いを完全に殺した後、マルスは峰打ちでアトラスを気絶させた。
「はあ……、更に痛いなこれ……!」
「そうは言ってもな……。良薬は口に苦しとも言うだろう?」
「それはそうだけど……って、口じゃないし」
「それは言わない約束だぞ、アトラス?」
アトラスは今、マルスに軟膏を塗られている。
軟膏とはいっても木の根から絞った絞り汁を固めたものを傷口に塗るだけなのだが、それでも大きな効果があった。
アトラスは横腹の染みるような痛みに耐えながらしばらくの時間を過ごしていると、
「ねえ、アトラス……。学校に通いたいって気持ちに嘘はないのよね?」
そんな中、母親であるシロナがアトラスの元へとやってきた。
「うん」
「それなら一つだけ伝えておくわ」
シロナは一回深呼吸すると、アトラスの頭を優しく撫でて言う。
「学校には、ルールというものがあるの。人を傷つけてはいけないだとか、色々と。そういう決まりがあるのよ。それに、ルールを守らないと『魔蟲が湧く』のよ?」
「そうなの?」
「ええ。だからね、言われたルールはしっかりと守りなさい!」
「うん、分かった!」
アトラスは頷いた。
──魔蟲が湧く。大昔に災厄をもたらした三人の殻人族、それぞれ『幻影魔蟲』、『破壊魔蟲』そして『日食魔蟲』と呼ばれていた者たち。彼ら、魔蟲と呼ばれる存在が自分たちに災いをもたらしたことから、ことわざとして用いられていた。
「学校が楽しみだな!」
「ええ、楽しみね……それじゃあ、ご飯にしましょう!」
そう言ってシロナは一度アトラスの元を離れて、食料を持って戻る。
「今日はお祝いよ! 特別に地上のご馳走なの! さあ、召し上がれ!!」
シロナは嬉しそうに植物の葉の上に真っ黒な腐葉土を乗せてアトラスに手渡す。
それとは別に木の蜜がべっとりと塗られたような木片を半分、マルスへ手渡して、
『それじゃあいただきます!!』
そして三人はそれぞれのご馳走を貪り始めた。
アトラスは腐葉土を口の中へ詰め込んで、マルスとシロナは木片についた蜜を舐める。
「アトラスの学校デビューを祝って! 乾杯!!」
「おう、そうだな! アトラス、頑張って来い!!」
「うんっ! 頑張るよ、父さん! 母さん!」
マルスはアトラスを激励し、シロナは感慨深そうにアトラスを見つめていた。
──そんな温かい時間もやがて、終わりを迎える。
数日後、アトラスは旅立つこととなった。編んだ蔦を風呂敷にして、少しばかりの食料を詰め込む。それを手にぶら下げてアトラスは旅立つ。
「それじゃあ行ってきます!」
「おうアトラス! 立派になって帰ってくるのを楽しみにしてるぞ!!」
「ええ、楽しみにしてるわ。応援してるから頑張ってらっしゃい!」
両親の激励にアトラスは大きく頷き返すと、
「ありがとう! 父さん、母さん……!」
涙を必死にこらえて、二人の顔を順番に見つめる。
アトラスは学校──つまり、地上にある『森』と呼ばれる場所に向けて、土の中を上へ上へと進み始める。アトラスの力は既に土竜を撃退するまでに至っており、マルスも何も懸念することなくアトラスを送り出すことが出来た。
でも、皆が笑顔でいられるかと言えば、決してそうではない。
「ぐすっ……」
シロナは目に涙を溜めていた。アトラスがいなくなって寂しいのだ。目からはみ出てしまった寂しさの粒は、ポトリと地面に落ちて土を湿らせる。
「行ってしまったわね……ぐすっ」
「そうだな。でも、アトラスとはいつか再会できるはずだ! その時までの我慢だ、シロナ!」
「そ、そうね……!」
シロナは目に溜まった涙を拭うと、地中にある彼らの棲みかへ戻っていった。
このときマルスが何かを憂いているように見えたのは、決してシロナの気のせいではないだろう。
***
「ここが、森……!」
アトラスは既に、翅の形をした皮膚のようなものが背中にこべりついている。
これは所謂、『蛹』という状態にあたり、蛹の間は動くことができなかった虫の弱点が度重なる進化の末に克服されていた。硬い前翅は透明な翅の付け根に名残があるくらいで、通常は退化してしまう。
勿論、生まれつき翅を持たなかったり、蛹にならない殻人族であれば話は別なのだが。子供の頃の黒い顔も白い柔肌になっていて、顔はシロナに似てきている。
「おおっ……! これはすごい!!」
アトラスが見たもの──それは、天に届くくらいの大樹がたくさん並び、それぞれに蔦が絡みついている。
時には蔦が垂れ下がり、大樹も枝を分けている。歩く道は
そのような緑に覆われた、とても迫力のある光景だった。アトラスは顔を上へ向けて森の中を歩いていく。景色は緑は緑でも多様な緑、青色が射し込む陽光で煌めいている。
「──おっと、危ないぞ。しっかりと前を見て歩きな」
「あ、すみません……」
アトラスが上を見ながら歩いていると、前から誰か歩いて来ていることに気がつかなかった。その殻人族の男はアトラスに注意をすると、快い笑顔を見せて注意する。
そして、その場を去ろうとするが、アトラスは男を引き留めて、
「すみません、ぶつかりそうになって申し訳ないんですが、学校ってどこにあるか分かりますか……?」
学校の場所について尋ねた。
「ん? 学校? ああ、それならあの大樹の下だよ」
そう言って、男は一際大きな木を指差す。その木は森の中心であり、学校という学び舎だ。
「そうなんですか、ありがとうございます!」
「おう、学校に行くなら頑張れよ!」
「はい!!」
アトラスは力強く返事をすると、その大樹のほうへ歩いていく。
その道中、街ゆく人たちに何度かすれ違うも、皆どれも綿の衣服を纏っていて、染料によって色も人それぞれ。歩く道をカラフルに彩っている。
やがて中央の大樹に辿り着くと、
「なるほど……! くりぬいてあるのか……」
外から見れば、大樹は下の部分だけまるで部屋であるかのようにくりぬかれていた。
空洞は幾つものポケットに分かれており、そのそれぞれに何人かの殻人族の姿が見える。それこそがこの空洞が部屋であることを証明していた。
──トントン、トントン。
アトラスの背後から肩をトントンとたたく音がする。
「君! もしかして、新しく学校に?」
「え? あ、はい! って、え……!?」
そして振り向くとアトラスは目を見開いた。
──何故ならば、声の主はアトラスよりも少しばかり身長の高い少女。
しかし、アトラスが驚いたのはそこではない。
少女の背中には、四枚の『碧い翅』。所謂、モルフォ蝶の特徴を持っていた。
宝石のような輝きはアトラスの心を魅了した。
「ああ、驚いた? この翅はね、生まれつきなの! 驚かせてごめんなさい」
「え? い、いや……こんなに綺麗な翅を見たのが初めてで、つい見てしまいました。こちらこそごめんなさい」
アトラスがそう言うと、少女は驚いて目を丸くして、
「この翅を綺麗と言ってくれる人を初めて見たわ……。皆、この翅を見ると
少女は悲しそうにそう言う。
それでも、その瞳には淡い歓喜の感情が浮かんでいた。
「俺はここに来たのが初めてで……見るものすべてが新しいんです」
アトラスはそう返して、大樹のほうを向いて歩き出そうとした瞬間、
「あ! 学校に入るなら、あそこで先生に話してきなよ」
「はい! 分かりました!」
アトラスは少女が指を差したほうへと走っていく。
その後ろ姿を見ていた少女の頬には、少しだけ朱が差していた。
「編入ですか?」
受付の人が丸太の椅子に座りながら、アトラスを見上げる形で尋ねた。
「はい!」
「この時期に編入ですか。もうすぐ試験があるので、これだけ確認しておきましょう。試験を前に授業も早く進んでいますが、それでも頑張れますか?」
「はい! 大丈夫です!!」
「そう、ですか……。それならこの紙に必要事項を記入してください」
それならと受付の人は紙──木の皮から作った板状のものと木炭を一本、アトラスに手渡した。
アトラスはそれに必要事項を素早く記入すると、受付の人へ返す。
「大丈夫そうですね。それでは今日から授業に参加されますか? それとも……」
そう言って受付の人はアトラスの格好を見やる。アトラスの身につけている服はどれも土だらけ。
しかも、白と呼べる部分がないほどの汚れだった。
「……どこか身体を綺麗にできる場所はありませんか?」
「ええ、ありますよ。案内しますね」
受付の人はニッコリと微笑んだ。
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