洛葉

圍界 祐真

「」


「凄く綺麗ね。」

と、どこからか聞こえた声に僕は、声の鳴る方へと視線を動かす。

どうやらその声は、車椅子に跨った白髪交じりの老婆のものだったらしく、

隣でニコニコと屈託のない笑顔を浮かべ、老婆の相手をする幼い少女に向けて放った言葉だった。

 この真っ白で大きな部屋には老婆と少女がいるだけ。他に何もない。

何もない、は少し言い過ぎかもしれないが、特に彼女ら以外に目を見張るものがないのである。

 僕はというと、ついこの間とうとう、かねてから計画していた家出を決心し、決行した。

しかし、行く当てもなかった僕は、危ない外の世界を昼も夜も練り歩き、力尽きようとしていた。

そんな時、僕の目の前に現れたのが、今、老婆の横で幸せそうにしている少女だった。

僕を優しく抱きかかえてここまで連れてきてくれた。

まぁ、お世話になりますとも、これからよろしくとも言っていないのだが、誰に、何を言われた訳でもないので、当分はここでお世話になることになったのだ。

 僕はひどい眠気を押し殺しながら、首に刻まれた思い出をさすって、ふと脳裏に浮かんだ家族の、あの子のことを払拭するように、賑やかに会話する二人の方に聞き耳を立てるのだった。


 二人の視線の先には大きくも小さくもない窓。

ただ、外の景色を見るには十分な程の窓であった。

外には長く太い一本道があり、その端を囲むように、少女からすればとても大きく写るであろう木が幾つも聳え立っていた。

案の定、「すっごくおっきくていっぱいだね。」

なんて少女が言い出すものだから、老婆はくすりと笑うのだった。

少女は少女が見たものを、そのまま言うのが、なんというかとても年相応で、

それがとても、それだけで可愛らしかったのだ。

緑の葉生い茂る大きな木たちも、そんな少女を見て、どこかいつにも増して僕は輝いて見えた。

 真っ赤なランドセルを背負った少女はまたね、と大きく手を振りながら、いつものように帰っていった。

手を振り返していた老婆は、手をゆっくりと下ろすと、少し険しい眼差しで窓の外の木を見つめた。






 老婆は車椅子に跨らなくなっていた。

ベッドに横たわりながら、窓から外をじっと眺めていた。

その表情はとても重く暗く、とても僕じゃあ老婆の元気を取り戻すことなど、できそうになくて、どうしようかと重い体を上げた時、僕の耳に騒音が木霊した。

それは、元気で勢いの良い少女が、元気よく勢いよくドアを開け放った音だった。

「おばあちゃん!」

真っ赤なランドセルを背負った少女は、部屋に入るやいなや、横たわる老婆の元へと駆けて行く。

 少し背の伸びた少女は、目線を合わせる為、しゃがみながら老婆と話はじめる。

老婆は、一日中窓から外を眺めているか、毎日やってくる少女の相手をするかという、それだけの毎日を過ごしていた。

 少女のいる時間だけ笑顔になる老婆は、今この瞬間とても楽しそうだった。

だからなのか、少女がいなくなった後の、老婆の姿を想像してしまう僕だけが、

今この瞬間を楽しめずにいた。

 少女が語るのは、今日見た事聞いたこと。そして、それを通して感じた事。

そのどれもが、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、美しいものは美しいと言うだけのものだった。

 背丈の伸びた少女は、どうやら本当に背丈が伸びただけのようで、僕は傍目からくすりと笑う。

そんな少女が一瞬、僕の記憶の中のあの子と重なり合う。

年も容姿も声もこの少女とは違う、あの子は今頃どうしているかなんて、僕には考える資格もないのに。

僕はぶんぶんと頭を振って、重なり合ったあの子を剥がすと、少女と老婆の方に顔を向ける。

 二人はとても有意義で、とても幸せな時間を過ごしているようで、どっちもとてもいい顔をしている。

 老婆の気に掛ける窓の外の木たちは、最後の命の炎を燃やすように、静かに燃え始めているようで、その下ではカメラ片手に、忙しなくシャッターを切っている人たちが群がっていた。

その中の誰もが、二人と同じようないい顔していた。





 老婆と僕のいるこの真っ白な部屋は、外がどんなに目まぐるしく装いを変えても、何も変化のない部屋だった。

しかしそんな部屋も、毎日のようにやってくる元気な少女によって少し変わろうとしていた。

「もう少しでクリスマスだから、家からクリスマスツリー持って来るね!あんまりおっきくないけど。」

「あら、そう。もうそんな季節なのね。・・・ありがとう、楽しみに待っているわ。」

優しく包み込むような笑顔でそう答える老婆に、少女は手に持っていた毛布と、絵本を一冊、老婆に手渡した。

「絵本読んで!」

目をキラキラと輝かせながら、老婆に詰め寄る少女は、なにかを期待したような、そんな顔をしていた。

「いいわよ。こっちへいらっしゃい。」

そう言うと老婆は、掛けていた毛布を捲り、ここに来なさいと言う様にベッドをポンポンと叩くのだった。


 老婆が読み上げる絵本の内容は、とてもありきたりな、動物と一人の人間の話だった。

なんの変哲もない一匹の獣が、偶然にも運命のような出会いをした少女と、いろいろな場所に冒険したり、様々な経験をしたり、お互いの絆を深めあったり。

道中危険な目に遭ったり、けんかもしたけれど、回り道しながらも、二人はずっと一緒に暮らして、結末はハッピーエンド。

そんな物語。

でも御伽噺は、御伽噺のまま。


 読み終わった老婆は、絵本をそっと閉じると、横に寄り添いながら聞いていた少女に、その絵本を返す。

「やっぱりおばあちゃんに読んでもらうと、お母さんに読んでもらうより、絵本が綺麗に見えるよ! これからはおばあちゃんに読んでもらおっと。」

「あらあら。嬉しいけど、お母さんの前でそんなこと言っちゃだめよ。落ち込んじゃうから。」

「よくわかんないけど、わかったよ・・・って、あ!」

「どうしたの?」

「これから友達と遊ぶ約束してたの!ごめんね、おばあちゃん。また明日ね!」

そう言うと少女は、ランドセルを背負いながら勢いよく飛び出していくのだった。

 一人残された老婆は,今まで少女が座っていた場所に手を添えると、何か思いつめた様子で目を閉じる。

僕はなにをするわけでもなく、モヤモヤとした気持ちを振り払うように眠りについた。




 老婆は、眠る時間が少しずつ増えていた。

寒くなってきたこの季節に合わせて、一部の動物たちは次の季節を迎える為、

必死に様々なものを蓄え、冬眠をするなどと聞いたことがあるが、この老婆はなにを蓄えるでもなく、ただただ眠るばかりであった。

 老婆はただでさえ、起きている時間が少なくなったというのに、窓の外の木を眺めている時間が大半を占めるようになっていた。

 少女が姿を見せなくなった。

その事実が、老婆の生活から色を消し去っていた。

消して、去って行った。

日を追うごとに、少女は帰る時間がどんどん早まり、毎日出していた顔も、徐々に見せなくなっていた。

年を重ねていくたびに、幾重にも積み重なった色たちが、年を老いるごとに色褪せていく。

 小説の同じページを、行ったり来たりするだけの毎日に、彩りを与えていたのは間違いなくあの元気な少女だった。

特に僕は、老婆と仲が良いわけではなかったが、言葉を交わさずとも、今老婆が何を考えているのか分かるような気がした。

 すると、そんな僕をよそに、ふいに老婆はベッドから立ち上がり、窓のすぐそばへと駆け寄る。

曇り空だった重たい空からは、ちらほらと綺麗な雪が舞い降りてきていた。

まるでタイミングを見計らったかのように、窓の外の木から、最後の力を振り絞り身を焦がしていた真っ赤な葉が一枚、はらりと力尽き、舞い散っていった。

「あっ・・・」

老婆の口から零れたそれは、紛れもなく、悲しみだった。

 悲しみは一度では降り止まず、続けざまに一枚、また一枚と散っていく。

予期せぬものではなかった。しかし訪れてほしくはない、認めたくはない最後だった。

老婆は立ち尽くしたまま、窓の外をじっと眺めたまま、何時間もそのままで離れなかった。

見惚れていたのではなく、見届けているように、僕の目には映った。

 ついこの間まで、上を見上げ、真っ赤に染まった葉を見て、綺麗だなんて言っていた人々は、その地に落ちた綺麗なものを踏みつけながら、真っ白で綺麗な雪が降りしきるさまを見上げていた。

ホワイトクリスマスだなんて騒ぎ、はしゃぐ人々が見上げるのはもう、葉ではなく雪なんだ。

そんなもんなんだよ。

そんなもんなんだよ、ばあちゃん。

 一人でクリスマスを迎えた老婆は、何かを諦めたように静かに眠りにつく。

この真っ白で大きな部屋には何もない。

ずっと一緒なんてハッピーエンドは、御伽噺だったのかな。




 目を覚ますと、そこに老婆の姿はなかった。

あるのは綺麗に折りたたまれた毛布と、ベッドに寄りかかり泣きじゃくる、更に背の伸びたあの少女の姿。

見たことのない大人の女性が少女の背をさすっている。

どこか老婆の面影が見えるその女性は、何も言わず少女に寄り添い続ける。

 僕は、泣きじゃくる少女を見て、もう随分と会っていないあの子のことを思いだした。

この少女のように、元気も勢いもない子だったけど、こんな風によく泣く子だった。

 僕は誰にも気付かれないように、ゆっくり立ち上がると、随分と長く居ついてしまったこの部屋に一礼し、上手く動かなくなった足で歩きだす。

 一面銀世界と化した外へ足を踏み入れると、足元から言葉に出せない程の冷たさが襲ってくる。

特に目的地なんてものは無いけれど、歩くのもやっとだけれど、歩みを止めるのは怖かった。そこで終わりのような気がしたから。

体がいうことを聞かなくなっていく中、頭によぎるのは、あの老婆の姿だった。

窓の外の木をずっと見ていた老婆。

そんな老婆をずっと見ていた僕。

共に、先にあるものとして、先に結末を迎えるものを見ていた。

老婆も僕も結末は知っていた。でも怖かった。目を背けることはできなかった。

季節が過ぎるのが怖かった。季節外れになんてなりたくなかった。

 さっきまで自分がいた場所に新たな命が誕生し、太陽の光を浴び、成長していく。

その場所を、大切な居場所を、自ら譲ったのか、はたまた奪われたのか、分からないけれど。

自分ではどうしようも出来ない、運命という、ひどく冷たく重いものに蓋をされ、新たな命たちの成長すら見届けることは許されない。

春の太陽の光を浴びながら、ぐんぐんと勇ましい成長を遂げていく若いものたちは、

さっきまでそこに何があったのか、誰が寄り添っていてくれたのか、忘れて行く。

知ってはいる。ただ、忘れて行くだけ。

悪いことではない。

仕方のないことなのだ。



 遠のいていく意識のなか、僕を呼ぶ声がした。

懐かしいあの子の声だ。

別れは冬のうちに。春になる前に。

そう思って、格好をつけて別れも告げぬまま、ここまで来てしまった。

僕がいなくなって、いつもみたいに泣きじゃくっていたのだろうか。

僕は何もあげられないから、せめて、泣いてほしくはないけれど、それでもあの子が旅立つ春の門出を、僕との別れなんかで悲しいものにはしたくなかった。

季節と一緒に忘れ去ってくれ。

あの子はよく泣くけれど、同じくらいよく笑う子だった。

同じくらい優しかったし、それ以上に可愛かった。

とびきりの笑顔をもう一度見たいなんて願いは、もう叶わない。

ずっと一緒なんていられない。

にゃぁと、泣いた僕の声は声にならず、吐息になって冬の夜空に消えていく。


ああ、もう一度会いたいな。

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洛葉 圍界 祐真 @kagokai

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