第6話煽られる市民

 『あの日』から三年が過ぎた。


 街の治安はほぼ回復したと言える。もちろん、住人たちの心の傷が癒えたわけではないが、協力し合い助け合おうとする心が芽吹き始めてきたのは事実だ。

 ノワール無き後、雨後の筍のように乱立していた組織の犯罪は撃滅し、警察との癒着も断ち切れたと判断しても差し支えない。

 もはや俺がやるべきことは、この街にはない。さらにヒーローズの生き残りが新しく自警団を立ち上げるとの情報が入った。そのリーダーと身元を明かさずに接触したが、なかなかの好人物だった。かつてのオウルを思い出す……


 というわけで俺は一年ほど前に街から離れることにした。地方ではノワールの残党――まるで害虫のようにしぶとい――が蔓延っているので、それを叩き潰す必要があった。

 ノワールの残党には表の職業があり、中には尊敬されている者も数多く居た。

 教師。医者。警察官。看護師。神父。売店の売り子。企業の役員。コンサルタント。ラーメン屋の跡継ぎ。複数のスーパーの元オーナー。

 いくら挙げてもきりがないほど、ノワールの残党は社会に根付いていた。


 改心している者にも出会った。自分の行ないを悔やみ、生き方を改めようとしている者も少なからず居たのだ。

 俺はその者たちを許すべきかと当人に問うことにした。

 改心を望んでいる者は一様に「覚悟はできている」と答えた。

 俺に殺されることを望む者が多く――俺はそれを叶えた。

 中には死にたくないと泣く者も居て、それは放置することにした。しばらくして自ら死を選ぶ者がほとんどだった。


 悪人や改心を望む者を殺すたびに、俺は自分がすり減る想いを味わった。

 もう心などないと思っていたのだが間違いだったようだ。

 いっそのこと、心など無ければいいと思うことが多々あった。

 しかしそれが俺の罪であり、同時に罰であると受け入れることにした。

 何の救いにもならなかったが。


 こうして少しずつ人としての何かをすり減らしながら、旅から旅をしていたある日、北沢望からメールが来た。

 北壁博士の事件以来、俺に情報を流してくれる間柄になっていた望。そんな彼女からのメールにはこう書かれていた。


 ――ノワールの幹部が脱獄した。


 すぐに俺は望に確認した。


「どういうことだ?」

『あ、ハロー。どういうことって、そういうことだよ。まだニュースになっていないけど、幹部が四人脱走したんだ』

「……看守は何をしていたんだ?」

『正確には刑務官だね。いや、彼らを責めないでほしいな。だって、幹部のほうが一枚上手だったのだから。というかあの四人を三年間も閉じ込めたことが凄いんだよ?』

「……どんな四人だ?」


 望は『後でデータ送るよ』と用心深く言う。


『盗聴か傍聴されてたら私がやばいもん。データはいつもの方法で送るから』

「……勇気はどうしている?」

『うん? ああ、あの子は変わらない。いえ、変われないからいつも通りだよ』


 別に世間話をしているわけではない。必ず会話の中で勇気の話題を出すのが、確認を兼ねた通話時の決まりだった。


「それで、その四人はどこへ向かった?」

『決まっているでしょう? あなたの街だよ』


 分かっていたが、一応の確認だった。

 俺が狂ってしまった、俺が狂わせた――街。

 俺は帰らなければならない。

 そして――狩らねばならない。




 ノワールの幹部の一人、『扇動家のロウ』を狙ったのはそれから四日後のことである。

 奴を最初のターゲットにしたのは、他の幹部と違って時間が経てば経つほど俺が不利になるからだ。あいつは人間を煽る――支配するのではなく、煽るのだ。結果として煽られた人間は奴に誘導されることで狂気となり凶器と化す。

 元々は心理学者の優秀な人間だったが、ノワールのボスに誘われて悪の道を歩むことになった変わり者――いや悪党だ。先の脱走騒ぎで囚人を煽って暴動を起こしたとされる。もしも善人であれば価値が無いとはいえ、世界をよりよいものにできたのに。


 そのロウは俺と対峙している。

 部下を倒して、港のコンテナ倉庫まで追い詰めた。

 銃を構えている俺に対して、ロウは丸腰だった。

 もうすっかり老境に達している老人という印象しかない。普通に引き金を引けば、こいつは死ぬ。


「あれあれ? これでわしを追い詰めたつもり? うけけけ、それは甘いじゃろ」


 煽るロウに俺は「強がりはよせ」と短く言う。会話を続けたらこちらが扇動される。


「追い詰められたのは、お前のほうじゃ。デッドフラワー」


 瞬間――俺に向かって無数の銃弾が掃射された。


「――っ! くそ!」


 スーツを着ているとはいえ、ダメージは甚大だった。

 転がり回りながらコンテナの陰に隠れる。


「見ろ! あれが三年前にこの街をめちゃくちゃにしたデッドフラワーじゃ! あやつは無敵ではない! 無様に逃げておる! だから殺せるのじゃ!」


 煽る声。人々の狂気。俺を殺そうとする。


「くそくそくそ! 罠に嵌められたのか!」


 コンテナを間を縫って、なんとか逃亡を図る――目の前に銃弾が飛ぶ!


「居たぞ! 殺せ! 殺せ!」


 どうやら煽られた市民を使っているらしい。

 俺が市民を殺せないと踏んで、煽っているのか。

 出血が激しい。しかしここで決着をつけなければ奴に煽られる者が増える。

 ふとコンテナの内容物が目に入った――


 ロウは複数の市民に自分を守らせて、その上で指示を出している。

 その場から動かないつもりだ。


「この方法はやりたくなかったが」


 俺はコンテナの鍵を壊して扉を開ける。

 中にはぎっしりの小麦粉。

 中身をコンテナ中にぶちまけて、粉塵を作る。


 俺は携帯を三台持っている。その内の一つ――こういうときのために用意した、壊れてもいいものを置き、その場を離れた。

 十分距離を取ったら、俺はその携帯に電話をかける。


『俺はここだ!』


 音を最大にして、しかもコンテナの中だから反響するだろう。

 あの日のように暴徒と化した市民はコンテナに群がり、そしてよく確認もせずに――コンテナの中を撃った。


 爆発。市民の何人かは死んだだろう。燃え上がるコンテナと爆風で港は火の海となった。市民は逃げ惑い、パニックになってしまう。

 煽った狂気はそれ以上の混乱で消し去られてしまう。簡単だ。


「ひい、ひい、ひい……」


 這ってでも逃げようとするロウに俺は銃口を向けた。


「き、貴様、このわしを殺すのか!? 老人だぞ?」


 俺は何の感情を込めずに言う。


「その言葉、殺してくれと煽っているように聞こえるな」


 そして引かれるトリガー。

 これで残りは三人だ。




 くそ。出血が酷い……

 なんとか市民に見つからずにここまで来たが、もう動けない……

 壁にもたれて、なんとか回復を計る。

 駄目だ、治療が要る。

 光が消えていく。


「どうしたの!? 大丈夫!?」


 女の声。

 意識が次第にフェードアウトしていく。

 最後は虚無になる。




『やめて! やめてよ!』

『助けて! 誰か助けて!』

『気持ち悪いっ! いやだ、いやだ、いやだ――』

『助けて助けて助けて助けて助けて――』

『……殺して』


 俺は、この子ども、つまり俺が助からないことを知っている――




 気がついたら、どこかのマンションの一室だった。

 ベッドの上。包帯が身体に巻かれている。

 動こうとして、身体に力が入らないことに気づく。

 スーツも仮面も取られている。


「あら。気がついたようね」


 幸い顔は動かせたので、声のするほうへ向ける――


「…………」

「なによ? まるで幽霊でも見たような顔ね」


 俺にとっては幽霊よりも恐ろしく、そして――懐かしかった。


「館山、真理……?」


 俺が殺した、死に追いやった、あの人が、そこに居た。


「あなた、姉のことを知っているの?」


 怪訝そうな顔で館山さんに似た女性は言う。


「姉……?」

「私は館山心理たてやましんり。真理は私の姉よ」


 俺は起き上がろうとして――心理に止められる。


「無理に起き上がろうとしないで。まだ回復していないんだから」

「ここは、君の家なのか?」


 状況を確認するために問う。


「ええそうよ。だから安心して」

「……どうして俺を匿う?」


 スーツとマスクで俺がデッドフラワーだと分かるだろう。

 俺の悪名はこの街に轟いているはずだ。

 それにクロックビルを破壊した張本人であり。

 実の姉を殺した俺を――


「人を助けるのに、理由なんて要るかしら?」


 思わぬ言葉に息を飲む。


「少なくとも、あなたがヒーローを志したとき、大した理由なんてなかったでしょう?」


 心理はそう言って、ベッドの近くの化粧台の椅子に座って、俺を見下ろす。


「今は眠りなさい」

「…………」


 俺は目を閉じた。

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枯れた花の英雄譚 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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