幸せのおすそわけ~「水たまりに幸運1滴」

史澤 志久馬(ふみさわ しくま)

幸せのおすそわけ

 昔々あるところに、とても小さな村がありました。農耕で生計を立てる者、近くの町に出稼ぎに行く者、村に一つの学校に通う子供たち。そこに住む皆は慎ましく、幸せに暮らしておりました。

 さて、そんな村には不思議な言い伝えがございます。それは、村の端にある池に関するものでした。村人たちはその池を「幸運の水たまり」と呼び、村の幸福に大きく関わっていると考えていたのです。

 今ではそんな言い伝えがあることなど、一部の長老が知っているのみとなりましたが、私は今回、当時のことを知る、キミさんという方にお話を伺うことができたので、ここに記したいと思います。




 キミさんは当時、まだうら若い少女でした。キミさんが16になった年は豊作で、しかもキミさんの家は、祭りの福引きで米一俵を引き当てていました。これだけでも十分に良いことなのですが、そんなキミさんに願っても無いビッグニュースがやってきます。それは、村の若者、太兵衛との縁談です。太兵衛は誠実な若者で、キミさんはずっと恋い慕っておりました。そんな太兵衛と添うことができるとあって、キミさんはそれはもう有頂天になっていました。

 しかし、結納の時の着物を選んでいる最中に、ふとキミさんを不安が襲います。ここ最近良いことが続きすぎている、これは悪いことの起きる前兆なのでは無いかと。キミさんのおばあさまもよく言っておりました。幸運に溺れていると、いつか不幸に足をすくわれる。

 

 そしておばあさまのことを思い出すと同時に、キミさんの中にもう一つよみがえってきた話がありました。おばあさまが話してくれた、「幸運の水たまり」のお話です。

「不幸に足をすくわれないようにするためにはね、」

 おばあさまは幼かったキミさんに話して聞かせたそうです。

「幸せをおすそわけするのが良いのですよ」

「どうやっておすそわけするのですか?」

 小さなキミさんは尋ねました。すると、おばあさまは優しく笑ってこう言いました。

「お寺の裏のお山を登って行ったところに、きれいな小川があるんです。まずはそこでお水をくんで家に持ち帰るのです」

「それから?」

 キミさんは待ちきれなくて尋ねました。

「それから、くんできたお水を両手一杯分、家の前にまいて、幸せが逃げないようにお願いします」

「はい」

「ここからが少し大変ですよ。村の端っこにある、『幸運の水たまり』を知っていますか?」

「はい」

 幸運の水たまりという名前だけは、何度も聞いたことがありました。けれどもなぜあの池がそう呼ばれているのかは、全く知りませんでした。

「両手でもう一度水をすくったら、今度は手に水を溜めたままその池にゆくのですよ。池に着いたら一滴だけ池の中に水を落として、残りを飲みます。そうしたら、人様に幸せをお裾分けできますからね」

 おばあさまは話し終えるとキミさんに向かって微笑みましたが、キミさんは今ひとつ納得ができませんでした。

「それだけで、おすそわけできるのですか?」

「はい。水たまりにお水を分けると、一緒に幸せも分けられますからね。そういう不思議な池なのですよ」

 そんな池があるなんて、正直信じられませんでした。でも、おばあさまは今までキミさんに対して嘘をついたことはありません。だから、キミさんはおばあさまの話を信じることにしました。

「わかりましたか?」

「はい!」

 キミさんが元気よくお返事をすると、おばあさまはたいそう喜んでくれました。



 着物を選んでいるときにこのお話を思い出したキミさんは、村へ帰ったらおばあさまが話していたように、「幸せのおすそわけ」をしようと思いました。不幸に足をすくわれたくなかったのも事実ですが、自分がおばあさまの足跡をたどりたいという気持ちもあったのです。

 お気に入りの着物を見つけて家に帰ったキミさんは、家にある一番小さな桶を持ってお寺の裏山に向かいました。小さい頃は友達と登って遊んだりもしたものですが、ここ最近はほとんど登ることが無くなっていました。小川に向かう途中で、よく駆け回った広場や、初めて虫を捕った木も見つけて、キミさんの心は幼いときのように躍りました。

 小川は昔と変わらず、美しい流れでした。キミさんは着物を濡らさないように気をつけて水をくみ、帰りは少し急いで下山しました。登るときにゆっくりしすぎたのか、夕暮れが迫っていたのです。

 家に戻ると、いつもならすでに帰っているはずの弟たちがいませんでした。一瞬何かあったのだろうかと考えましたが思い出しました。もうすぐ村の祭りがあるので、その練習に出かけているのでした。

 弟たちの帰りが遅いのをこれ幸いと、キミさんは続きの作業を始めました。小川で組んできた桶の水を両手にすくい、家の玄関の前にまきました。そして目を閉じてお願いします。幸せが逃げませんように、不幸がやって来ませんように。

 


 さて、それではいよいよ幸せの水たまりに向けて出発です。キミさんはまた手で桶の水をすくって、今度は家を出て歩き始めました。水を一滴たりともこぼさないよう、慎重に、慎重に歩きます。途中で小さな男の子とすれ違いましたが、それ以外は誰にも会うこと無く池の畔にたどり着きました。水辺に立ち、キミさんは周りを見回します。

 池は、とても静かでした。周りの自然はとても美しくて、なぜこの池が「幸せの水たまり」と呼ばれているのかがわかるような気がしました。

 キミさんは指の間に少しだけ隙間を空け、手に溜めていた水が一滴だけ池に落ちるようにしました。

 そして、ポチャッと音がすると同時に不思議なことが起こりました。池の水が一瞬桃色に光った気がしました。次にチャパチャパと音がして、池の魚が水面付近を泳ぎ回り、何匹かは楽しそうに跳ねました。キミさんはその時、水たまりが喜んでいると思ったそうです。

 キミさんは、手の中に残る水のことをはっと思い出しました。残りの水を飲みきるのを、もう少しで忘れるところでした。慌てて水を飲み干します。水は、すでに小川からくんでからかなりの時間が経っているのに、冷たく、甘い物でした。

 口を拭ったキミさんは、どういうわけだか、もう大丈夫、という気分になりました。ちゃんと真面目に暮らしていれば、不幸に足を取られることは無い、と。

 その日の最後の光が、村中を美しく照らすときでした。キミさんはよしっとつぶやき、家に帰っていきました。





 そのほんのわずか後のことです。

 キミさんが池に向かうときにすれ違った少年が、幸運の水たまりにやって来ました。少年の顔は腫れ、足にはすり傷がありました。目には少し涙を浮かべていましたが、唇を真一文字に結んでおりました。

 少年は水辺にかがむと、どこで習ったのでしょうか、手で池の水をすくって足の擦り傷にかけ、ついで腫れた頬にもかけました。するとどうでしょう。みるみるうちに傷は癒え、少しの痕が残るのみとなりました。少年はすっかり元気になってたちあがり、来たときと同じようにすばしっこい動きで、その場を去って行きました。

 もしかすると、キミさんが水たまりに分けていった小さな幸運が、少年に与えられたのでしょうか。そんな不思議なことが、この世にあり得るのでしょうか。




 今では、その水たまりがどこにあるのかも分かりませんし、本当に幸せを分けられるのかは永遠に謎のままです。

 それでも、もし水たまりが無かったとしてもキミさんのように幸せをおすそわけできたら素敵ですね。

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幸せのおすそわけ~「水たまりに幸運1滴」 史澤 志久馬(ふみさわ しくま) @shikuma_303

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