第12話 壁際

(妙なことっていうのは、立て続けに起こるもんだな)


 どぎまぎしながら、ゴロタは電信柱の裏に身をすべらせた。

 マンション前にはマジェスタが停めてある。

 きっと、由美の彼氏のものだろう。

 その年齢でマジェスタなんて百年早いぞ、と心の中でひがむ。

 彼氏の話し方は歯切れがよく、聞き取りやすかった。


「由美、やっぱり納得がいかないよ。もう一度、ゆっくり話そう」


「さっき、関内でたくさん話したじゃない。せっかく来てくれて悪いけど……あたしの気持ちは変わらないから」


 よく見ると、彼氏は糊のきいたラルフローレンのポロシャツに革靴を履いているのに、由美は家用の古いTシャツを着て、サンダル姿で彼と話していた。

 どうやら、由美は彼との話が終わり、いったん家に帰ったものの、彼氏が追いかけてきたらしい。


「健太、あたしたちは別れるべきよ。だから、もう終わりにしよう」


「由美……!」


「もうすぐ、お兄ちゃんが帰ってくるから」


「由美、悪いけど、お兄さんとはあまり一緒にいるべきじゃないよ。はっきり言って、落ちこぼれじゃないか」


 なんだとう。

 健太とやらへの同情心が、ゴロタから失せてゆく。


「そうかもね」


 由美の答えに、ゴロタは「だよね」と小声でうなずく。

 電信柱に抱きつきたい気分だ。


「このマンションを出て、おれと暮らそう。絶対におまえを幸せにするから」


 息を呑むゴロタ。

 由美は、ゆっくりと力強く、首を横にふった。


「あなたのそういうところが、あたしは許せなかった。あなたは、誰かと自分を比べて、優位に立つことが幸せだと思ってる。あたしの肌には合わないわ」


 陰ながら喝采を送るゴロタ。


「たしかに、兄はダメな人だけど……でも、あなたが知らない、知るはずもない部分をあたしは知ってるわ。そういうことも想像できないで、平気で悪口を言うような人とは、あたしはこれ以上一緒にいられない」


 遠くからでも、健太とやらは、顔を紅潮させ屈辱で震えているのがわかった。

 いつでも飛び出せるよう、ゴロタはやや前傾姿勢になる。


「何様のつもりだよ。下手にでてりゃ、調子に乗りやがって!」


「もういい。これで、話は成立ね。元気でね」


 毅然と決意を伝えると、由美は男に背を向け、ぴんと背筋を伸ばしてエントランスの中へと入っていった。


 哀れな男は、ぽつんとその場に立ちすくみ――沸騰したような勢いで身を翻し、マジェスタのドアを開けた。

 荒っぽいエンジン始動で、高級車が去ってゆく。


(ごめんな。おまえさんの言っていることは、正しい。ただ、由美はああいう女なんだ)


 ゴロタは、彼が残していった排煙の中を突っ切り、エントランスへ向かった。


(由美よ、おまえは本当に生意気な妹だ。昔からそうだった。おれにとっては、おまえこそろくでもない妹だった)


 でも……

 ありがとうな――。


 部屋に入ると、電気もつけずに、由美はソファに座ってテレビを観ていた。


「目え、悪くすんぞ」


 照明のスイッチを入れ、ゴロタは彼女の横に座った。


 なにも言わず、由美は抱えていたポテトチップスをゴロタに渡してくる。

 二人でバリバリと音をたてながら、芸能人の内輪話がつづくバラエティ番組をぼんやりと見やっていた。


「久しぶりにさ、今度、お母さんに会いにいってみよっか。あたしたちでさ」


「ああ、そうだな」


 それだけで会話は終わった。

 となりにいる妹が微笑んでいることを、ゴロタは肩ごしに感じていた。

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