第9話 由美の視点~伝えたかったこと~

 工房の中は、古木で組まれた豪胆な外見とは異なり、きちんと整理されていた。

 作業用の木机の下に架けられた板に、ろくろや鉋などが乗せられている。

 壁に据え付けられた長い木板には、素焼きや本焼きで出来た様々な作品が置いてある。

 茶碗やおちょこといった小さなもの、壺や急須といった大きなものが、種類別に分けて並べられていた。


 由美は陶芸には詳しくないが、元々は土だったはずのものが、こうして悠然とした、あるいは洒脱な雰囲気を備えて形になっていることに、神秘的なものを感じた。

 西洋の陶器とは違って左右が対象ではなく、自然の力とその本来の性質を反映させている姿は、例え歪なものであってもそれぞれが個性的で、ある種の威厳さえ漂わせていた。

 この空間にいると、自然と気持ちが引き締まってくるような気さえした。


(梅田さんは、なんでこの道を選んだんだろう。美香さんと関係のあることなのかな)


 兄は古いパイプ椅子に座り、この間に広がっている作品に目を通していた。

 タバコを吸おうとポケットに手をやったが、少し考えたそぶりをみせると、その手を引っ込めた。

 ガチャリ、と扉が開く音が聞こえた。

 しかし、由美もゴロタ兄も、ふり向いたりはしない。

 その覇気のない音は、開け手の気持ちを代弁していた。


 その人――梅田昌行は、ようやく声を発した。


「コーヒーはいるかい」


「ああ。すまねえな」


 淡々と用意する彼と、少しずつ伝わってくる苦い匂い。

 それだけが、この部屋の中で動的な存在だった。


「君は、なにも言わないんだね」


「そんなに、無粋にみえるか?」


「無神経なところありそうだからね」


 ゴロタ兄は苦笑し、由美は声を立てて笑った。

 ごめん、と梅田は頭を下げた。


「君は、美香に頼まれてここまで来てくれたんだね。ありがとう」


 という呼び名。

 そこには、梅田と彼女だけの物語が含まれていた。


 兄は、どうというわけでもないように腹をさする。


「まあ、そんなとこだな」


「美香とは、昔からの友達なの?」


「ん、大体、五年くらいかな」


「やっぱり。ときどき、彼女は話してたよ。会社で出会ったおもしろい人がいて、バカな話で元気づけてくれるって。それが、君だったんだね。たしか、ゴロタっていう名前も言っていたと思う。ごめん、おれ、あんまり記憶力よくなくて……。わざわざこんな所まで来てくれる君のこと、彼女は本当に信頼してるんだと思う。とにかく、ありがとう」


「別に……」


 片手で頭をかき、もう片方で腹をさすっている。

 兄は忙しい。


「仕事だからよ」


「彼女が、君に頼んだのがわかる気がするよ」


 そう言って、梅田はいつも座っているであろう作業用の丸椅子に腰を落とした。


「もう知ってると思うけど――おれは、美香の恋人だった」


 ゴロタ兄は、ただ小さくうなずいていた。


「彼女とは、大学時代に知り合ったんだ。校舎の隅で、彼女がある掲示板を食い入るように見つめていたのを、よく覚えてる。彼女を見たとたん、おれの時間は止まったんだ」


 梅田は顔を赤らめていた。


「少し、大げさかな?」


「いや。いいから、つづけろよ」


 兄は冷静……には見えた。

 実際は違うのだろう。

 梅田は照れ笑いを浮かべ、つづけた。


「掲示板に貼られていたものは、陶器のポスターだった。そのときは、一体なにが彼女を引きつけたのはわからなかったけど、今ならわかる。それは、雷鳴のような緋色がたてにはいった黒地の備前焼の器だった。焼いたときに起こる様々な自然現象が現れた奇跡的なものでね、狙って作れるようなものじゃない」


「それで、あんたは陶芸をはじめたってのか?」


 目を細め、梅田はなんともいえない表情を浮かべた。


「彼女が興味を示した〈美〉ってやつがなんなのか、知りたくなったんだ。もちろん、そんな彼女のことも。それから、おれは彼女を見るたびに目で追いかけるようになった。なかなか、声をかけられなかったけどね」


「わかる」


「それなのに、どうして、おれは彼女に対して勇気を出せたんだろう。どうして、おれたちは一緒になれたんだろう――。ようやく声をかけて、ようやく二人で出かけられるようになって、ようやく告白できたときのことは、もちろん覚えてる。でもね、なんと言ったらいいんだろう……そういうのって、記憶だけが美しくなっていって、いつしか、今現在の自分から離れていくんだ」


 梅田はコーヒーをちびりとすすり、工房を見まわした。


「ここに、美香のものはない。彼女のこと、思い出す辛さに耐えられなかったから。でも、彼女は。美香は――」


「おまえさんに、歩み寄ろうとしてる」


 ゴロタ兄の声は静かで、それでいて力強かった。

 目をつむり、結んだ口の端が梅田青年の苦悩を物語っていた。


 この青年もまた、臆病なのだ――。


「おれが何をやったって、美香は応援してくれた。そして、それが……いつの間にか、おれにとって苦痛になっていった」


「それ、どういうことですか」


 つい口を出したものの、余計なことかもしれない、と由美は思った。

 だが、梅田は律儀にも言葉を整理しようとしていた。


「美香のおかげで陶芸のことが大好きになってね。それで、美大を受け直して本格的に陶芸を勉強しはじめたんだ。でも……残念ながらぼくには才能がなくてね。成績はいつも最悪だった。それでも、陶芸が好きだからなんとか頑張ってたんだけど、将来が不安でしかたなかったんだ。卒業してどこかの陶芸教室で雇ってもらえても給料は少ないし、誰かのアシスタントをしたり、修行に出たりしても、収入に期待はできない」


 彼はため息に近い呼吸をし、そろりと、自分の作品群をながめた。


「だから、美香とあのまま一緒にいても、彼女を幸せにすることはできないと思ったんだ。ぼくには、プロの陶芸家になるっていう夢がある。ちゃんと、作品が売れるようなね。けれど……それはいつになるかわからない。今だって、この恵まれた環境で陶芸に関わってはいられるけれど、収入はお小遣い程度のものしかない。先行きの見えないぼくの道に、彼女をつき合わせたくはなかった」


 わかる。

 彼の言っていることはよくわかる。


 でも――


「なあ」


 ゴロタ兄は梅田に向かって、あごを突き出した。


「ちょいと、外出ようぜ」

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