第8話 由美の視点~届けものを~

 息を切らし、肩を上下に揺らしながら膝に手を当てるゴロタ。

 天を仰ぎながら、呼吸を整えている梅田。


「くそお、負けたか」


「兵法を勉強するんだな、青年よ」


(どうやら、バカ兄貴が勝ったらしい。どうでもいいけど)


 由美がようやく追いついたときには、二人の男はぜえぜえと息を出し入れしながらも、実に爽やかな顔をしていた。

 こういう、男子の意味不明な生態には、由美は首をひねるばかりだ。


「ほら、天啓ってやつだ」


 少年のような表情で、梅田が土だまりを指さした。

 見ると、焦げ茶色のモコモコしたモグラが地中から這い上がって、陽を浴びた地面を横切ろうとしていた。

 梅田はニカッと笑った。


「モグラがお日さまの下に顔を出して、しかも歩いていくのはとても珍しいことなんだ。もしかしたら、頑張ったおれたちに対するご褒美なのかもね」


「んじゃ、しけた頑張りでも、おてんとさまは見ていてくれるってことか」


 おてんとさま――。


 兄とは思えない青臭い反応だし、セリフだ。


「そうだといいよね。前向きにとらえなきゃ」


「あんた、ロマンチストだな」


「かもね、こんな場所にいるんだから。おれは梅田昌行。もう知ってるみたいだけど、いちおう、自己紹介しとくよ」


「おれは、山田権。ゴロタって呼ばれてる」


「その妹で、由美です」


 梅田は、夏に映える白い歯をみせ、二人の挨拶にお辞儀をする。

 笑顔も満点。

 なるほど、これは兄に勝ち目はないと、由美は心内で大きく頷いた。


「由美さんに、権さんか。それにしても、ゴロタっていうのは、ずいぶんおもしろい仇名だね」


「ごろついたり、ゴロゴロしてたりしたら、そんなふうに呼ばれてた。周りの連中、単純なんだ」


 ハハ、と梅田があいづちをうつ。


「梅田さんは、ここで何をしているんですか?」


 兄のサポートという意識はないが、由美は彼とするべき会話の流れを整備してみようと思った。


「陶芸だよ。師匠のアシスタントしながら、修行してるんだ」


「じゃあ、あのドラム缶は、陶芸で使うものなんですか?」


「釉薬だよ。陶器に塗って一緒に焼き上げるのさ。楽しいよ」


「ふうん。給料はいいのか?」


 整備した道に泥をつけるゴロタ兄。

 由美はそんな兄をにらむが、彼はいたって能天気な顔をしている。

 こういうところも、父に似ていた。

 しかし、梅田は嫌なそぶりも見せない。


「ぜんぜんだよ。まあ、師匠の奥さんが食べものを持ってきてくれるから、食うもんには困らないけどね。ここは、昔、おれの師匠が使ってた古い工房で、今はおれが使わせてもらってるんだ。住まい兼修行場ってところだよ。すごく気に入ってるんだ」


「わかるよ」これには、素直に首をたてにふる兄。


「そいつは、うれしいな」


「まあ、おれも似たような環境で仕事してるしな。修行っていやあ、修行かもしれねえし……。あんたみたいな、立派なもんじゃねえけどな」


 二人の男のやりとりを前にしながら、由美は不思議なものだな、と思っていた。

 いきなりふっかけた兄の誘いに応じたところといい、物腰や雰囲気こそ違うものの、梅田という青年はどこか兄に似ている。

 しかも……共に、同じ女性に恋をし、人気ひとけを阻む場所で生きている。


 でも――梅田青年の方は、その女性を一度はものにし、今は、自分の選択をものにしていた。


 工房を背にして立つ彼は、その光景によくなじんでいた。

 人を比べるのは、由美は好きじゃない。

 しかし、似ていて対照的な二人を目の前にしていると、あることを考えざるを得なかった。

 兄のゴロタは、なにかを捨てる先に、選択肢を作ってはこなかった。

 失ったものを嘆いてきたはずだった。

 うまく立つことができずにいた。

 本来は、強靭な骨を持っているはずなのに。


 けれども、ようやく今は――


 がっしりとした肩から伸びた浅黒い手で、ゴロタ兄は古びたバッグのホックを開けようとしていた。


「ゴロタ君も、田舎で働いてるの? どんな仕事だろ」


 会話をつづける梅田に、ゴロタ兄は答えを差しだした。


「こいつを届ける仕事さ」


 梅田の前で浮かぶ手紙は、兄の手によって裏に返された。

 そこにある差出人の名前を見て、梅田青年の雰囲気は、それまでと一変した。


「これは、あなたへの手紙です」


 すっとした眉を一文字に寄せ、そこに誰もいないかのように、青年は手紙を掴んだまま立ち尽くした。


「よう、勝手に入ってるぜ」


 そう言うと、ゴロタ兄は顎で由美をうながし、工房の中へと入っていった。

 由美も、その後につづいた。

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