第三章 晴れ間の向こうには 第1話 馬鹿かな
「太郎くうん、君はバカかね?」
「あんだよ、やぶからぼうに」
「やぶからぼうじゃあ、ねえよ」
ゴロタは、目の前の男を見て、深くため息をついた。
サーフボードを抱えた太郎は、トランクス一丁で、海辺の駐車場に立っている。
今日は、二人で館山の海にサーフィンしに来たのだった。
「水着、忘れちまってな。大事な思い出と共にさ」
なぜか、彼の目は太平洋の彼方を見据えている。
「波、けっこう激しいぜ。そのお宝をさらわれたら、おまえ、まじで捕まれよ」
「わあ、きれいな海だなあ」
やれやれ、とゴロタは首をふる。
どうも、近頃はつっこむことが多い。
いや、タケ爺と出会ってからか。
今年に入ってから、はや七カ月以上経っていた。
ここまでは、月に四、五件ほどの依頼をこなしている。
タケ爺の話によると、客からの報酬はまちまちで、十数万円払う人もいれば、千円くらいしか払わない人もいたらしい。
もっとも、そういう利益からではなく、タケ爺のさじ加減で給料をもらっているゴロタには関係のないことだが。
今年になっても、色々な依頼人に出会った。
喧嘩別れした親、昔好きだった男の子、命を救ってくれた消防士、連絡の途絶えた恩師――。
そうした人たちに今でも忘れ難い想いを抱いている彼ら、彼女らの手紙を、ゴロタは届けてきた。
手紙を預かり、渡す。
そんな単純な過程の中に、何ものにも代えられない価値を見て、触れてきた気がしていた。
去年の冬に出会った明美からは、ちょくちょくメールをもらっていた。
松田友則は東京で職人をつづけ、明美は律子の家で一緒に住むことになり、今は指宿の温泉旅館に勤めている。
友則とも定期的に連絡を取り合っているらしい。
この仕事も、あと一カ月ほどで終わる。
悲しみの森は、十年に一年しか不思議な力を見せないのだ。
そう言ったタケ爺とゴロタが出会ったのは、去年の八月のことだった。
ゴロタは、サーフボートにのんびりとまたがり、遠くに揺れる波を見ていた。
燦々と照りつける太陽の光が、海面にも人にも分けへだてなく注がれてゆく。
「なあ」同じように波に揺られている太郎が、ゴロタへひょんな質問を投げてきた。
「おまえ、あのコとはどうなってんの? 美香ちゃんだっけ」
「なんだよ、いきなり」
「本官の質問だ」
ゴロタは苦笑する。
彼ほど「本官」という言葉が似合わない警官を、ゴロタは知らない。
「最近は会ってねえな」
「ぼやぼやしてると、他の男にとられちまうぜ」
(他の男か――)
考えたことがないわけじゃない。
彼女が最後に彼氏のことを話したのは、あの日、喫茶店で泣いたときだけだった。
でも――
今までは認めたくなかったが……本当は、なんとなく気づいていた。
きっと、彼女は今でも――
と、ゴロタの思考をさえぎり、太郎が大きな声をぶつけてきた。
「いつも最高の状態で、最高のタイミングがやってくるとは思わねえ方がいいぞ。そううまくいきゃあ、しねえよ。最高じゃなくても、トライできそうなタイミングだったら、それにのってみりゃあいいんだよ。波乗りみてえにな」
「それって、どんなタイミングだよ」
我ながら情けないな、と思いながらもゴロタはそう聞き返していた。
珍しく太郎が真面目な話をしているものだから、なんだか調子が狂っている。
「ブルース・リーも言ってたじゃねえか。『考えるな、ただ感じろ』ってな。おまえ、喧嘩だとかロクじゃねえことには、感じるままにしてきたじゃねえか。そいつを、誰かにも向けて見ろよ」
波をたゆたう体が、海面から反射される光できらきらとしている。
ゴロタは腕を組み、広い空に目をやった。
「ちょいと、勇気が出てきたような気がする」
「たまには、おれもいいこと言うだろ」
「おれは、ダメな男だよな」
「そりゃそうだろ」太郎は容赦ない。
「おまわりさん。ダメ出しついでに、帰り、かつ丼でもおごってくださいな。今月、ピンチなんです」
「本官は、巡回してきますう」
そう言いのこすと、トランクス姿の本官はパドリングをはじめ、ふくらんだ波にトライしだした。
ゴロタの位置からはよく見えないが、わきたつ波しぶきから本官の背中が確認できた。
どうやら、ボードに立つところまではうまくいったらしい。
が、その波は誰ものせることなく、浜辺へと走っていった。
すぐそこには、太郎のボードが裏になって漂っている。
不良警官はプハッと海面から顔を出すと、海水を吐き出した。
「ちっくしょう! でも、本官は再トライいたします!」
ボードを表にすると、彼は早速、そこに大きな体を乗せた。
腹を抱えるゴロタ。
「あんだよ、この野郎」
「太郎、した」
そこには、あるべきものがなかった。
代わりに、太郎の白い尻が丸出しになって、太陽の光を浴びている。
「いやあああ!」女子のようなそぶりをみせる太郎。
「おれのパンツは貸さねえぞ」指を差して笑うゴロタ。
さて、とゴロタも次の波にのろうとしたとき――ボードの先端に、緑色の布が引っかかっていた。
本官が履いていた布きれらしい。
「ゴッド・ブレス・ユー」太郎が言う。
そんな持ち主に中指を立てるゴロタ。
ふたつのバカみたいな声が、大きな海原に放り出されていった。
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