第30話 返答
「ここにいれば、会えるのか?」
ゴロタは、目の前にいる侍――山田源作の記憶を共有していた。
今いる夢の中のような空間は、その記憶をより鮮明にさせる場所なのだろう。
この侍と共に、ゴロタは遠い昔に想いを馳せている。
「あれから……ずっと、おくにを探している。待つということも、探すことのひとつさ。このオオモミジは、おれたちの始まりと終わりを見た。だから、ここにいればきっと、彼女は向こうから――」
そう言って、源作は寂しそうに笑った。
「後悔してるんだろ。あんたがやったこと」
「後悔、だって……?」
彼は口を開け、わざと腹を抱えて笑ってみせた。
それは、自分自身を呪うかのような響きを含んでいた。
「後悔という言葉じゃ、もう表せぬ。よいか。後悔ってやつは、そこに希望があるから、生まれるものなのだ。つまり、なにかにすがりつける余地があるってことだ」
「あんたはちがうのかい? すがりついてるように見えるけどな」
「おれは……約束を果たしたいだけだ」
源作は、遠い目をしてつづけた。
「すまぬな……。本当は、おぬしのことは、この森に来る前から知っていた。いや、おぬしだけじゃない。おぬしの父も妹も、その前の父も、その前の前のおぬしの先祖のことも。おれは、おぬしがまたここに来られるよう密かに祈っていたのだ。そして、その祈りが通じた」
「……おぬしだらけだな」ゴロタはくすっと笑った。
「京に残した子供は、無事に生きたんだな。んで、それが、おれと由美にまでつながってんだよな。あんたのおかげで、おれは今、めったにできないことができてる。それに……しのごの言っても、あんた、やっぱり希望を持ってるよ」
霧がぼやけてきている。
もうすぐ、時間のようだ。
源作はゴロタの前に姿を現してから初めて、快活な笑みを見せた。
本来は、そういう男なのだろう。
「このオオモミジは不思議な奴でな。十年のうち一年だけ、誠実な想いをもった人間を呼び寄せる。で、そういう依頼人からの手紙を託された昔田やおぬしのような届け人に、かの想い人までの道筋にいたる記憶を伝えるのだ」
ふり返り、彼はその木肌を撫でた。
「とはいっても……もう昔田から聞いていると思うが、オオモミジは直接、その力を使うことはできない。だから、おれがこの木の意を汲んで、土地を管理する昔田に〈森の番人〉としての力を授けたのだ。おぬし……というか余人にはわかりがたいことかもしれんが、おれとこの木は、もはや親友のような間柄でな。互いに力を貸すことも、ままある」
ゴロタが曖昧な様子でうなずいていると、侍はかすかに口端を上げた。
「おれはこの木の力を借りて、おぬしとこうして、このどこでもない世界で話すことができている。本当は、外の世界でも話すことができるのだが、霊なりに体力を消耗してしまうんでな」
ひとつ、息をつき、彼はつづけた。
ゴロタと同じように腹をさすっている。
「こんな体になってからは、それなりに摩訶不思議なことができるようになった。木や岩を通り抜けて、たまに、子孫の様子を見にいったりな。このオオモミジに力を借りてはいるが、おぬしには、おれ自身の記憶まで共有させることができた。とはいえ、外で目が覚めているときに、いきなり記憶を共有させることはできぬのでな。だから、まずは、そいつを共有できるこの夢の空間の中におぬしを呼んでいたのだ。
先ほど話したとおり、もう記憶は授けた。おぬしが目覚めた後も、ここでの記憶は残っているだろう。今まではな、まずはおぬしを眠らせてここに呼び出し、おぬしがその記憶を受け取ることに慣れさせていたのだ」
「じゃあ、結局は……授ける気、満々だったんじゃねえか」
「まあ、そうなるな」
ゴロタは渋い顔をし、それから笑った。
源作も、同じように笑った。
ふたつの笑い声が重なり、白いもやの彼方まで、心地よい振動が届いてゆく。
ふと、思い出したようにゴロタが言った。
「どうして、あんたの記憶を共有させようと思ったんだ?」
「知ってほしかったのだ。この時代にまでなっても、勝手な性分はなかなか直らぬものでな。血のつながる者に、おれとおくにの……あの時代の物語を知ってほしかった。だから、大人になってからのおぬしが再びここにやってきたときは、本当に嬉しかったんだ。とはいえ、本当にすまぬと思っている。おぬしがどう思おうと、おれの勝手な行為だからな」
「ここまで巻き込んでおいて、今さらなに言いやがる」ゴロタはかぶりを振った。
「言ったじゃねえか。めったにできないことができてるって。それによ……おくにさんに会えること、祈ってっから」
薄れゆく光景の中で、穏やかにうなずく源作。
すると、ぼやけた影となっていった。
「ゴロタよ、想いを運べ。誰でも、想いは持っている。あの無口な男でさえ」
ああ、松田さんのことを言ってるのか――。
ゴロタは松田の不愛想な顔を思い浮かべた。
「時間だ」
そう言ったとき、源作の姿はすでに透明になっていた。
「なあ、そこにいるのはいいけどよ。あんた、遠くを見ようとしすぎてる気がするぜ」
自分の声が彼に届いたのかどうか、ゴロタにはわからない。
もう、彼の姿も、辺りの霧も消え去り、どういう色ともいえない無が広がっていた。
想いがめぐること――
それは、時代をまたいで、誰かに受け継がれるものなのだろうか。
やがて、元いた世界の景色が輪郭を見せはじめた。
ロッジに着くと、ゴロタはしばらくぼんやりとした。
午後のおやつ時になると、タケ爺もやってきて、二人でコーヒーを飲みながらコアラのマーチをつまんだ。
雑談のネタが尽きてくると、バルコニーに出て、ロッキンチェアーに腰を下ろした。
深くタバコを吸う。
ただ、ゴロタの気持ちは落ち着かなかった。
「どうやら、おれは、あの侍の末裔らしいす」
長いまつ毛の眉を片方上げてみせるタケ爺。
ゴロタは、探るようにつづけた。
「気づいていたんですか?」
「どことなく似てるからな」
腹をさすり、ゴロタは髪をなでつけた。
宙に漂う煙をぼんやり顔で眺めながら、タケ爺はまた口を開いた。
「由美ちゃんには由美ちゃんの、ゴロタにはゴロタの色がある。人は、誰にでも色がある。その色を磨いていけばいい。誰かと比べる必要はない」
空を見上げる。
天に向かうようにそそり立つヒノキの枝々に、凛とした葉がゆらめいている。
東からの風をうけた雲が、のっそりと西へ動いていた。
「ありがとう」
ゴロタは頭をかきながら、ぼそりとそう言った。
タケ爺は長い枝で火をつつき、悠然としていた。
「あとな、弱くて駄目な自分を忘れるなよ」
あんだよ――
そう返そうと思ったが、ゴロタは小さくうなずいていた。
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