第15話 ザ・ロード

 レンタカーに乗りこむと、さっそくゴロタたちは出発した。

 ここから指宿なら、三時間もかからないだろう。

 ハンドルを握りながら、助手席に座るアケミにゴロタは話しかけた。


「アケミって、源氏名なのか?」


「いえ、カタカナにしているだけで本名です。夜が明けるの〈明〉に、美しいの〈美〉で明美です」


「源氏名使わないなんて、変わってるな」


 明美は答えず、微かに口端を上げる。

 後ろにいるタケ爺は早々と眠っていた。


「指宿なんて、高校のときに温泉旅行に行ったきりだわ」


「へえ、鹿児島に住んでりゃあ、しょっちゅう行ってそうなもんだけどな」


「東京の人が、年に一回、東京タワーに行けばいいようなものですよ」


「なるほど、そんなもんか」


 近代的な風景を通り過ぎると、畑や家族でやっているような古風な店が目立つようになってきていた。

 南国の穏やかな街道にはヤシの木が多く植えられている。

 途中でタケ爺が起きると、車中はとたんに賑やかなものになった。

 タケ爺はブルースリー、ゴロタはロバート・デニーロの物真似をしてみせる。

 その間、明美はずっと腹を抱えていた。


 やがて、左手に鹿児島湾が見えはじめた。

 遠く、桜島がそびえている。

 陽光に煌いた海面が風を誘うように踊っていた。

 明美はウィンドウを開け、穏やかな表情で風を受けている。


「なんか、こういうのって、久しぶりです」


「若いのに、出不精なのか?」と、タケ爺。


「いえ、外に出るのは嫌いじゃないんです。ただ、行動範囲が狭いんです。いつからか、そうなっていました」


「なるほど」


「そういうのって、わかりますか?」


「その繰り返しだ」ゴロタが横から言うと、明美はくすりと笑った。


 ちらと、ゴロタはバックミラーを見た。

 タケ爺は鼻をほじっている。

 ミラー越しに目が合うと、タケ爺は懐をたたいてみせた。

 松田の手紙が入っている場所だ。


「道筋は、見えているな?」


「はい、だいじょうぶっす」


「友則は、恵まれているな。あと、おまえさんも」


 あのオオモミジは、選ばれた人物しか受け入れないものとゴロタは思っていた。

 だが、この旅も今まで通り、行き先までの道筋が見えていた。

 おそらく、今回は特例なのだろう。


 それにしても――


 ゴロタは、手紙を届けに行く度に思う。


 目的地までの道ってやつは、泥や土なんかで隠れていただけで、本当は、ずっとそこにあるものなのだと。


 車内には、どこかで聴いたことのある曲が、鼻歌でゆったりと奏でられていた。

 明美からだ。

 メロディーは、ボブ・ディランの〈ライク・ア・ローリングストーン〉だった。



 閑散とした道の駅で昼食をとった後、タケ爺は「少し、仮眠をする」と言って、車の中へと戻っていった。

 寝たりはしゃいだり、忙しい老人だ。


 なんとなく手持ち無沙汰になったゴロタは、明美と一緒に小さな庭園を散歩することにした。

 道の駅に隣接した庭園は綺麗に整えられていて、鮮やかなピンク色をしたカトレアが優美に佇んでいた。

 ゴロタと明美は、その花が植えられた一角の近くにあるベンチに腰かけた。


「あの」


「ん?」


「ゴロタさんは、わたしがなんでこの旅行についてくることにしたのか……わたしに何があったのか、聞かないんですか?」


「そんな昔のこと、どうでもいいさ」


「あっ、ハンフリー・ボガードみたい」


「あれれ、明美ちゃん、若いのに知ってんのか」


「意外と、クラシックな映画が好きなんです」


 彼女は、くすりと笑った。

 こうしていると、夜の商売をしている女性には見えなかった。


「それによ、どのみちわかるだろうしな。この仕事をしてりゃあ」


「タケ爺さんといい、二人とも探偵なんですか?」


「そう言いたいところだけど……おれたちは、ってとこかな」


「なんか、楽しそうなお仕事ですね」


 遠慮しているのか、明美はそれ以上のことは聞いてこようとしなかった。

 ゴロタは、口の中にたまった空気を吐き出すような口調で言った。


「バイトみたいなもんだよ。いい年こいて、プータローと大して変わりゃしねえ」


 明美は、「そう」と小さく声に出し、ぶらりと足を投げ出した。


「なにか、やりたいことはあるんですか?」


「うーん、そうだなあ……いちおう、大学出てからは、基本的にウェブデザインの仕事をしてたんだけどさ。でも、会社は転々としてたよ。ダメな奴でね」


 苦笑し、ゴロタは下を向いた。

 スニーカーの先に、赤みがかった土がついている。

 先日、バーベキューをした際についたものだろう。

 そういえば、あのときと同じ靴だ。

 そのときの情景が思い浮かんだ。

 侍に、由美に、タケ爺に、見慣れた木々。

 そこで、切ない気持ちになったり、笑ったりした。


「やりてえことは、これから作りたいとは思ってんだけどな。まずは、そのやりてえことを続けるための、体力をつけなきゃな」


 なかなか、自分自身にはしっくりくる言葉だった。

 一服したくなったが、ここは禁煙ゾーンだ。


「ゴロタさんは、きっとうまくいく気がします。なんだか、わたしも元気がでてきました」


「明美ちゃんは、いい奴だな」


「どうでしょうか」


 彼女は目をそらし、アネモネに目をやった。

 長いまつ毛が、その向こうに見える灰色の雲と重なった。


「明美ちゃんはやりてえこととか、あんのか?」


 固く唇を結ぶと、慎重に言葉を選ぶように彼女は言った。


「そのうち、カフェをやってみたいですね」


「おお、いいじゃん。似合うぜ」


「でも……先のことはわからないです。ハンフリー・ボガードじゃないけど」


 自嘲するように口端を上げる明美。


 ゴロタは「喉、渇いたべ」と明美に声をかけ、自販機へと小走りで向かった。


 戻ると、明美は微笑み、礼を言った。


「このドライブ、なんだか不思議ですね」


 プシュッと缶コーヒーを開ける音がふたつ。

 ひとくち口をつけると、彼女は凛と咲くアネモネに再び視線を落としていた。


「松田友則――。あの人はね、わたしの幼なじみなんです。年が離れていますけど」

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