第13話 縁

 中に入ると、『いらっしゃいませえ!』と、ドレスを着たお姉さん方に迎えられ、蝶ネクタイをつけた男に黒いソファへと案内された。

 お定まりのミラーボールに、細長い電灯が等間隔で据え付けられた壁。

 だらしない顔つきをした男たちと、そつなく色気をふりまく女たちが、ガラステーブルに並べられた酒瓶とデカンタを囲んで、妙な社交場の雰囲気をつくりだしていた。


 ゴロタは深く息を吐き、新橋辺りのお父さんがそうするように、ぎゅっぎゅっと、おしぼりで顔を拭いた。


「どうした、疲れているのか」


「いや、心は浮き立つんだけど、どうもこういう場所は落ちつかなくて」


「若いくせに、つまらんことを言うなあ。こういう場所は、落ちつかない自分を楽しむものだぞ」


 やれやれと、ゴロタはタバコに火をつける。

 そもそも、初対面が苦手なのだ。

 とはいえ、腰をふって前を歩く女の尻に、視線がひとりでについていってしまう。


「それでいい」と、タケ爺がいやらしい目をゴロタに向けてくる。


 タバコを一本吸い終わると、「失礼しまあす」という甘ったるい声が頭上からふってきた。

 見ると、二人の若い女が、なめらかなシルク素材のワンピース姿で立っている。

 タケ爺は、中心に〈一鉄〉と書かれた藍色の扇をあおぎながら、彼女たちを招いた。


「ああ、よく来たね、おれの女神たち。オレンジ色の服の君は、こっちの坊やについておやり」


 そのオレンジ服の女は、タケ爺のスケベ面をまじまじと眺めてから、「わかりました」としなるような声色をだし、ゴロタの左横に体をすべりこませてきた。

 座った瞬間、彼女のつけているエンジェルハートの香水の香りが、鼻を甘くくすぐった。

 彼女は、ほんのりとしたブラウンの巻き毛をなびかせ、奥二重の涼やかな目元をしていた。


(おいおい、じいさんたら、いいとこあるじゃんか)


 ゴロタにとっては、タケ爺についた化粧の濃い女よりも明らかに魅力的だ。


「アケミです。よろしくお願いします。九州は、はじめてですか?」


「ああ。やっぱり、よそ者だってわかんのか?」


「ここに来るのは、地元客か観光客のふたつにひとつですから」


 そう言うアケミの口調は聞きなれた標準語だった。

 もしかすると、東京辺りにいたことがあるのかもしれない。

 それから、彼女は滑らかな手つきで水割りをつくっていった。

 アケミは、ゴロタにとって話しやすい相手だった。

 小学生のような下ネタには適度にあいづちをうってくれるし、その他のくだらない話にも大げさな身振りはせず、おもしろいと思ったところにだけ自然と笑ってくれた。


 結局、アケミだけをつけたまま三時間が経った。


 タケ爺はといえば、終始、いやらしく、かつ少年のようなあけっぴろげな笑顔をみせ、つく女性つく女性に酒をふるまい、彼女たちを女王へと導いていた。


 いい頃合いだと思ったのだろう。

 時計を見ると、タケ爺は「よし、しゃぶしゃぶに行って、バーにくりだすぞゴロタ」と威勢よく言い、その勢いのまま、普通の会社員は正視したくない会計を済ませてしまった。


 店を出るときには、従業員全員がタケ爺に頭のてっぺんを向けていた。

 そんな老雄と肩を組み、ゴロタは意気揚々と階段を上がっていく。


「こういうときは、かっけえなあ、タケ爺」


「こういうときも、だ」


 見送ってくれるアケミらに向かって大きく手をふり、ゴロタとタケ爺は大通りへと向かった。

 が、大通りに出ると、すぐにタケ爺はゴロタの手を肩からはずし、近くの路地裏にまわりこんだ。

 ゴロタがまさか……と思う間もなく、老人は先ほどまでの戦果の代償を口から支払いはじめた。


(やれやれ、柄にもなく伊達男を気取るからこうなるんだよ)


 背中をさすりつつ、ゴロタは空を見た。

 星は出ていない。


 ふらふらとするタケ爺に再び肩をかし、ゴロタは近くの公園へと歩いた。

 そこのベンチに彼を座らせると、ゴロタもその横に座った。

 今や、落ち武者のようになっている老人は、目を開けたり閉じたりしながら、首を左右にふっている。


 冬なのに、風が肌にやさしい夜だ。

 十分ほど、その風を受けながら休んでいると、

「あれ」と、ふいに女の声がした。

 ぼんやりとしたまま、ゴロタが顔を上げると、そこには、さっきまで一緒だった女が立っていた。

 アケミだ。


「あら、お客さんたち、こんなところにまだいたんですか」


「こんなところだからさ」


 自分の声じゃない。

 ハッとなって横を見ると、落ち武者となった老人が不敵な笑みを浮かべている。


 なんだろう――。


 ゴロタは違和感を覚えていた。

 普段のタケ爺が女の子と接するときとはちがう、きちんとした態度のように思えたのだ。

 例えるなら、教師が生徒に接するような感じだった。


「ずいぶん早いな。まだ忙しいんじゃないのかい」


「今日は、早番にしてもらったんです。用事があって」


 アケミは、タケ爺に心配そうな目を向けた。


「おじいさんたち、飲みすぎですよ。ちゃんと、ホテルまで帰れるんですか?」


「帰れるさ」


 タケ爺はゴロタのポケットを勝手にまさぐると、タバコを一本抜き取り、火を点けるようにうながした。

 しかたなく、ライターで着火するゴロタ。

 やはり妙だ、とゴロタは思った。

 この老人は酒が入るとあまりタバコを吸わなくなるのだ。


「アケミちゃん。おじいさんたちは、ただの客じゃあない。本当は、招かれざる客なのかもしれん。たしかなのは、おじいさんはやっぱり酔ってるってことだ。でも、がんばってんだよね……うえ」


「なに、言ってるの?」


 タバコを吸ったとたんにえずくタケ爺に顔をしかめ、彼女はバッグをごそごそとやりだし、ビニール袋を取り出した。

 タケ爺は丁寧に礼を言い、ビニール袋を掴む。

 が、彼が吐きだしたのは、人の名前だった。


「松田友則」


 アケミは、涼やかな目に、戸惑いと驚きの色を浮かべていた。


「お嬢さん。あなたが選択するものは、あなたの背後にある」


「あなた……なんなんですか」


「明日、駅ビルにあるドトールに……そうだな、十一時に来なさい」


 間髪入れずそう言うと、タケ爺はよっこらせと腰を上げ、ふらふらと歩いていってしまった。

 思わず、ゴロタも立ち上がった。


「おいおい、歩きタバコは禁止ですよー」


「なんなんですか、あのおじいさん」


「さあ。おれにもよくわかんねえ」


 アケミは腕を組み、頬に手をやると、考え込むように黙りはじめた。

 そこには、あの空間の中でをつくっていた面影はなかった。


「あの」


「ん?」


「あなたたちが何者かは知らないけど……明日、そこに行きます」


 まじかよ、と思いつつゴロタは頭をかいた。


(なにがなんだかわかんねえけど、タケ爺と出会ってからは、どうせわかんねえことばかりだ。ま、なるようになっちまえ)


 ゴロタが何も答えずにいると、「それじゃあ、明日、よろしくお願いします」と言って、アケミはさっさと歩いていってしまった。


 ようやく、ゴロタは声をかけた。


「悪い人じゃないかもしれねえが、まともではねえぞ」


 踵をかえし、タケ爺を追う。

 老人のシルエットが、ゆらゆらと夜の闇に揺れている。

 もう、今夜はホテルに帰ろう。

 頭が、ひどく疼いている。

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