第10話 目覚め

「お兄ちゃん!」


「おう……」


 目をこすり、ゴロタはのびをした。

 相変わらず、森の空気は涼やかだ。

 どれくらい、眠っていたのだろう。


「やっと、起きた!」


 由美は、めいっぱいに目を広げ、一気にまくしたててきた。


「いきなり倒れるんだもん! あれだけ寝てるくせに」


「いや……んと、どれくらい、寝てたんだ?」


「三分くらいかな」


 そんなものか――。


「すまねえな、心配かけた」


「ほんとだよ!」


 ゴロタは由美の肩に手をあて、

「帰ろう」と言った。


 ゴロタはほっとした気持ちになりながらも、軽い頭痛を覚えていた。

 今、、あの侍のことも、自分との関係も知っていたのに、こうして元の世界に戻ってみると、それが何だったのか思い出せそうもなかった。


 ――あの侍は……あの不思議な時間は、何かを自分に届けようとしてた気がする。


 由美にうながされ、来たときと同じ道を辿っていった。

 由美は、時折、ゴロタの状態を気にしながら、歩幅を合わせてくれた。

 ロッジの辺りには、すでに煙が漂っている。


 煙を立ち上らせていたタケ爺の元に帰ってくると、彼はすきっ歯の向こうで喉を鳴らせてゴロタと由美を迎えてくれた。


 さっそく、由美はタケ爺に、ゴロタが倒れたことを報告したが、腹を空かせたゴロタは体に異常はないことを訴え、タケ爺はあっさりとそれを信じ、約束通り焼肉をはじめることになった。


 ラム肉に奄美塩とぶどう山椒をぶっかけ、石で組んだ炉の上に置いた鉄板に、豪快に肉を並べてゆく。


 タケ爺はすでに飯ごうで米を炊いていて、ピーマンやニンジン、ナスといった野菜も用意してくれていた。


 ロッジの前の草地に、三人の笑い声と、舌鼓をうつ声が響いてゆく。


「おいしい!」


 由美は、レタスに焼けた肉とピーマンをはさみ、うまそうに頬張っている。


「由美ちゃん、とんとおあがり! ラム肉はお肌にいいんだ。さあ、なにか欲しいものがあったら、うんと、この爺めに言いつけておくれ。甘えておくれ!」


 タケ爺は由美のためにせかせかと肉を焼き、喜々として喋りつづけている。

 ゴロタは自分で飯を盛り、自分で肉を焼いた。

 目の前で繰り広げられるあからさまなレディファーストには舌打ちしたくなるが、ここまで用意してくれただけでも十分だった。

 タケ爺の「こういう自然の中で食べる肉は格別だろ」という言葉に、兄妹そろっておおいにうなずく。


 腹が満たされると、由美は食器を片づけるため、ロッジの裏側にまわった。

 そこには、近くの小川から汲んだ水を溜めた樽がある。

 このロッジには水道も電気も通っていないので、水は持ちこんだペットボトルか小川で汲んだ水を使い、暗くなるとランタンを灯して過ごさなければならない。


 タケ爺は由美を制して自分で片づけをしようとしたが、彼女はそれを丁重に、かつはっきりとした態度で断っていた。

 タケ爺はそんな由美の後ろ姿を見ながら、しきりに感心していた。


「いい娘だな。守ってやりたくなるなあ」


 ゴロタは肩をすくめ、それからタバコをくわえた。

 タケ爺が、横目でゴロタをとらえてきた。


「おまえさん、また比べられると思ったんだろ」


 タバコの煙を吐き、ゴロタは「は?」という顔をしてみせる。

 が、タケ爺の言う通りだった。

「妹さん、おまえとは違うな」とでも言われるつもりだったのだ。


 けれども、そうじゃなかった。


「森の中で倒れたとき、おまえさん、侍に会ったのか?」


 ゴロタは「えっ」と声に出したが、つられるようにうなずいていた。


「ああ、会いましたよ。夢の中で」


 ほほお、と老人らしい笑い方をするタケ爺。


「じゃあ、タケ爺も会ったことがあるんすね」


 言いながら、やっぱりな、とゴロタは思った。

 自分よりもずっと長い間、この老人はこの悲しみの森と関わっているのだ。

 自分の知らないことも、色々と知っているはずだった。

 そして、あの夢はやはりただの夢じゃなかったのだ。

 タケ爺はタバコの煙をゆるやかに吐きだし、こくりとうなずいた。


「おれを森の番人にしてくれたのは、あの侍だ。おれにとっちゃ、恩人てやつさ。番人てのが、おれは気に入ってるからな」


 そうだったのか、とゴロタがつぶやくと同時に、老人はつづけた。


「あの侍、おまえが面接に来る前に、久しぶりにおれの前に現れてな。んで、こう言ってきたよ。『もうすぐ、おれに縁ある奴がやってくるかもしれぬ。幽霊ながら、最近は勘がよくてな』とな」


「縁……か。たしかに、そんな感じはするな」


 ゴロタは、あの侍はいったい何者なのかタケ爺に聞こうかとも思ったが、ためらった。

 夢の中では、自分はたしかに彼を知っていたのだ。


「あの侍と知り合って森の番人になってから、もうかれこれ四十年か……時が経つのは早いもんよの。十年前まで、妻と一緒に手紙を届けていたのも、昨日のことのようだ」


(そうだったのか……)


 ゴロタは、赤ら顔になっているタケ爺の目つきを確認してから、少し遠慮気味に言った。


「奥さんと一緒にこの仕事してたんですね。よくできた人だったんでしょうね」


 あんたと一緒になったんだからな――という追加の言葉をしまい、タケ爺の顔をうかがうと、彼は「まあ、そうだな」とあっさり告白した。


「あの侍とオオモミジは旧いなじみでな。あいつはオオモミジの意思を知って、力になることにしたさ」


「意思?」


「ああ、あの木には、想いを伝えられずにくすぶってる連中に、その想いを届けてやりたいっていう奇特な意思があるんだ。しかも、自分がいる森にそういった連中を呼び込むこともできる」


 ゴロタはあごに手を当てうなったが、かまわずに老人はつづけた。


「あの侍が、オオモミジの不思議な力をおれと妻に与えてくれてな。んで、その力を伝えられたおれたちが〈森の番人〉となり、そうしたくすぶった連中の想い――つまりは手紙だな――を、目的の人まで届けるためのを宿すのさ。なんせ、あの木は動けないし、侍は幽霊だから、そうした生身の人間が必要なんだ」


「んじゃあ、そんなタケ爺の〈森の番人〉としての力をさらに分けてもらってるのが、おれみたいな奴ってわけか」


 おおげさに膝を叩き、タケ爺はにかっと笑った。


「そのとおりだ、馬鹿者め。おまえの役割は、〈森の郵便屋〉ってところだ。まあ、実際に、あの侍がどうやっておれに力を伝えてるのかも、おれがどうやっておまえに力を伝えてるのかもわからんがな。きっとワイファイってやつみたいに勝手に飛ばしてるんだろう」


 ほめられてるんだか、けなされてるんだかわからないが、とりあえずゴロタは適当にうなずいた。


「妻とは、十年前――前回の仕事の後に別れたよ。おれの色々とだらしないところに我慢ならなくなったんだろうな。十年前でもすでに爺さんだったから、その年で妻と離婚するとは思わんかったわ」


 ゴロタが口をまごつかせていると、「おっ!」と、タケ爺が勢いよく顔を上げた。

 由美が戻ってきたようだ。

 ゴロタは「おいおい」とぼやくが、同時にほっとしてもいた。


 だが、なにか思い出したように、老人は顔半分だけゴロタに向けてきた。


「あとな、由美ちゃんは、おまえさんを兄として大事にしてたよ。たぶん、昔からな」


 それだけ言うと、タケ爺は軽快な動きで由美に駆け寄っていった。


「ありがとう、由美ちゃあん! さあ、はやくロッジの中に入って、ようかんを食べよう。ライオン屋のとっておきがあるんだ」


 苦笑混じりに、ゴロタは彼の後ろ姿を眺めていた。

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