第5話 由美の視点~兄と歩く~

 色々と考えながら歩いていると、いつの間にか駅に着いていた。

 改札の前で、由美はふと、立ち止まった。


 ――今日は、会社を休もう。


 上司に電話で一報し、踵を返した。

 マンションに戻ると、エントランスの脇にあるガラス壁の向こう側にまわった。

 住人の郵便ポストのエリアで、そこからだとマンションを出入りする人たちが見えるのだ。


 今が八時二十分。

 そろそろのはずだ。

 由美は手をこすりながら、待つ。

 

 何人かの住居人を陰で見送った後、ゴロタ兄はやってきた。


 意外にも、朝に弱いはずのゴロタ兄の足取りは軽かった。


 ゴロタ兄は宅配の仕事をしているらしい。

 アルバイトみたいなものと言っていたが、その仕事をはじめてから、彼の顔つきが徐々に変わってきている気がした。

 どこをどうとは言えないが、そう感じるのだ。


(あたしがこんなことしてるのは、昨日、太郎と話していた影響かもな)


 がに股気味に歩くゴロタ兄の後ろを、由美はそっとついていった。

 なんとなく、子供時代を思い出す。


 歩幅を調節しながら見慣れた町の景色の中を歩いてゆく。

 ゴロタ兄は、商店街へと向かい、その通りの真ん中辺りにかまえるコンビニへと入っていった。


 そろそろ驚かしてやろうと、由美もつづく。

 一方のゴロタ兄は、まずはここだな、という勢いで雑誌コーナーへと足を向けていた。

 その足の進む先には、エッチな本が所狭しと並べられている棚が待ちかまえていた。

 彼は、その前で、不動明王のような顔つきになっている。


 はあ、と由美はため息をつく。


 彼は、水着なんたらとかいう本に手を伸ばそうとしたが、少しためらうと、その手を引っ込め、また違う本に目を移していた。


(見てらんない)


 由美はつかつかと歩み寄り、我が兄貴の肩をいくぶんか強めにたたいた。


「ヘンタイ」


 よくやったと由美は心の中で自分をほめた。

 すごく冷たい口調だったのだ。


「ち、ちげえよ、変態じゃねえよ。なんだよ、なんだよおまえ」ゴロタ兄はフグのように口をぱくぱくとさせている。


「朝っぱらから、元気だねえ、我が不肖の兄は」


「なんか、おまえ勘違いしてない? ちょっと疲れちまって、たまたまここで休んでたんだよ。ほら、ぜんぜんこんな本が置いてあるところだなんて気づかなかったし。むしろ、ジャンプ買おうかマガジン買おうか悩んでたくらいだし」


 由美は、はあっ、とわざとらしいため息をついてみせた。


 不肖の兄は口をもごもごさせ、伏し目がちに由美を見てきた。


「んで、おまえこそ何してんだ? とっくに、電車に乗ってるはずの時間じゃねえか」


「今日は、休む。そんで、お出かけする」


「なるほど、さぼりか。まあ、たまにはそういうのもいいかもな。若者らしい衝動じゃないか。ではでは、わたくしめはこれにて」


 火事場から立ち去る犯人のように、ゴロタ兄は足早に自動ドアへと足を急がせた。

 結局、何も買っていないのに。


「おーい、待ちなよ」


 コンビニから出ると、由美は、刑事のようにゴロタ兄の後ろ姿に悠々と声をかけた。

 彼の顔は、わかりやすいくらい不機嫌になっている。


「お兄ちゃん、これから仕事だよね?」


「そうだ、邪魔するな」


「ついてく」


「は?」


「たまには、ふがいない身内を観察しなきゃね。捕まらないうちに」


「冗談だろ」


 ううん、と勢いよく首を横にふる由美。

 それを見て口をひん曲げると、ゴロタ兄は駆け出そうとした。

 そうはさせない! と由美はよく通る声を出した。


「もうお味噌汁、作らないよ!」


 彼は固まり、首だけをそろりとまわし、不安げな目を向けてきた。


「まじ?」


「まじよ。今日くらい、いいじゃない」


 おおう、と呻き、首をふると、味噌汁が大好きなゴロタ兄は力ない声で、「いえす、さー……」と言った。


 追いつき、由美は兄と肩を並べてみた。

 なんだか、こそばゆかった。

 兄は無言だ。


「おっ、黙ってついてこいって感じだね。珍しく、ハードボイルドじゃん」


「いや……ジャングルの現地人に捕えられた、哀れなジャーナリストって感じさ」


「じゃあ、そのジャーナリスト君に聞きましょう。今、どんな気分?」


「最悪でございます」


 由美は兄の腕をつねった。


 たまには、こういうのもいいよね――。


「いてて」と嫌がる兄と一緒に信号待ちをしながら、由美はそう思った。

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