第18話 その答え

「わたし、短大にいたときから、付き合った何人かの男に騙された経験があって。お金をせびられたり、浮気されてたり……。は、そのときに付き合っていた男と別れた後でした。その人は、奥さんのいる人だったんです。それを知って、わたしその人をひっぱたいて、逃げてきたんです。で、途中で見かけた競馬場に入ったんです。やけになってたから、有り金全部をつぎ込んでやろうと思って」


「なるほど」とは思っていないが、とにかくゴロタはそんなようなあいづちをうった。


 佳子は遠い目をしていた。


「初めての競馬だったけど、ビギナーズラックっていうのかしら。わたし、いきなり複勝を当てちゃって舞い上がったんです。それで、換金所に行ったら、前のおじさんの足を踏んじゃって。怖かった。だって、そのおじさん、ライオンみたいに吠えてわたしに掴みかかってきましたから。そしたら突然、震えているわたしの前に馬助くんが立って、そのおじさんをやっつけちゃったの」


「ああ、やりそうだな、あいつなら」


「そこから、彼はわたしの手をひっぱって、競馬場の外まで走り出したの。わたし、ドキドキしました。だって、こんなわたしを守ってくれる人がいたんだもの」


 佳子の目はまだ遠方を向いている。

 丸みのある鼻に、夕陽が注いでいた。


「それからは、二人でよく会うようになりました。気がついたら、一緒に住むようになって、いい思い出もつくりました。でも……」


「でも?」言いつつ、ゴロタはその答えがわかっているような気がした。


「彼、馬鹿なんです」


 だろうな――ゴロタは天を仰いだ。


「普通じゃないんです。交番の前で用を足しちゃうし、映画館でイビキをかいちゃうし、ホームレスといきなり酒盛りしちゃうし、もったいないからってボロボロのソファを部屋に持ってきちゃうし。もう我慢できなくて、わたし、彼と一緒に住んでたアパートを飛び出したんです。彼には、行き先を告げませんでした」


「大変だったな」


「はい」


 ゴロタはタバコを深く吸った。

 まずいと思った。


「いい人ですね、山田さん」


「そうでもねえよ」


 佳子は小さく首をふった。


「だって、わたしがこれだけ言っているのに、自分からは馬助くんのこと、悪く言ったりしないですから」


 それには答えず、ゴロタは腹をさすった。


「あいつはさ」ゴロタは、初めて自分から口を開いた。


「あんたのこと、本当に好きだよ」


 そう言った後に、ゴロタは後悔した。

 自分の仕事は届けることだけのはずだ。

 代弁できることなんてないのだ。

 余計な一言は、当事者たちにとって邪魔なものになりかねない。


 佳子は少しだけ微笑んでいた。

 乾いたもののように見えた。

 胸が疼くのを、ゴロタは認めた。


「ごめんなさい。もう、元には戻れないわ。生まれ故郷の館山に戻ってきて、ここに就職して、いい人もできそうだし」


「そうか」


 夕焼けは、夜の空を呼びはじめていた。


「その相手って、今フロントに立っているあの七三分けの人だったりして」


 くだらないことを口にしてしまったかな、とゴロタは眉をひそめた。

 やっぱり、自分はハードボイルドにはほど遠い。


 佳子はふふ、と静かに声を立て、うなずいていた。

 ただ、目は笑っていなかった。


 彼女の本当の心情など、ゴロタには知る由もないが、もう、彼女は彼女の道を歩いているのだ。


 とにかく。


 これで、馬助もきっと、止まっていた一歩を踏み出せるだろう――。


 奴は、そういう男だ。

 だから、あの森に入ることを許されたのだ。

 ゴロタはそう思うことにした。


「あいつに、ちゃんと伝えておくよ。あんたは、もう別の場所にいて、そこで幸せにやってるってな」


「はい、ありがとうございます。それと……馬助くんに、今までありがとう、元気でいてねって伝えてもらえますか?」


「お安い御用だ」


 もしかしたら、この仕事は、宛先人に手紙を届けるだけじゃ終わらないこともあるのかもしれない。

 状況によっては、今のように、宛先人からのメッセージを預かることもある。

 人によっては、もっと違うパターンも出てくるだろう。


 つまりは、届け人である自分自身の判断や思考も、この仕事には必要になってくるはずだ。


 不思議な力とやらが、宛先人の心情にもなにか変化をもたらすのだろうか――

 という疑問の答えも、もうわかっていた。


 答えは、ノーだ。


 佳子は、あくまでも佳子の判断で、決着をつけていたのだ。


「その人とうまくいくといいな」


「はい、ありがとうございます」


 佳子は立ち上がった。

 凛としているようにも、そうじゃないようにも見える。

 

「ここのホテル、あまり大きくはないけど、温泉は良質なんです。ゆっくりしていってくださいね」


「ああ」


 去ってゆく佳子を目で見送り、ゴロタは残りのビールを飲みほした。

 暗くなった海の上には、月がぼんやりと光っている。


 美香を想った。

 会いたかった。

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