第17話 屋上の来訪者

 海沿いのドライブで受ける風が、肌に心地よく沁みていった。

 片側の光景にはビルも家もない、ただまっ平らな海が広がっている。

 車の流れはスムーズで、あっという間にホテルに着きそうだった。


 あっ、そうだ……。

 ゴロタは肝心なことを思い出す。


(佳子嬢に手紙を渡しているんだった)


 自分が書いたわけじゃないし、もう仕事は終わっているが、なんとなく、また顔を合わせてしまったら気まずい感じになるなと思った。

 とはいえ、その一方で妙な期待が胸にくすぶっている。


 あの森が成す不思議な力は、どこまでの効力があるのか、ゴロタにはまだわかっていなかった。


 宛先人のいる場所までの道筋を、自分のような届け人の記憶に与えること――。


 それだけなのか。

 宛先人の顔や姿形までの記憶を与えてくれないことはわかっている。


 ――はたして、宛先人の心情にもなにか変化をもたらすのだろうか。


 やがて、ホテルの駐車場に到着した。


 フロントには、髪を七三に分けたとっちゃん坊やのようなスタッフが立っていた。

 佳子は違う業務に就いているか、もう帰宅したのかもしれない。

 ゴロタは彼からキーを受け取り、部屋へと戻った。

 窓の外には、黄金色の雲が漂っている。

 冷蔵庫からビールを一缶取り出し、ゴロタは屋上へ向かうことにした。


 学校にあるような横長の階段を上り、屋上に出ると、鉄柵の前にあるベンチに腰かけ、タバコに火をつけた。

 遠く、海の潮騒が聞こえる。

 眼前に広がる市内の街路樹に、金色の影がその足をのばす。

 ゴロタは缶ビールのフタを開けた。

 プシュッという音が五感に快い。


 ゴロタは尾崎豊の〈シェリー〉を口ずさんだ。

 どうせ、自分の他には誰もいないのだ。

 声を抑えもせずに歌った。


 ふいに、


「あのう」


 と声がした。

 ビールをこぼし、口をマヌケに開かせたまま、ゴロタはふり返った。


 そこには、佳子が立っていた。


 一気に、顔が熱くなった。

 「あ、あ」と子犬のように口を震わせる三十男。

 今すぐ消えたいと、心から思った。


「ごきげんのところ、すみません」


 佳子は顔を赤らめ、クスクスと笑っている。

 ほんとうだぜ、空気読みやがれ。

 などと、ゴロタは勝手な言い分を心に描きながら、ズボンについたビールを拭いていた。


「楽しい方なんですね」


「そういうつもりはないけどね」


  佳子にまた会ったとしても、まさかこんな形の気まずさを体験するとは思ってもみなかった。


「となり、失礼いたします」


 なんと、佳子が同じベンチの端に腰かけてきた。

 どこからかゴロタを見て、ついてきたのだろう。


 おいおい、なんなんだよ……あっ、そうか――。


「あの手紙」


 ほらきた。


「読みました」


 そうか、とも言わず、ゴロタは黙っていた。


「びっくりしました。どうして、ここがわかったんですか? あの、馬助くんが調べたんですか?」


「いや、ちがう。馬助が調べたんじゃない。まあ、あれだ。おれは探偵みたいなもんでな。人を探すのが得意なんだ」


「でも、それは馬助くんが山田さんに頼んだってことでしょ?」


「えと……まあ、そうなるな。奴も必死なわけよ」


「馬助くんと仲がいいんですか」


「どうだろうな。一緒に飲んだことはあるけど」


 佳子は口に手をあて、クスッと笑った。


「いい人なんですね、山田さん」


「そうかね」言いつつ、ゴロタは頭をぼりぼりとかいた。


「馬助くんとは」夕陽に目をやりながら、佳子は髪をかき上げた。


「競馬場で知り合ったんです。川崎の」


「よさそうな出会いだね」ゴロタは肩をすくめる。


「こういうことを話してもいいのか、わからないけれど」


 佳子は伺うような目つきでゴロタを見てきた。

 順序だてて話そうとしているのだろう。

 わざわざここに来たゴロタの立場を、なんとなく察しているようだった。

 少し危ういところもありそうだが、頭のいい娘だな、と思いつつ、ゴロタはうなずいた。

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