第12話 逃走経由喧嘩行き

「おっす!」


 馬助はぜえぜえと息を切らし、人参を噛んでいる最中の馬のような顔つきで挨拶してきた。


「遅れたからって、ヨダレたらしてまで来るこたあねえぜ」


「あっ、やべ」


 馬助は後ろをふり返ると、「いったん、ここを移ろう。ついてきてくれ!」と言って、ゴロタの手をひっぱらんばかりにまた走りはじめた。

 あっという間の出来事にとまどいながら、ゴロタも走った。

 馬助がふり返った方向に目をやると、なるほど――四人の男たちが馬助と同じようなフォームでこちらに向かってきていた。


 わけがわからないが、ゴロタはこういう状況が嫌いじゃない。


 大きなパチンコ屋の路地裏を駆け抜け、消費者金融のビルが建つ脇の小道に入り、小さなアパートのごみ置き場の前まで行くと、ようやく二人は立ち止まった。


 どうやら、追っ手を振り切ったようだ。


 昼間でもどことなくうす暗い道に、二人の男の荒々しい吐息が響いてゆく。


「へっへ。山田さん、足速いじゃん」


「ひとまず、状況を説明してくれるとありがたいんだがな」


 ゴロタは肺の辺りをおさえ、息を整える。


「川崎埠頭の飯場で知り合った連中でさ。朝まで、その連中と麻雀やってたんだけど、おれが役満だしちまってな。んで、儲けたからそのまま帰ろうとしたら喧嘩になっちまってよ。二人ぶちのめして逃げてきたんだ。あいつら、この辺のチンピラあがりでしつこくてよお」


「楽しそうな青春だな」


「へへ」


「ほめてねえよ」


 一服すると、ゴロタたちは今いる路地をぬけ、京急線沿いにある喫茶店に入った。


「それにしても、慌ただしいとこ見せちまったなあ。走らせちまって、すまん」


 まあいいってことよ、といった調子で手を軽くあげ、カップに口をつけるゴロタ。


「あち!」


 つい、間抜けな声を発してしまった。

 笑う馬助。

 くそっと舌打ちし、ゴロタは水を飲んだ。

 それから、この妙な男と初めてまともに話しはじめた。


 驚いたことに、馬助はまだ二十四歳だった。三年前に茨木から上京してきて、それからは飯場に寝泊まりしたり、日雇いの仕事をしたりしながら、その日暮らしをしてきたらしい。


 必要以上にべらべらと自分のことを喋る性格だけれど、こいつも肝心なことはうまく口で言えない奴だな――とゴロタは感じていた。


「で、手紙はもう届けたんか?」


「まだだ。今日はさっきまで鬼ごっこしてたからな」


「そうか」


 あからさまに顔をゆがめる馬助。

 勝手な馬野郎だな、と思いつつゴロタは声をかけた。


「まあ、聞けよ馬助くん」


 そう言ってみたものの、この男相手に説明するのも面倒だと思ったので、ゴロタは中腰になって馬助のピンク色の髪に手を伸ばした。

 けげんな顔をしている馬助を無視し、もう少しで髪の毛に手が届くそのとき――窓の外に目がいった。


 四人。

 さっきの奴らだ。


 連中は、わかりやすいくらい顔を上気させていた。


「男には人気ありそうだよな、おまえ」


「あんたも、そう見えるぜ山田さん」


「はずれだ」


「んじゃ、どっちにも人気ねえのか」


「どうだろうな。おれは人にあんまり興味を持たねえから、人もおれに対して興味を持たねえのかもしれねえ」


 そう言って、ゴロタは立ち上がった。

 外でバカ面ならべている連中とやりあおうなんて思っちゃいない。

 こうなったら、このまま外に出て、とりあえず、ずらかろう――。

 そう考えていると、馬助も立ち上がってゴロタの肩にぽんと手を乗せてきた。


「へへ、大丈夫大丈夫。元々はおれの相手だから、おれがなんとかすらあ」


 ゴロタは黙ってコーヒーカップをテーブルに置き、外に出た。


 待ってましたとばかりに、四人の不細工な男たちが立ちはだかる。

 その中の前歯が欠けた男なんかは、指をバキボキと鳴らしていた。


「てめえ、馬助え。ちょっとかわいがってやったら調子こきやがって。太助のやつ、鼻が折れちまってたぜ」


「ごたごたうるせえよ。もう逃げんのも面倒くせえ」


 言い終わると同時に、馬助は左拳を前歯のない男にぶちかました。

 ぐきっと、鈍い音がした。


「野郎!」


 他の連中の反応は早かった。

 喧嘩慣れしていると、ゴロタは見てとった。

 馬助の左手にいた男は、尻ポケットから警棒のようなロッドをさっと抜きとると、その勢いのまま、そいつを馬助の頬に打ち込んだ。


 たまらず、地面に膝をつく馬助。


「てめえも仲間か!」


 馬助を打ったその男は、いきりたったままゴロタに目をむいてきた。


「いや、ちがうな」


「じゃあ、消えやがれ!」


「そうしようと思ったんだけどな。どうしよっかな。おまえら態度悪いしな」


「ああん?」


 呻く馬助を足蹴にし、男はゴロタに近づいてきた。

 他の二人もだ。


「なめてんのか、てめえ」


 右手にいる男が、ゴロタの尻を小突くように蹴ってきた。


 が、次の瞬間、その男は腹をおさえながら、うつぶせに倒れ込んだ。


 ゴロタの蹴りがはいったのだ。


「正当防衛だよなあ、これって」


「てめえ!」


 残り二人。

 男たちはたちどころに襲いかかってきた。

 ゴロタはかまわずに自分も前に踏み出すことにした。


 こうした多対一の喧嘩の場合、蹴りが使えるのは、たいていは最初の一発だけだ。

 蹴りは威力があるしリーチがあるものの、モーションが大きいので、かわされたりその足を掴まれたりしたときのリスクが高く、次の動作にも移りにくい。

 だから、ゴロタは、ロッドを持った男の前に思いきって飛びこむと同時に、左拳を握って中指の第二関節だけ突き出させ、ロッドを持っている男の手の甲を、スナップをきかせてその部分で打った。

 男がロッドを落とすときには、その顔にゴロタの頭突きが突きささっていた。


 もう一方の男はゴロタの腕を掴もうとしてきたが、ゴロタは腰をひねって逃れ、そいつがそのまま体勢を泳がすと、その横面にワンツーをかました。


 残りゼロ人――。


 とはいえ、これで無事終了というわけにはいかない。

 当然、道行く通行人が声をあげていた。

 地面に突っ伏している五人のうち、ピンク色のモヒカン頭の髪の毛をひっぱると、ゴロタはそいつをさっさと立ち上がらせた。


「いてて! おい、大事な髪だぞ」


「うるせえ、とっとと逃げんぞ」


 こうして、ゴロタと馬助はまた川崎の街を走ることになった。


(まさか、この年になってやんちゃをすることになるとは)


 ゴロタは苦笑しつつ、握っている手を見た。

 閉じた手から、何本かのピンク色の髪が飛び出し、風を受けてそよいでいる。


 しばらく闇雲に走ってから、バス停に停まっている、すぐにでも走り出しそうな市営バスに乗った。

 行き先はわからないが、今はどうだっていい。

 

 後部座席に並んで座り、そのまま息を整えていると、案の定、バスはすぐに走り出した。

 活発な肺運動がおさまりはじめると、馬助はきらきらとした目でゴロタを見てきた。


「あんた、強いんだな」


「どうだろうな」


 それから、馬助はゴロタという強い男が持っているであろう武勇伝の話をしきりにせがんできた。

 が、ゴロタは「さあな」とか「うるせえよ」と言ってかわすばかりだった。

 決して、ハードボイルドぶってそんな生返事をしているわけじゃなかった。


 馬助が自分に求める過去を話したところで、今の現実には役に立たない。

 ばかりか、その話をしてしまったら、「昔はこうだったんだぜ――」というような、ありきたりの感慨に更け、それに浸かってしまいそうな自分が嫌だった。


 やがて馬助はあきらめ、ゴロタと肩を並べてそのまま目を閉じた。

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