第11話 過去からの追手

 馬助と明日会う約束をとりつけると、ゴロタは自宅に戻った。


 熱い風呂につかると、いつの間にか鼻歌が出てくる。

 曲目は、レッドツェッペリンの〈天国への階段〉だ。


「へたくそー! 黙ってなよ」


「すいませんね。ブス、ブーーーース!」


 廊下の向こうで機嫌が悪くなっているであろう妹に、いつもの悪びれた声を出す。

 風呂から上がり、部屋に戻って携帯を手にとると、一件のメールが入っていた。

 とたんに、ゴロタの顔が輝きだす。


 美香からだった。


『おす。ああ、ちかれた……今日は、ムダに忙しくてさあ。ああ、やだやだ。ゴロタくんはちゃんとした会社見つけるんだよ。またゴハンでもいこ! では、おやすみ!』


 ディスプレイをホーム画面にした後も、気がつけばまたメールを開き、その文面を読みかえしていた。


 ――どうして、こうなっちまったんだろう。美香とは劇的になにかがあったわけじゃなく、何でもないどこにでもいる友達なはずなのに。


 彼女のことを考えると、仄かに広がる甘さと、胸を打ちつけられるような痛みを覚えた。


 ぼんやりと視線を上げると、ふと、壁にかかっているスーツが目にはいった。


 すると、ゴロタの心に、消化しきれないふつふつとした別の気持ちが湧いて出てきた。

 そのスーツは六年間、就職活動だけではなく、仕事にも使っているもので、見慣れているはずだった。

 でも、なぜだか今日は、そのよれっとした姿を見ることが辛かった。


 ――ああ、やめてくれ。六年前から、なにも変わってないじゃないか、おまえ。


 金がない。

 身分もない。

 んで、この体は都合の悪いことを避けつづけたあげく、このベッドに横たわっている。


 本当に、あの森とタケ爺の家で、暇つぶしみたいなことをしてていいんだろうか。

 明日のことを思うと、心も体もだるくなった。

 ほんの二時間くらい前には、胸が輝いていたはずなのに。


 ゴロタは枕に顔を押しつけた。

 とりあえず、寝てしまうことだ。

 寝つけなかったとしても、布団のぬくもりを味わい、誰にも邪魔されない時間を過ごすことができる。

 生きている、と感じることができる――。



 朝になると、昨夜の悶々とした気持ちとは裏腹に、寝覚めは最高だった。

 いったん寝ると、昨晩に考えていたことをゴロタはたいてい忘れてしまうのだ。

 それが、自分の長所だと思っていたし、欠点だとも思っていた。


「お兄ちゃん、ゴハンできてるよ」


 ありがとう、と答えゴロタはテーブルについた。


「お兄ちゃんがありがとうって、あたしに言うの珍しいね。まあいいや。テーブルにトーストとサラダがあるから、勝手に食べて」


 そう言い捨てて、由美はどたばたと玄関に小走りしていった。

 そういえば、最近は由美とまともな会話をしていない気がする。

 そんなことを思いつつ、ゴロタはトーストにバターをつけ、頬張った。

 シンプルでうまい。


 馬助とは三時に川崎で会う約束をしている。

 それまで、ゴロタは求人ウェブサイトに登録してある自分の経歴を編集したり、応募一覧を眺めながら過ごすことにした。

 タケ爺が建てたあのロッジでは、代わりにトミさんが留守番してくれるらしい。

 大丈夫だろうか。


 昼過ぎになると、ゴロタは適当にチャーハンをこしらえて、腹にかきこんだ。

 ひとまず、やってみる――。

 結局は、それしかなかった。


 時間になると家を出て、南武線に乗り、川崎駅で降りた。

 駅前東口から銀柳街を通り、待ち合わせ場所に指定したファミリーマートの前に立つ。


 近年になって、イタリアをモチーフにした観光名所が増えてきたものの、この街には、どこか粗のある雑踏感が残っていた。

 すぐ近くには風俗街があるし、土日には競輪や競馬に繰り出すであろうおとっつぁん連中が、今日はパチンコ屋に足を向けていた。

 日本の技術発展に大きく貢献しているはずの工業都市なのに、どこか垢抜けないこの街がゴロタは好きだった。


 三本ほどタバコを吸うと、ピンク色のモヒカン頭がこっちに走ってくるのが見えた。


 ゴロタは嫌な予感を覚えていた。

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