第10話 髪の毛だと

 森を出ると、ゴロタはまっすぐにタケ爺の家へと向かった。


 夕暮れの風が心地よく、茜色の夏の空が目にやさしい。


 大きな家のインターフォンを押すと、ヨーダさん、もといトミさんが門扉を開けにきてくれた。

 だが、このあいだのように家までの案内はせず、「盗むなよ、ぜったいに盗むなよ」とだけ言い残し、庭園の端に干してある衣類の方へと向かっていってしまった。

 夕焼けに染まった女物の下着類がひらひらと揺れているのが見える。

 ゴロタはすぐに目をそらし、屋内へと速足で向かった。


 タケ爺は縁側に寝そべって、どこかの野良猫の頭をなでながら、ひと昔前のCDラジカセから聞こえる曲に合わせて鼻歌まじりに歌っていた。


「レッドツェッペリンの〈天国への階段〉すか」


「おう、来たか」


 タケ爺は、年不相応の軽快さで体を起こした。

 腰が悪いと言っていたが、日によるのだろう。

 猫はけげんな顔をして、老人のそばでおちゃんこしている。


「よくわかんない曲だよな、これ。でも、それがいいんだよなあ。特に、ジミー・ペイジのソロギターはもちろん、ドラムの技巧が秀逸だ」


「同感ですよ。ツェッペリンの四枚目は人類の宝だと思いますぜ」


 しばらくそんな調子で、ロックについてのよもやま話がつづいた。

 いつの間にか、猫はいなくなっている。

 興奮やまない話題だが、どこかで切り上げなきゃ本題に入らないまま帰路につくことになりそうなので、ゴロタは思いきって声のトーンを変えた。


「ところで、今日の仕事のことなんですが」


「おお、どうだった、初仕事は?」


 思い出したように、タケ爺は深い目じりから覗かせる瞳をきらっと輝かせた。


「なに今思い出してんすか」


「おまえさん、意外と几帳面なとこがあるのう。忘れたわけじゃあないぞ。うん、忘れたわけじゃないんだ。ただ、えと……」


「一人、変な男が来ましてね。こんな手紙を預かったんです」


 かまわずに、ゴロタはを取り出して、タケ爺に見せることにした。


「おお、さっそく客がきたか。よしよし」


 タケ爺はゴロタの手からひったくるようにその手紙を手にとった。


「ところでな、ゴロタよ。そいつから髪の毛はもらってきたか?」


「は? 髪の毛?」


「そうか。ちと説明が足りんかったな」


「だいぶね」


 ゴロタは肩をすくめた。

 この際だから、タケ爺にはいくつか質問をぶつけるべきだった。


「その馬助って奴は、森に来たとき、『ここなら、絶対に手紙を届けてくれるって。なんでだか、この森まで来る道順まではっきり覚えてた』とも、『ここでなら、届けられるはず』とも言ってました。んで、普通の郵便じゃ届かないその手紙も用意してました。いったい、なんなんすか?」


 ふむ、とタケ爺は少しだけ考えるしぐさをし、中庭の方に目を向けた。


「この世にはな、届けたい想いを届けられない奴がいる。そんな想いを――あの森は、十年のうち一年間だけ叶えてくれるんだよ」


 遠い目をしているタケ爺の横顔を見たまま、ゴロタはごくっと唾を呑み込んだ。

 きっと、自分は今、狐につままれたような顔をしているのだろう。


「げんに、おれはタケ爺の言ったとおりの展開を体験しました。でもなあ……」


「あの悲しみの森……に住むある木はな、届けたい気持ちを抱えながらも、どうにもならない状況を抱えた悲しい連中を導こうとしてるのさ。だが、その力を届けるには、誰かの助けが必要なんだ。そこで……」


 タケ爺は、むん、と低い声をあげてから胸を張った。


「森の番人が必要ってわけさ。それが、おれなんだ」


「モリノバンニン?」ゴロタは幼稚園児のように復唱した。


「つまりは、その木からの不思議な力を媒介して、依頼人を森に呼び、これからおまえさんがこなす届け人を宛先まで導く力を宿した人間ってことさ。まあ、電波塔みたいなもんだな。その木は単独じゃあ力を発揮できない奴でよ」


 あの森の風景、ロッジのにおい、タケ爺の顔、馬助の顔、夢に出てきた侍の顔――


 そういったものがゴロタの頭の中でぐるぐると回っていた。


「森の番人を務めるタケ爺さんは、どんなことをしてるんです? 電気みたいなもんを飛ばしたり、まじないでも唱えてたりするんすか?」


「ううん、特に何も」タケ爺は朗らかに言った。


だが、そういう力を持ってる……というか、授けられてるってことさ。まあ、俺が届け人を認めたり、依頼人は依頼人で髪の毛を差し出すっていう行為が必要になるがな。だから、かわいそうなことにハゲは受け入れられん」


 ううむ、とうなるばかりのゴロタに、タケ爺はパチンコにでも誘うような口調で言った。


「仕事をしながら、色々と目にしてけばいい。そのへんの経緯は、普通の仕事と変わらんと思うぞ」


 そう言って、タケ爺はニッと笑ってみせた。


「で、髪の毛の件だがな」


 返事とも言えない返事で、ゴロタはうなずいた。

 結局、このじいさんに合わせるしかなさそうだ。


「その馬助って男、手紙に相手の住所を書いてなかったろ?」


「あっ、そうだ。それも聞こうと思ってたんだ。どうやって、届けりゃいいんだってね」


「むふふ」タケ爺はいたずらっぽく笑っている。


「おれも、十年前までは、森の番人でありながら手紙を届けてたんだ。今年もやろうと思ってたんだが、ちいと腰が痛いときがあってな……。んで、求人広告を出したってわけよ」


「タケ爺なら、少々の腰痛でも、楽にやれそうですがね」


 それには答えず、タケ爺はしなびた糸ミミズのような自分の髪の毛を抜いてみせた。

 ああ、もったいない! と思わず口に出しそうになったが、ゴロタはこらえた。


「依頼人の髪の毛をな、一本以上その手紙の封筒の表に貼るか、封筒の中に入れておくんだ。そうすると、宛て先の人物の元まで導いてくれる森の力がおれを媒介して、おれが認めた〈届け人〉に与えられる。信じられんかもしれんが、とにかくそういうことだ」


 ゴロタは、とりたてて心霊とかスピリチュアルとかを信じているわけじゃない。


 けれども、げんに馬助という男があの森にやってきたし、普段はいい加減なタケ爺が、今はそれなりに真剣な顔をしていた。


 ――とにかく、まずはあのバカから髪をもらってみるか……。


 ゴロタは携帯電話を取り出した。

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