第9話 馬助

 あちゃー。


 しかめそうになる表情筋をなんとか平常に保ちつつ、ゴロタはようやく言葉を放った。


「昔田のじいさんに聞いて、ここに来たのか?」


「ムカシダのジイサン? 知らねえな。なんだっけな、誰に聞いたのか忘れちまったけど、ここなら、絶対に手紙を届けてくれるって。日本でだっけなあ……でも、おれ外国行ったことねえしなあ。ともかく、なんでだか、この森まで来る道のりまではっきり覚えてたんだ」


 ――まじか。


 ゴロタは、眉根を寄せ、ゆっくりと立ち上がった。


「客だっていうなら、しょうがねえ。とにかく、中に入ってくれ」


「おっ、話がはええな、兄ちゃん」


 おまえの方が年下だぞ、たぶん……と思いつつ、ゴロタは黙ってドアを開けた。


「おじゃましやあす!」


 元気はつらつな声で挨拶をかますと、モヒカン男はさっさと中に入っていってしまった。

 見かけどおりの行動に、ゴロタは小さく舌を鳴らす。


「おうおう、いい山小屋じゃねえか。田舎にけえりたくなるな」


 じゃあ今帰れ、と小声で言い、ゴロタはデスクについた。

 早く用件を聞いて、追い出してしまいたい。


「で、用はなんだ?」


 男は好奇心旺盛なニワトリみたいにウロウロと歩きまわっていたが、ぴたりとその足を止めた。


「聞いてくれるかい」


 やだね、と答えそうになるが、これは仕事だと思い出す。

 それに、男のマヌケ面は一変して切羽詰まった表情になっていた。


「まあ、仕事だからな。話してみろよ」


「女のことでよ」


 ふうん、面倒くさそうだ。

 話が長くならないことを祈りつつ、ゴロタは、どうぞと彼の話をうながした。


「おれには、彼女がいてな。そりゃあ、いい女なんだ。少し食いしん坊だけど、太陽みたいに明るくて、月の光のように優しくて、エロい体してて……てへへへへ」


「詩人だな、あんた」


「えっ、そう? そうでもねえよう」


 モヒカン男は毛虫のように体をくねらせている。

 面倒くさくてくたばりそうだが、こうなったら早く仕事を済ませちまおう、とゴロタは鼻息を荒く吐き出した。


「んで、その彼女に届けてほしいものがあるのか?」


「おう」


「手紙か?」


「そうだよ!」


 ゴロタはまたひとつ、大きな息をついた。

 ここまでは、順調にタケ爺の言ったとおりになっている。


 じいさんが言っていた、ここに来る客――もっとも、こんな変な奴がくるとは思わなかったが――は、やはり手紙を持ってくる客なのだ。


 内心うろたえているゴロタの心情を察するはずもなく、モヒカン男は尻ポケットをまさぐり出している。

 日光の猿が自分の尻をぽりぽりと懸命にかいているようなさまで、ゴロタは思わず吹き出してしまった。


「よっぽど好きなんだな。そのコのこと」


「あったあった!」


 全然聞いちゃいない。

 おまえは、タケ爺の孫か? とゴロタは眉をしかめる。


「こいつだ。あんたに託す」


 いくつかのしわがはいった青い封筒が、ごつごつとした手に握られている。


「書き上げたら、どうしても手が震えちまって。こんなしわだらけになっちまったけどよ……届いたらいいな」


「そうかい」


 ゴロタは少し口調をあらためた。


「で、どこに届ければいいんだ?」


「知らねえ」


「あん?」


 封筒の表を見ると、たしかに〈折原佳子様〉とだけ汚い字で宛名が書いてあり、住所は書いていなかった。


 なるほど――。


 ここで、ひとつだけこの仕事の意味がわかった気がした。


 つまり、この仕事は、便なのだ。

 だから、タケ爺は、このような仕事を依頼してきたのだ。


 とはいえ、すぐにこうも思った。


 でも、どうやって届けるってんだ――?


 とりあえず、モヒカン男に文句を言ってみることにした。


「おい、これじゃあ、届けらんねえぞ」


「えっ、おかしいな。ここでなら、届けられるはずなんだけどな」


 ゴロタは苦笑した。


「おれは、エスパーじゃねえんだぜ」


「いや、届けられるはずだ。? みたいなのが、おれにはあるんだ。なんでって、質問されたら困るけどよ」


「なんで?」


「おまえ、嫌な奴だな。なめてんのか」


 男はモヒカンに手をやり、がるると唸ってみせた。

 だが、普通に考えれば、なめてるのはそっちの方だ。

 上等だぜ、とゴロタも胸をつきだす。

 が、男はゴロタと目を合わせることなく、自分の威勢をおさめるように、ぐいっと下を向いてしまった。


「いけねえいけねえ。嫌な野郎でも、すぐにケンカしちゃいけないよって、佳子に言われてんだった」


 嫌な野郎か――。


 まあ、面倒なことがひとつ消えたことだし、どうでもいいか、とゴロタは一歩引いて、また彼の話を聞くことにした。


「それにしてもさあ」男は、ぷはーっと息を吐いた。


「なんで、佳子は出て行っちゃったのかなあ? やっぱ、他に好きな男ができちまったのかなあ。おれ、クソみてえな男だからなあ。こないだなんか、標識についてたガムを、ボタンと勘違いして押しちまったからなあ」


「好奇心旺盛なのさ」


「マジか? おまえ、たまにいい奴だな」


 こいつに評価を一変されてもどうでもいいが、ゴロタにもという言葉には心当たりがある。

 自分などが、あまりバカにはできるもんじゃない。


「ひとまず、手紙は預かっとくよ。とりあえず、さっき話してた昔田っていうここのオーナーに見せてみるわ。そしたら連絡するから、連絡先を教えてくれ」


「おうおう、あんがとよ!」


 男はこれでもかとばかりに顔をほころばせ、子犬のしっぽのようにモヒカンをゆさゆさと揺らした。

 紙に携帯番号を書くと、男は「おれ、馬助ばすけってんだ。よろしく!」と、勢いよくそいつを差し出してきた。


 そういえば、こちらもまだ名乗っていない。


「おれは、ゴロタだ」


 馬助は嬉しそうに顔をたてにふり、無理やり握手をしてから、「んじゃ、また!」とだけ言い残し、飛ぶようにここを出ていってしまった。


(なんだか、疲れたな)


 そうつぶやいてから、ゴロタは持ちこんでいるマンガを取り出し、ページを繰った。

 あと三時間もすれば、今日の就業時間は終了だ。

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