第8話 来訪者

「まずは、契約金だ」


 そう言って、タケ爺は茶色い封筒を渡してくれた。

 十万円入っている。


「三日に一回はこの家に報告にきてくれ。おまえさんの顔つきで、おれが評価し、その評価を元に月末に給料を渡す」


 まじか、ともゴロタは言わなかった。

 このじいさんなら、そういう考えを持っていてもおかしくはない。

 ただ、お客さんとの料金のやりとりについては、思わず「まじか」と言ってしまった。


 代金は客に決めさせ、その金額をタケ爺の口座に振り込んでもらう、という方式らしい。

 ともあれ、どうせ、変わった仕事だ。

 乗りかかった船だと、ゴロタはなかば妙な覚悟を決めていた。

 

 とはいえ――


 やっぱり、人なんか来そうになかった。


 ゴロタは昨日の道順どおりに森に来て、ロッジの周りをぐるっと一周してから中に入り、デスクの前で、ぼーっとしていた。


 なんの鳥だろうか。

 窓の向こうに見えるロッジの欄干の上を、薄緑色の小鳥がちゅんちゅんと動き回っている。


 一般の企業と同じように、ここの営業日は月から金曜日で、九時から五時半までが営業時間ということだった。

 とはいえ、ここには電話がないし、電波もない。

 かろうじて発電機はあるので、お湯を沸かすことはできた。


 ゴロタは気分を変えようと、コップを抱えてバルコニーに出て、ロッキンチェアーによいしょと腰かけてからコーヒーをすすった。

 ついでに、タバコに火をつける。

 目の前には、モネが描いたような濃淡のある万緑がつらなっていた。


「わっしょおい!」


 叫んでみたが、声は森の深い懐に吸い込まれてゆき、木の葉の擦れる音や、風に揺れる枝がささやく音の前では無力なように感じられた。


(昼寝でもしよう。タケ爺よ、こんなとこに人なんか来るわけないって――)


 タバコの火を消すと、ゴロタはそのまま意識を失っていった。



「――道が見えたら、行ってみる。だが、それでも失敗ばかりだった。目の前にある大切なものさえ守れなかった……。激しい時代だった」


「おれも失敗ばっかだよ。道が見えたら……走ってみたつもりだった。でも、実際には立ち止まったままだった」


「おぬしと一緒にするな。この臆病者が」


「そうだな。あんたにも言われたかねえことだけど」


 侍は、ふんと鼻をならしてみせた。

 扇の紋付き袴に、腰には二本差しをぶちこんだ堂々とした恰好をしている。

 けれども、太い眉の下にある眼はどこかさみしそうだ。


「なあ、どうしてあんなことになっちまったんだ?」


「それは――」


 侍は声に詰まっている。

 やばい、変なことを聞いちまったか。

 手討ちってやつになったりしないだろうな。


「おい、が来たぞ。そろそろ戻れ。このろくでなしが」


「うん?」



 風が頬をたたいた。

 目の前には、さっきまでの風景がそよいでいる。


 夢か――。


 それにしても、妙に具体的な夢だった。

 起きているのか、寝ていたのか、その境目がひどくあやふやな空間だった。

 ためしに、ゴロタは自分の頬をつねってみた。

 痛い。


「うおっす!」


 突然、この森にふさわしくない太い声が耳を叩いてきた。

 自分でも情けないくらいのトーンでゴロタは「うわ!」と声をあげ、ロッキンチェアーごとひっくり返りそうになった。


 階段の下に、男がひとり立っている。


「いやあ、兄ちゃん、気持ちよさそうに寝てんだもんなあ。起こしちまって悪かったな」


 その男は、ピンク色に染めたモヒカンヘアーをおっ立て、モアイと牛を足して二で割ったような顔をしていた。

 デニム素材の青いツナギのポッケに両手をつっこみ、おかしそうにゴロタを見ている。


 おいおい、まさかこいつが〈客〉だっていうんじゃないだろうな。

 ゴロタは眉根をひそめ、男を見つめた。

 自分がなにか言う前に、彼はのことを堂々と口にした。


「おれは、客だ」

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