第7話 森のささやき

「おお」


 思わず、声が出た。

 森の小道が少し開けた先に、ロッジが建っているのが見える。

 タケ爺の別荘だろうか。


 ロハス生活という言葉がぴったりとくる外観で、びしっと組み上げられた丸太にはニスがしっかりと塗りこまれてあって、スギで造られた屋根も頑丈そうだった。

 階段の先にあるバルコニーにはロッキンチェアーと丸テーブルまで用意されてある。


「どうだ、いい職場だろ?」


 ――タケ爺よ、やっぱり、ここが職場になるのか。そんでもって、ここが〈郵便屋さん〉になるっていうのか。


 そんな疑問が湧いてくるが、一方で、ゴロタの心は不思議な高揚感で沸き立ってしまっていた。


「すげえな! じいさ……昔田さんが建てたものなんですか?」


「タケ爺でいいよ」


 丸みのある鼻をなでながら、タケ爺はそう言った。


「とりあえず、中に入るぞ」


 バルコニーまで上がり、タケ爺は大きな真鍮の鍵でガチャガチャと音をたてながら扉を開くと、「ほれ」と言って、ゴロタを中に招き入れた。


 ウールの手織りカーペットの上に木製の円卓テーブルが置いてあり、採光具合のよい大きな窓の対面にはグリーンのソファがある。

 部屋の奥には仕事用と思われるデスクがかまえていて、端には小さなシンクがあった。


 ただそれだけの簡素な内装だ。


「シンプルイズベストだ。たまに、ここで読書をしてのんびりするんだが、おれも最近はあんまり来ていない。まあ、結婚前にこういうところに身を置いてみるのもいいだろ。もっとも、おまえさんが結婚できるとは思わんが」


 それには答えず、ゴロタはソファに腰をおろし、窓の向こうを見た。

 森には徐々に夕闇が訪れてきていて、少し不気味に感じられた。


「すごいな。まさか、町の近くにこんなもんが建ってたなんてな。ちょっとした軽井沢にいる気分す」


 聞けば、四十年くらい前にタケ爺が建てたのだという。

 ゴロタが子供の頃に来た時には、こんなロッジがあることは知らなかった。


「いいだろお」


 タケ爺は、子供のような表情でしたり顔になっている。

 金持ちってのは、変人が多いのだろうかと、ゴロタはこの老人の顔をしげしげと見た。


「客が来たら、そのソファに座らせとけ。お茶やコーヒーが飲みたくなったら、そこのシンクに給湯器があるから、適当にやってくれ。それから――」喜々として説明しはじめるタケ爺を、ゴロタは聞くともなしにただ眺めていた。


「ところでな」


 急にトーンを変え、タケ爺はにやりと笑った。


「この森がなんて呼ばれているか知っているか?」


 先ほどの記憶をたどってみる。


 たしか、「悲しみの――」


「悲しみの森だ」


 やはり、そう呼ばれているのか。

 それにしても、ちゃんと人の話には耳を傾けようぜ、じいさんよ……と、ゴロタが不平をあらわす前に、タケ爺はまた勝手に喋り出すのだった。


「江戸時代のことだ。この森にあるでかい木の前で出会った男女がいてな。仲睦まじい夫婦となったんだが、なんやかんやあって、なんやかんやで悲しいことがあったんだよ」


「なんやかんやで、全然伝わってこないっす」


「いちいち暗く話してもしょうがないだろ」


「そういう問題ですかね」


「ともあれ、その悲しいことがあって以来、この森に遊びにくる家族や恋人といった連中は、怖い目にあうっていう伝説があってな」


 ゴロタは、タケ爺のペースに慣れてきていた。

 ので、細かいことにはつっこまないことにした。


「本当にそうだとして、そのわりには、あんまり有名じゃないすね、この森」


「人は忘れるものだ」


 そう言って首をふると、タケ爺はデスクの椅子に座った。


「仕事の内容はな」


 やれやれ、ようやく仕事の話かと、ゴロタは次の言葉を待った。


「まず、ここにいて、人を待ってみて」


「人を、待つ?」


「ああ。ここにちょくちょく人が来る……はずだ。何人かはわからんが。、そいつは誰かに届けてほしいものを持ってくる――つまり、手紙だ」


「で、その手紙を目的の場所に届けるってこと?」


「さすがに、若者はのみこみが早いな」


 そう言われると悪い気がしないが、いくつかの疑問がある。


「でも、こんなとこに、本当に人が来るんですかね? そもそも、郵便ポストに手紙出せばいいじゃないすか」


 カアーッと、タケ爺は天を仰ぐしぐさをした。

 なんだか、腹が立つ。


「ここで待ってみればわかる。それと、やってみればわかる」


「はあ」


 不肖不肖、うなずくゴロタ。

 これ以上問い返しても無駄な気がした。

 それに、誰も来ないとしても、それはそれでかまわない。

 給料はきちっともらうだけだ。


「あとな、届ける先は、場所じゃあない。正しくは、人に届けるんだ。直接な」


「そうですか」もう、ゴロタは帰りたくなっている。


「一年だ。十年のうち一年だけ、。今が、その時期のはじまりだ。ゴロタよ、一年間、やれるか? その間に就職先が見つかったら、土日だけの勤務でもいい」


 まったく、わけのわからない展開だ。

 けれど、この老人のおかしな妄想だとしても、ここまで来た以上、断る理由もない気がした。


「やりましょう」


 うむ、とタケ爺は満足そうに深くうなずいた。

 それから、彼は立ち上がり、玄関の方に向かった。


「それからな、この仕事には慣れるなよ」


 窓の外では、深い色をたたえた森がざわついている。

 風が吹いてきたのだろう。

 ゴロタはタケ爺について、家路へと向かった。

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