第5話 音を立てて

 ひととおりの紹介――ではなく、ひととおりの厳蜜様を老人と堪能すると、彼は機嫌をよくして、表にある庭園の池のほとりまでゴロタを連れていってくれた。


「そういえばな」


 焼け野原のようになっている髪を夏の風になびかせ、老人は鯉にエサを与えはじめた。


「おまえさんが連れていた、あの女子おなごはおまえさんのコレなのか?」


 老人は小指を立てている。

 ゴロタは切れ長の目をやんわりと細め、笑った。


「いや、ちがいますよ。ただの友達です」


「ほほう」


 老人の目が輝きだした。


(おいおい、夢を見るのは勝手だが、まだ仕事の話もしてないぞ)


 そわそわとした気持ちを抑えつつ、ゴロタは質問を放ってみた。


「仕事って、どういうものなんですか?」


 すると、老人は妖怪のような身軽さで、ぴょんと上に跳ねた。


「ほうほう! おまえさん、なかなかやる気があるな」


「いや、やる気っていうか……」


「でもよ、あのコは興味わかないかな? おれが紹介する仕事。女子も希望!」


(人の話を聞かないのは、この家に住んでいる人間の特徴なのか?)


 とは思っても、ゴロタはこの老人のペースにはまっている自分を、どこか楽しんでいた。


「おまえさん、は好きか?」


「はい?」


「いいから、答えろ」


 このじいさんは、とんちでも出しているつもりなのか。

 そういうのは苦手なので、適当に答えることにした。


「どっちにしろ、どうでもいいことばかりだ。好きも嫌いもないですね」


 それと……さっきまで、考え方によってはどうでもいいDVDを一緒に観てましたね、とは、言わないでおいた。


 ふむ、と聞こえるか聞こえないかの声をもらし、老人はエサをあげている手をとめた。


「要はな、手紙を届ける仕事だよ」


「手紙?」


 郵便屋の代理みたいなものだろうか。

 まだ暑いが、次の仕事が見つかるまでのつなぎのバイトとしては悪くなさそうだ。


「それ、ここの家でできるようなことなんですかね?」


 いくらか軽くなった口調でゴロタがそう言うと、老人はギロッと目を光らせた。

 ここまでそれなりに話しているはずなのに、初めてこの老人と目が合ったような気がした。

 侍のような目つきだ。


「届ける――。これは、簡単そうにみえて、実はもっとも難しいことのひとつでな。特に、手紙ってやつは、重さなんかじゃあ、計り知れないものなんだ。軽くみてもらっては困る。この仕事は、おまえさんにかかっているんだぞ」


「えと、まだやるとは言ってねえんですが」


 老人は、眉に深いしわを寄せた。

 えっ、そうなの、とでも言うつもりか。


「えっ、そうなの」老人は、女子大生のように口に手を当てている。


 ゴロタは腹をさすった。

 さあ、どう答えようか。


「おまえさん、なのか」


「ええ、まあそうですね」


「ふうん」


 老人は、ゴロタの腹に目をやった。

 男に裸を見せる趣味はないが、彼の目があまりに好奇心に満ちていたので、「ちょっとだけすよ」と言って、ゴロタは服をめくってみせた。


「ここにホクロがあるんです。んで、こいつをいつの間にかさすっちまうときがあって」


 ほうほう、と小さくうなると腰を曲げ、老人はそのホクロを吸い込みそうな勢いで顔を近づけてきた。

 気持ち悪いので、ゴロタは手でつまんでいた服の端をおろした。


 老人の寂しい後頭部をいぶかしげに見つめたまま、ゴロタは彼の顔が上がるのを待った。

 だが、老人はゴロタと目を合わそうともせず、また池の方へと目を移した。


「なんです、いったい」


 老人は返事の代わりにタバコを取り出し、火をつけた。

 どうせ吸うんだろ? と言わんばかりに、ゴロタにマイルドセブンの箱を差しだしてくる。

 一本ちょうだいし、ゴロタもタバコに火をつけた。

 

「考えようによってはどうでもいいこと――。おれはそう言ったな?」


「はい、まあ」


「それって、おもしろそうだと思わないか?」


 老人はニカッと笑った。

 つやのある肌なんか見当たらないのに、ガキ大将のような笑顔だった。


 このじいさん、好きだな――。


 じいさんとの出会いを不意にするのは無粋なことだと思った。


 だから、


「やります。やらせてください」


 そんな言葉が、口から飛び出していた。


「そうかい」


 老人の頼りない髪が、風に揺らめいていた。

 細い髪と静寂に佇む池――


 古いや 蛙飛びこむ 水の音


 そんな、誰かに怒られそうな句がゴロタの頭に浮かんだ。


 老人は優雅に煙を吐き出しながら、うーんとのびをした。


「おれの部屋までおまえさんを連れてきたばあさんがいただろ? トミといってな。あいつ、あんなチラシじゃあ、アホしか来ないって言っててな」


「奥さんですか?」


 老人は、露骨に顔を歪めて大きく手をふった。


「女房なんぞ、とっくにこの家を出てったよ。トミは、妹だ。」


「へえ」とあいづちをうったものの、今の質問に、ゴロタは少しの申し訳なさを覚えた。


「おーいトミ! この若僧が、やってくれるとよ。ざまあみやがれ!」


「やっぱり、アホじゃないか。甘ったれじゃなきゃいいがね」


 家の奥から、ゆったりと、しかし存在感のある声が返ってきた。

 んぐ、と言い返せずにいる老人。

 軽く傷つくゴロタ。


 気をとり直そうと、話題を変えてみた。


「この家、ずいぶん広いですけど、昔田さんとトミさんだけなんですか?」


「基本的にはな。けど、週に三回、お手伝いさんがきて、色々とやってくれる。それからな――」


 老人は携帯灰皿に吸い殻を入れ、ポケットにしまいながら言った。


「おれは、武造たけぞうという。これからは、タケ爺と呼んでくれ。どうだ、フランクだろ」


 まじかよ、と思いつつもゴロタは、「わかりました。ちなみに、おれはみんなからゴロタって言われてます。そう呼んでもらえれば」と答えた。


「んじゃ、さっそく行こうかの」


「え、どこへです? タケ爺」と、ゴロタはさっそく老人の新しい呼び名を言ってみた。


 タケ爺は表情を変えずに、ゴロタに顔を向けた。

 どうやら、冗談じゃなかったようだ。


「仕事場だ。見たところ、今日もおまえさんはヒマそうだからな」


「そりゃどうも」


「なに、今日からいきなり働けとは言わん。仕事場までの道と、事務所を案内するだけだ」


 言い終わるなり、タケ爺はさっそうと歩き出した。

 滑らかな身のこなしだ。

 小さな背中を追いながら、ゴロタは声をかけようとした。

 が、そのタイミングで、


「今年で、七十七だ」と、タケ爺が背中で言ってきた。


「読心術ですか?」


「いや、長年の勘だ」


「……本当に、おれでいいんですか? 面接したって気がしないんですがね」


 タケ爺は速度を落とすことなく、歩いてゆく。


「アホな奴が好きでな」


 少しだけふり返るようなそぶりを見せたが、やはりそのまま彼は行ってしまった。


 一歩を踏み出す。

 土が、石が、自分の足の裏で小さな音をたててゆく。

 その感覚が、久しぶりに思えた。

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