第4話 踏みこんでみたけど
地元の駅から二駅目で降りる。
駅前広場の前にある目抜き通りをまっすぐ歩いて、古びたキャバレーの手前を右に曲がった。
そのまま細い道を三十メートルほど歩くと、はたしてその家はあった。
表札には
立派な家構えを前にして、珍しく、ゴロタは緊張を覚えた。
柵門の隙間から見える敷地は、五から六百坪はありそうだ。
敷地内には、池泉庭園が優雅に佇み、その奥には威風堂々とした日本家屋が建っていた。
今朝方――
ゴロタは受話器を持った。
宛先は、昨夜手にした求人広告の掲載者だ。
チラシを見た旨を伝えると、
「二時に、きてみなさい」
しゃがれた声が電話口から耳に届いてきた。
あのとき、美香と見たじいさんのイメージと重なる声だ。
それから、住所だけ短く伝えられ、「待っておるぞ、若者よ」という声とともに電話を切られた。
ゴロタは携帯電話をしばらく見つめ、また布団に横たわった。
ともかく、今の自分の身をなんとかしなければならなかった。
これ以上日雇いの仕事をする気にはならないし、長期契約のバイトだと就職活動がしづらい。
となると、この家で紹介する仕事は、就職するまでのつなぎのバイトとしては都合がいいかもしれない、とゴロタは思った。
うさんくさいチラシだったが、もし怪しい仕事であれば、やらなければいいだけのことだ。
今が一時五十五分。
ゴロタはチャイムを押す前に五回ほど深呼吸をし、(ええい、ままよ)と人差し指を前進させた。
ピンポーン、という馴染みのある音がすると、案外、腹がくくられてきた。
表札に再び目をやると、その下に、あの黄色いチラシのようなものがラミネートして貼ってあるのに気がついた。
〈悪質なセールス、大歓迎! ただし、勇気があったらな。くそどもが〉
再び、緊張が走る。
自分は、とんでもないバカに関わろうとしているんじゃないだろうか。
ゴロタは肩に手を伸ばし、肩を揉んだ。
なぜか、昨日のことを思い出していた。
ハローワークから帰ってくるやいなや、妹の由美がすました顔で、こんなことを言ってきたのだ。
「今日はダメだったんだね」
今日もだぜ、と思ったが、なにも言えなかった。
悪態の中にも、我が妹の微妙な気遣いが痛かった。
もごもごと口ごもっていると、由美はハブラシを口にくわえたまま、すたすたと自分の部屋へとひっこんでいった。
由美は昔から優等生で、今は大手広告代理店でバリバリに働いていた。
こんな不肖の兄貴を持っちまって、どんな気持ちでいるのか……。
腹の辺りをさすった。
ゴロタのへその上には、大きなホクロがある。
父も由美も、代々、ゴロタの家系は、へその上に大なり小なりホクロを持っていた。
なにか行動を起こそうとしたり、考え込んだりするときに、ゴロタには腹のホクロをさするくせがあった。
やがて、インターフォンでの返事代わりに、庭園をのぞむ日本家屋の扉がガラガラと音をたて、横にスライドしていくのが見えた。
ゴロタはひとつ、深呼吸をした。
カランコロン、と下駄が地をかんだときの心地よい音を響かせ、ひとりの老婆がこちらに向かってきた。
スターウォーズのヨーダのようなお婆さんで、浅黄色に花模様が刺繍された長袖ブラウスを着ている。
どこかの民族衣装のようだ。
ヨーダさんは庭園の真ん中にかけられている細い橋をよちよちと渡り、柵門の手前で立ち止まると、無表情のまま梅干しみたいな口を開いた。
「入りゃれ」
「え」
とまどうゴロタにかまうことなく、ヨーダさんはゆっくりと柵門の錠を開け、そのままのっそりと背中を向けた。
彼女の歩みは玄関口へと向かっている。
いちおう、案内してくれているらしい。
動きは、まるでぜんまい仕掛けの日本人形のようで、ゴロタは彼女の背中に導かれるまま後をついていった。
が、歩幅がまったくちがうので、気がつけばヨーダさんのすぐ後ろにまで迫ってしまっていた。
他人から見れば、電車ごっこでもしているような光景だろう。
密着しそうな気配に気づいたのか、玄関扉の前でヨーダさんは初めてゴロタの方をふり返った。
「スケベ」
小声で言ってきた。
唖然とするゴロタ。
怒る気にもならない。
「あんさん、あの求人広告を見て、ここに来たんだろ」
はい、とゴロタが答えようとすると、彼女はすでに扉を開けていた。
剛毅な日本家屋にふさわしい重厚な突き板仕上げの引き戸が横にすべってゆくと、この家の世界の空気がゴロタの体を通りすぎていった。
ヨーダさんよ、質問てのは人が答えるためにあるんだぜ、と言ってやろうかと思ったが、ゴロタは黙って靴を脱ぎ、三歩ほど距離をおいて、ヨーダさんの後についた。
一体、何部屋あるのだろう。
つやつやと光った廊下の木目に沿って、旅館のような襖が並んでいた。
角を曲がると、獅子が彫られた灯篭がそびえる中庭にさしかかり、縁側にある部屋の襖の前でヨーダさんは止まった。
「どうぞ」
背中でそう言い、彼女は無遠慮に襖を開けた。
その開け方で、彼女がこの家でそれなりに大きな立場にいることが伺えた。
あのじいさんの奥さんだろうか。
ともかく、いよいよご対面だ。
ゴロタは腹をさすりだした。
(昨日の酒の勢いでここまで来たけど、まあいいさ)
季節はずれのコタツが部屋の真ん中を陣取り、テーブルの上には、ケトルやかんやらスポーツ新聞やらが無造作に置かれていた。
畳は何年も張り替えていないのがわかるほどくすんでいた。
部屋の隅にある二十四インチテレビの前で、座布団の上に乗っているステテコ姿の小さな背中が目についた。
背中の主はこちらにふり返ることもなく、右手だけを上げて、ちょちょいと手招きをした。
その仕草だけで、ずぼらな男だとわかる。
ヨーダさんといい、このじいさんといい、一筋縄じゃいかなそうな老人たちだ。
それに、気がつけばヨーダさんが消えている。
ゴロタはじいさんのそばまでそろそろと近寄り、横顔を拝見した。
まぎれもなく、先日に見かけたあのエロジジイだった。
「あの、求人広告を見てお話を伺いにきました山田権といいますが」
ようやく、どこかの将軍みたいなおごそかな首の振り方で、老人は顔を向けてきた。
意外とつぶらな瞳だ。
老人は、袖の短いステテコから伸びたしみの目立つ腕で、股間をぼりぼりとかいていた。
「わしの修行は、ちと厳しいぞい」
「は?」
なんともいえない空気が横たわる。
老人は、わざとらしく咳払いをした。
「あの、あれだ。一回、言ってみたくてな、いまのセリフ……」
が、ゴロタは聞いていない。
目はテレビ画面にいっていた。
不覚にも今になって気がついたが、再生しているDVDは、艶めかしい顔で艶めかしい恰好をしている、セクシー女優の
なるほど、じいさんが背中だけで呼んだわけがわかる――
おおいに共感したゴロタは、こう言った。
「おれも、盤蜜様を崇んでいいでしょうか」
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