第3話 広告

「なんつうかよ、謝って済んだら警察なんかいらないって言う奴がいんだろ? あれが腹立つわけよ。警察ってのはよお、謝ろうが謝らないでいようが、世の中が気に入らねえ連中をぶち込むだけだかんよ」


「なるほどな。おまえに捕まった奴は、幸せだろうな」


「その通りだ」


「すごおい。タロちゃん、カッコイー!」


 不自然なブルーカラーがちりばめられた天井と、その天井に取り付けられたミラーボールがギラギラとした光彩を放っている、ひと昔前のJポップが流れつづける店内。

 本物の革か不明な黒くて固いソファに、大きな体を深くおさめ、太郎が顔を赤くしてまくしたてている。


「逮捕なんざよお、ほんとは、人が人にするもんじゃねえんだぜ」


 太郎よ、そういう話は他でしてくれ、と思いつつも、ゴロタは固いソファよりもさらに体を堅くしてしまっていた。

 太郎は、となりに座っているサテンのランジェリードレスを着た女の胸をつんつんと指でつつきながら、もう片方の手でしこたまブランデーを飲んでいる。


 ここは、いわゆるランジェリーパブで、ゴロタの中学時代からの悪友、太郎が馴染みにしている店らしい。

 ゴロタのとなりにも、同じような恰好をしたボブカットの女が座っているが、天気だとか、そういうありきたりな会話しかゴロタにはできなかった。


 ハローワークで惨敗を喫した後、ゴロタは太郎を誘って繁華街にくりだしていた。


 太郎は警官をやっているが、歌舞伎町辺りの通りでたたき売りでもやっている方が似合うような男だった。

 太郎と飲むと、ゴロタはちょくちょくキャバクラやスナックやらに連れていかれるが、今夜のような店は初めてだった。

 意外とこの手のお店は苦手なのだ。


「お兄さんは、シャイだね」


 肩にしなだり、ボブカットさんはたわわな胸の前でコップを掲げている。

 つい、ゴロタの眼力はコップの手前にあるふくらみに注がれてしまう。

 情けないことよ、と思いつつも、そうしてしまうのが男のさがだ、と開き直る。


 ボブカットさんはそんなゴロタを見すかして、にんまりと微笑んでいた。

 ゴロタは苦笑いし、しかたなさそうに白状した。


「おっぱいは、神様だ」


 ボブカットさんは背中をのけぞらせ、キャハハと体をおおげさに揺らした。


「調子でてきたじゃねえか。おまえも、たまにはこういうとこで息抜けや」


 おまえ、警官だよな? とは口に出さず、ゴロタは焼酎をちびりと口に含んだ。


「でも、ゴロタみたいな奴はよお、つまるとこ、華やかな場所は苦手なのかもな」


 なにがなのかはわからないが、ゴロタは「そうかね」といい加減な返事をした。


「空気がうまいとこじゃねえと、うまく機能しねえんだよ、おまえは。かっこつけらんねえしな」


「なんだよ、急に」


「別に」そっけなく言うと、太郎はまたつんつんをやりだし、ブランデーをくいっとやった。


 その後は、ボブカットさんの旅行話を眠くなるまで聞き、あくびをかみ殺しながら、ゴロタは時間が過ぎるのを待った。



「じゃあな。職探しに困ったら、おれに捕まりにこいよ。そんでもって、脱走ごっこをやろう」


「囚人が職業だとは知らなかったぜ」


 かすれた笑い声が駅に響いてゆく。

 そのまま太郎を見送ると、ゴロタは駅構内をぬけて、人通りの少なくなった通りを歩いていった。


 橋の下では、淀んだ川が街灯に照らされていて、どこからか流れてきた葉っぱが、川まかせにたゆたっている。

 右、左と動くたびに、その薄い体が少しずつよどんでいった。


 酒のせいか、一歩を踏み出すタイミングがおぼつかない。

 強めの風を受けると、そのままよろめいてしまう始末だった。

 千鳥足のまま、レンガで敷きつめられた道をたどってゆく。

 視界が狭く感じられ、早く家に帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。

 とはいえ、膀胱がパンパンになっていたので、ゴロタはそこら辺で用を足してしまうことにした。


 どうせ誰も見ちゃいないとチャックを開け、「ふうぃー」と、これから中年期に入っていくのにふさわしい声を出し、男の恍惚感に浸ってジョボジョボとやっていると、黄色いなにかが視界の端にはいった。


 ――あの妙な求人広告だ。


 電柱から元の主人の足元に帰ってくるゆばりたちを気にもせず、ゴロタは『やってみればいいんじゃない』の文字に、酔った目の焦点を当てていた。


 ゴロタの中で、なにかが鳴った。


 そのチラシをむしりとると、ポッケにつっこみ、チャックを開けたまま、ゴロタは家路へと急いだ。


(帰ったら、靴を洗わなきゃ。由美に怒られちまう)


 そんなことを思いつつ、ゴロタは前足を放り出すように歩いていった。

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