第2話 この町で

「はい、これ。ありがとうね! ほんと、感動しちゃった」


「だろ。美香なら、気に入ると思ったんだ」


 イタリアンレストラン〈カマチョ〉。


 ゴロタが美香が会うときは、たいていはこの店で待ち合わせをする。

 二人とも、厚いサラミとトロトロのナチュラルチーズがたまらないここのピザに首ったけだった。

 が、この日はスラムダンクの話で熱くなり、三十分過ぎても、ゴロタのピザは三枚しか減らなかった。


「あたしさあ、ここ一週間、電話もろくに出ないで、このマンガばっかり読んでたもん。いいよねえ」


 美香も美香で、自分の好きなシーンのことをペラペラペラペラとまくしたてている。

 一度こうなったら、二人の会話はなかなか止まらない。

 そんな相手はなかなかいないだろうな、とゴロタは思った。


(美香も、同じようなこと、思ってたりするんだろうか……)



 ゴロタの住む町は、都心から四十分ほどしかかからないのに、野良猫がよくほっつき歩いている。

 商店街にある店のほとんどはシャッターが閉じられていて、その代わりに、フランチャイズのコンビニやドラッグストアやクリーニング店なんかの看板が往来する人々を招いている。

 これで猫までいなくなったら、この町は色がなくなっちまうな、とゴロタは妹の由美に言ったことがあった。


 カマチョを出て、そんな地元の商店街を美香と歩いていると、彼女はなじみの野良猫を見つけて、大きな声をあげた。

 美香はとなりの駅で一人暮らしをしている。

 歩ける距離なので、この町にもよく来ていて、猫を見つけるとつい声をかけてしまうらしい。


「ブタバナ!」


 どうやら、彼か彼女の名前はブタバナというらしい。

 ゴロタは思わず吹きだしてしまう。

 美香らしいストレートなセンスだ。


 ブタバナの前でかがむと、彼女は――会社以外でみせる――持ち前のはつらつとしたホスピアリティでそのブサイク猫をなではじめた。

 ブタバナの肉球が好きらしい。


 それにしても、暑い。

 ゴロタは猫とたわむれる美香をながめながら、手で顔をあおいでいた。

 通りを歩くほとんどの女の子の恰好は、薄着だった。

 もちろん、美香もだ。

 彼女はしゃがみこんでいるので、イエローのコットン生地で仕立てているワンピースから胸元のふくらみがほころんでいた。


 さあ、ブタバナよ、もっと彼女に遊んでもらうんだ。


 そう念じながら、ゴロタはを優しく……あるいは睨みつけるように見つめた。

 

 美香は、ゴロタの視線に気づくと、ぐいっと背筋をのばし、「ヘンタイ」と、まともな言葉をぶつけてきた。

 すまん、と謝ってみせるゴロタだが、彼女にそう言われることは嫌いじゃない。


 そのとき、


「ちぇっ」


 と、あからさまな舌打ちがゴロタの耳に入った。


 自分のじゃない。

 ゴロタがふり向くと、そこにはキャップを深々とかぶったじいさんが立っていた。

 じいさんはぷいっと横を向くと、駅の方へいそいそと歩いていってしまった。


 ゴロタは美香のそばに寄り、ひそひそ声を出す。


「おい、あのじいさん、のぞこうとしてたぜ。人が無邪気に遊んでいるところをやらしい目で見るなんて、下卑た野郎だな」


「あんたもね」


 美香との、こんなやりとりにゴロタは幸せを感じるが、一方で、本当の言葉を伝えられずに、同じ場所に留まりつづけている自分自身にいらついてもいた。


 その弱さを認めるたびに、心に住む灰色の影がゆらゆらと揺れるようだった。



 美香と会った次の朝、目が覚めると、ゴロタはそのまま二度寝した。

 独身で無職男の特権だ、とそうやって毎朝開き直ってしまう。

 だが、そうして睡魔に負けたまま昼になり、脳が起きはじめると、次第に焦燥感が胸の内に立ち込めてくるのだった。


 顔を洗い、申し訳程度にひげを剃ると、ゴロタはスウェット姿のまま、ハローワークに顔を出すため外に出た。

 

 商店街を歩いていると、大手電機メーカーの出張所に立てかけてある看板に目がいった。

 ふと、甘い香りが鼻の中を通った気がした。

 なにかのお香のにおいだろうかと、ゴロタが顔を上げると、ある電柱が目にはいった。

 昨日、ブタバナとあのうさんくさいじいさんがいた場所だ。


 電柱には、黄色い紙が貼りつけてあった。

 あのじいさんが貼ったものだろうかと思い、ゴロタは電柱へと近づいていった。

 その紙はいかにも頼りなげだった。

 しかも、しわが目立つ黄色い地に黒いサインペンで書いてある文字は、うさんくささで満ちている。


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 左下の端っこには、おそらくあのじいさんのものであろう住所が記載されている。


(馬鹿な奴って、どこにでもいるんだな)


 妙に感心してしまう。


 ともあれ、こんなところに突っ立って、こんなものを見ていても、変な奴と思われてしまう。

 すぐに、駅へと足を転がしていった。

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