風の弾丸、回復術、唱えろ魔術

『こいつか……』


 目の前に聳えるは黒い大樹――のはずであるのだが、直径数百キロにも及ぶ大樹の幹は幹ではなくただの巨大な壁だった。樹皮も手に刺さりそうなざらつきはなく、これも根のように石の如き硬さを持ち、その黒々とした表面を輝かせていた。


『ついたね……。知らないけど、僕はこの風景を知ってるよ。世界樹が呼んでるのかもしれない。こっちだよ』


 オーがそう言うので、カラスは淡々と歩き始めたオーの後ろを静かについて行く。恐らく帰巣本能と呼ばれる深層心理に焼き付いた家への道が、今オーを導いているのだろう。世界樹についたものの、世界システムがどこにあるかなんてことはカラスにわかるはずもなく、導かれているオーの後ろをついて行くしかない。


 辺りには未だ無数の菌類が蔓延っているが、もう見慣れたもので、景色を楽しむどころか、もう見飽きたなと感じてきていた。


 そして世界樹の麓へ辿り着き、その幹に沿って歩き続けて二、三時間。オーが立ち止り、辺りを見回す。


 彼らがいる辺りから少し離れたところに大きな根が複雑に交わっているところがあり、そこに近づくと、その根と根の間にはぽっかりと黒い穴が口を開けていた。


 獲物を待ち構えているようなそれは、果てしない闇を孕んでおり、ずっと見続けているとその闇に自らが吸い込まれてしまいそうなほどだった。


『オー、落ちると危ないから下がってろ』


 と忠告するが、オーはそれを聞かず、身を乗り出し、その穴の奥を覗く。


『いや、この先だよ、カラス。恐らく世界システムはこの先にある。世界樹の地中根の先に』


 明らかに何もなさそうな場所ではあるがそれこそオーを見つける前に彷徨っていた場所もあの何もなさそうな砂漠であった。それこそ印象として何もないと思わせられるということは何かを隠す場所としては充分にその使命を全うしているだろう。


『目指すは世界樹の虚か……』


 そう呟いたカラスに笑いかけながらオーが応える。


『ラストダンジョンにはもってこいじゃあないか』

『ラストか。そうだな、ラストになるといいんだがな』


 神の遊戯から、世界の修正のための繰り返し、リッカを探しての旅、オーとの旅路。凄まじい数に登る冒険はカラスにとって苦しいものでしかなかった。それこそ、所々を切り取れば刺激的で、感動的なものであったかもしれない。しかし振り返ってみれば全て世界システムを始めとした色々な人間の思惑の渦中で戦い続けるという選択肢しか持たなかったカラスはこんな世界でもまだ戦いの途中であった。


 暗闇の中を松明一つでゆっくりとゆっくりと降りていく。この穴の中すらも、いや暗い穴の中だからこそ菌類が凄まじく繁殖しており、足元は意外としっかりしている。しかしただの竪穴と違い、右も左も何があるかわからないような空間になっているこの穴の中では少なくとも恐怖を感じざるを得ない。


 それこそ天を衝く大樹の根は、この世界の中心に届いていると考えてもおかしくはない。もしこの二つの入り組み、土を器用に配した根が世界の芯に到達しているとなるとこれから二人は膨大な距離を降りていくことになる。


 かつてカラスがいた世界ではこんな小説があったようだが、その登場人物のうち一人は無口でありながら淡々と任を熟す男で、主人公たる二人はその旅に必要な知識を嫌と言うほどに兼ね備えた学者だった。


 今ここにいるのは戦闘狂いと魔法少女。この状況にカラスは呆れて笑いが出るほどだった。


 笑みを浮かべつつも、どこまで続くかわからない竪穴を落ちるわけにもいかないため、足取りはしっかりと、ゆっくりその竪穴を降りて行く。


 しっかりとした地面らしき平面に足をついたのはそれから数時間経った後であった。そこというか底に辿り着くまで、何度か休める場所を見つけ、座り休憩し、また降りるということを繰り返していた。


『地底……? なんでかわからないけど、ここまで菌類の胞子は飛んできていないようだね』


 また先にオーがマスクを外し、辺りを見回している。カラスはそれにひやひやとしながら、マスクを外した。


「地上より空気が澄んでいるみたいだな。なんだろう、不思議な感覚だ」

「そうだね。取り敢えず、辺りを照らしてみる?」


 カラスは持っていた発煙筒と照明弾を使い、辺りを照らした。すると一瞬で辺りがハッキリと輝き、その全貌を表した。


 二人の背後にぶら下がっている巨大な世界樹の根の先以外は全くと言っていい程、カラスが初めてオーを見つけたマチが出現する直前の空間にそっくりであった。


 虚無さえ感じられる空洞は莫大な広さを持っており、天井は遥か高くまでに伸び、空洞の反対側は目が霞む様に見ることが出来ない。


「広いね……」

「広いな……。お前を見つけたあの場所にそっくりだ」

「マチのことかい? でもマチにはこんなに巨大な空間は広がってないよ?」

「いやマチを見る前に、俺はこんな空間を目にしたんだよ。でも瞬きをした一瞬であのマチが目の前に現れちまった。それこそ俺は疲れか何かで見間違いをしたのかとその時は思ったが、この景色を見たらハッキリとわかる。初めて俺がマチに訪れた時、そこには何もなかった」


 ふむと呟いて、オーは顎に手を添えながら何か考えるような素振りをしている。その状態のままカラスの周りをうろうろとした後、そういうことかと何かに気付いたように言った。


「本拠地はあってる。ここに世界システムはいたはずなんだ」

「また先行してる。もっと何も知らない俺にわかりやすく教えてくれないか?」

「そうだよね。そうだ。だからここに世界システムはいたんだよ。マチと一緒にさ。世界システムは一度その権限を奪取されてる。だからいろんなところにスペアの居住区を作ったんだ。もしこんな辺境だとしても、また誰かに侵入されて世界が改変されるなんてことがないようにさ」

「でもなんで移動したんだ? あんな砂漠に」


 そしてオーは気付いたように、言葉を続けた。


「カラスがそこに辿り着いたからだよ。世界の英雄が候補地に近づいたからもう一度巡り合うために、わざわざその力を利用したんだ。でも僕にはその移動したという事実のインストールがされてなかったから、当然のように、あのマチは自らを育てるものだという認識でカラスを世界樹へと導いてしまった。ここにはもう世界システムはないって言うのに」


 オーは申し訳なさそうに、視線を落としながら言った。もちろんここまでの旅は大変なものだった。それこそやっと終わってくれるのかと期待を抱いた。しかし。


 生まれて間もないこの大人びた悲し気な少女を前に、期待を裏切られた心苦しさより、単純に心の底から湧いてくる温かな感情を口にせざるを得なかった。


「まだ旅は続けられるみたいだな……」


 優しい口調で紡がれたその言葉にオーははっとカラスの顔を見るが、そこにはその言葉と同じような優し気な笑みがあった。


 こみ上げてくる思いを抑えながらオーは「皮肉はそんな笑顔で言うもんじゃないよ」と呟いた。




 カラスとオーは取り敢えずと、あの部族の元に戻るために、歩いてきた道を戻る。カラスの昔からの癖で、道中辿った道に目印を残していたため、帰路を見つけるのはとても簡単であった。


 世界樹の根を登り、虚から出た後、巨大な幹を横目に見ながら、菌類に侵された死の森を抜け、部族がいた地帯に辿り着いた。


「なんだよこれ……」


 その森の光景を見たオーはそんな気の抜けた声を吐き出した。目の前に広がるのは――焼け爛れた樹木に、地に虚しく突き刺さった矢、ここで戦闘が起きたことが明らかにわかる血だまり――注視するには醜過ぎる争いの残痕だった。


「俺たちを追ってきたか?」


 そう言ったカラスの視線の先には、まだ甲高い音を鳴らしながら腕の丸鋸を回転させている人型の掃除屋がいた。


「こんなところでいちいち戦ってたらきりないぞ!」


 そう叫びながら長銃を構えたカラスに合わせ、オーも戦闘態勢に入るが、その直後、カラスの背中に向かって黒い獣が飛びかかってくる。右肩をその鋭い牙に抉られつつカラスはそのまま地面に組み伏せられる。


 腕を肩から食い千切ろうと頭を振る黒い獣に向かって、残存している魔力嚢からこの状況を打破できる魔術を申請する。


 黒い獣の腹部に拳大のクレーターのようなものが浮かび上がり、そのまま後方へ激しく吹き飛ばされた。圧縮させた空気を凄まじい勢いで放つブラストと称される魔法だった。


 そしてどろりと肩口から流れ出る血液を、傷口を抑えながら止め、もう一度申請を行いその傷を修復する。


 ブラストは世界改変が行われ、魔法による戦争が頻発していた時代に創られた魔法であるために、何かしらの科学や発展に貢献するものではないが、傷を治したヒールはそれこそ、この世で長く息づいている魔法といえた。


 それはかつてカラスがいた時代の手術を自動化した者であり、ボロボロになった組織を一度分解、そして再構成しなおす魔法であった。そのために失った血は戻らない。


 またこの二つの魔法によって残り少なかったカラスの魔力は尽きることになる。


「もう俺は魔法を使えないぞ……」


 と危機を感じる二人の周りにはぞろぞろと部族を襲ったであろう掃除屋たちがゆっくりと集結しつつあった。それどころか黒い獣も起き上がり、二人をどう餌にしてやろうかと狙っている。


「もう僕がやるよ⁉」


 叫んだオーをカラスは制止させ、指示を与える。


「オーはあの黒い獣を従魔化しろ!」

「じゅうまか……? 動物使役の申請か! 任せて!」


 動物使役。言葉通りの魔法であり、魔力の根源たる人々の生命エネルギーを直接動物に流し込むことによって一時的にその動物を自らと一体化させ、思い通りに操作、使役する技術だ。


 カラスの指示を受け入れたオーは黒い獣と対峙する。まず動物使役の申請を行うには、その動物に触れている状況でなければならない。定石として動物を拘束、または麻痺させる申請を放つ必要があるため、オーはその申請を行い、発現した麻酔矢を黒い獣へ放つ。


 それこそ科学の集大成であるオーのイメージによって発現した麻酔矢は、注射器に麻酔薬が入っているものだが、イメージを変えることで毒々しい色をした光り輝くエネルギー体を放つことも可能だった。


 結果的にその麻酔矢は黒い獣に命中し、一時的な麻痺状態に陥らせることに成功する。


 新たな指示をしたカラスは無数の掃除屋の前に立つ。敵は二輪型三機と人型二機、球体型が四機。持っている武器は長銃型の疑似駆動銃と銀の短剣、駆動装置のみ。散弾銃型は破壊されてしまった今、一発ごとに装填を行わなければならない長銃を使っている暇はない。


 ここでカラスは数日ぶりに駆動装置を手に取った。先ほどの黒い獣の攻撃によって血を失っている以上、最大五発のこの銃を、まだ旅の道程が残っているとわかった今、何発も使うわけにはいかなかった。


 だがこの状況、命を落とすか命を使うか。カラスは命を使いに使ってきた男だった。小さな溜め息をついた後、駆動装置の機構部分から伸びた管の針を動脈に突き刺す。ツーっと赤黒い血が駆動装置の中に流れていき、駆動装置の中心が赤とも黄色とも言えないような色に輝き始める。


 カラスの戦闘態勢に気付いた掃除屋たちは各々の武器を露出させ、カラスへ接近する。最初は球体型であった。


 球体型の攻撃方法は基本的に体当たり。だからこそ対処は簡単だ。


「駆動装置、起動」『認証、確認』


 機械音声が流れた直後、カラスはもう一度声を発する。


「弾式変更。散弾〈スプレッド〉」『弾式変更、確認』


 トリガーを引くと、目を覆いたくなる程、閃光と共に細かな真っ赤な弾丸が打ち出され、迫っていた四機の球体型は皆全て装甲を融解させ、その熱は内部をも破壊し、カラスの背後で動きを停止させた。


 次から迫り来るのは二輪車型だが、長らくこの時代の戦闘を行ってきたカラスにとって一定のプログラムを組み込まれた機械の攻撃なんてものを避けることは、赤子の手を捻るより簡単なことであった。


 凄まじい勢いで接近する二輪車型の最初の攻撃は球体型と同じ体当たり。そして外した場合、ターゲットの背後で急転回し、銃撃を行ってくる。だからその二輪車型の体当たりをローリングによって躱し、もう一度言葉を発する。


「弾式変更。追尾〈ホーミング〉」『弾式変更、確認』


 その音声の直後トリガーを引くと、だんだんと内部の光が強く鳴った後、三回の衝撃がカラスの腕に走る。三つの赤い弾丸が飛び出すと、そのままカラスの目の前で急旋回し、カラスの背後から走り寄る二輪型三機を貫いた。


 トリガー一回で一発分。血を流している以上、後もう一発かと思ったカラスだがこの瞬間、吐き気を催す程の倦怠感に襲われ、その場に膝をつく。


 まだ二機の人型が残っているが、もう一度駆動装置を使えば、気絶してしまうかもしれない。だが武器はこれだけではない。カラスは丸鋸を振り上げた人型の胸部に一発。長銃型疑似駆動銃の弾丸を撃ちこんだ。


 それによって一機の人型を倒すことに成功するが、もう一機はもう倒せそうにはなかった。


「頭から噛み砕いてやりな!」


 そう辺りに響き渡った少女の声は力強い。しかし目の前に現れたのは想像の可憐な少女ではなく、黒い獣である。


「従魔化に成功したか……」


 黒い獣が人型の頭に齧り付き、凄まじい音を立ててその金属の骨格をボロボロに噛み砕いて見せた。


「……。俺はさっき一瞬でもこいつに噛まれたのか……」

「幸運なのか、判断の早さが早いのか。まあどっちにしても今日は生き延びたでしょ?」


 と手を伸ばすオーの手を掴み、カラスも黒い獣の背に跨った。そして二人は不帰の森脱出を目指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る