第四章 世界樹

最後の力は守ると決めた君のために

 不帰の森を部族の者たちと二人はただひたすらに歩いていた。気温が高く、どうしても暑さに耐えきれないため二人は当初の衣服とは比べ物にならない程の軽装になり、虫刺されのリスクが大きくなったが、それを男に勧められた通り、ヨモギらしき植物に火を付け、煙を焚くことで防いでいた。


「暑い!」


 オーが叫んだあと、首から下げていた水筒の口を開け、それに豪快に食いついた。大きく喉を鳴らしながら飲んでいる水はカラスが様々な方法で集めた水であった。


 もちろん寝る前であればオーに頼み、水を出してもらうのも良かったが、生憎この心強いパートナーは燃費が悪い。カラスはなるべくオーの力を使わずに行動したかった。


 水筒四本分近くの水を集めて見せたカラスに、オーは目を輝かせながらカラスに方法を尋ねたが、説明が面倒臭いカラスは、ろ過と雨と朝露がヒントだとだけ言って、上手く誤魔化して見せた。


「おいおい。そんな勢いよく飲んだらこれから先、飲み物無くなっちまうぞ?」


 二本あるうちの一本を飲み干してしまったオーは最後の一滴までなめ尽くした後、カラスの忠告を適当に聞き流す。


「はいはい。無くなったら出したらいいんだよ」

「だから何度も言ってるが、いざというときに……」

「うるさいな、わかってるよ」


 と、先ほどからオーはさながら反抗期の如く、カラスの言葉を面倒臭そうに受け流している。そんな会話を横目に部族の男は目の前の茂みを鉈で切り裂いた。




 あれから数時間、だんだんと異様に波打った巨大な植物が見えるようになってきていた。二人は言わずともそれが世界樹の端の端、根の先だということを理解していた。


 アーチのように地面からせり出しているものや、ジャングルの樹に巻き付いているもの。これだけの大きさの樹が生きるにはどれだけの栄養や水が必要なのだろうか。


 しかし世界樹の周囲に生態系が生まれているのも事実だし、数千年もの間、歴史を紡ぎ続けていたのも事実だ。


 黒々として、石のようなそれに興味本位でカラスは自らの鉈を振り下ろしてみるが、硬さこそ本当の石のようでこれ以上強く叩きつけていたら鉈が使い物にならなくなっていただろう。


「これが空を支えた大樹、世界樹か……」

「はい。ですがもう命が尽きかけている」

「まあそのせいで世界がこんな風になっちまってるんだからな」

「それもそうなんですが……」

「だがこれが根だということは、あとはこいつを辿っていくだけだなんだろう?」

「はい。もう少しで私たちの村です」



「もう、旅も終わるんだ……」


 カラスと男の話を聞いていたオーは静かに、誰にも聞かれないような小さい声でそう呟く。


 旅の終わりが近づく中、オーは度々寂しそうな表情をするようになってきていた。それがただ単純にこの刺激的な旅が終わることへの名残惜しさか、自らの生まれた意味について知ることへの恐怖か、ある程度の予想は立てられるが、カラスがそれについて知る由もない。




 それから数時間歩くと、世界樹の巨大な根が森を大きく侵食はじめ、それこそ自分が小さくなったのではと錯覚するような景色に変わってきた。そしてその石のように固いはずの根に深く刻まれた傷を発見した時、カラスはその傷に近づき、そっとそれに触れる。


「なんだ、この傷……」


 よく観察した後ゆっくりとその傷の上に指の腹を這わせた。その切断部分はまるで繊細な硝子や若い女の肌のように抵抗がなく、その傷をつけた者の存在の強大さを物語っている。


「これは先ほどの獣が縄張りを主張するためにつけるもの」


 部族の男はその傷に驚くカラスを宥めながらそう言う。しかしカラスは、いくら強力な筋肉を持ったあの獣だとしても、これほどまでに滑らかで鋭利な傷をつけることはできないとわかっていた。


「それはおかしいだろう。この斬撃痕は明らかな刃だとしてもできるかどうか。ましてや自然で生きる獣の爪でなんて」

「魔力の匂いによるマーキング」


 その言葉にカラスは耳を疑った。


「あの獣は魔法を使うとでもいうのか?」

「そうです。この森に生きる者たちは皆、唯一ノ木からの恩恵を未だに受けている。この世界の根幹に近い者たち。私たちは近世種と呼んでいます」


 世界樹が強く強くその鼓動を打っていた時代から変わらない身体を持ち続ける者たち。しかし世界樹が死んでいる今、世界樹からの恩恵を受けられるわけがない。


 この近世種にはもっと他に魔法を再現する術を手に入れているとカラスは気付いていながら、古い考えを持っている彼らにそれを伝えるべきではないと思い、その後ただ先導する男について行った。


 だいぶ歩いたが、やっと彼ら部族の村に辿り着くことが出来たカラスとオーは村の門らしき建造物の元で一息ついた。


 どのように加工したか知らないが、明らかに世界樹を利用した家が多く建てられていた。高床式と呼ばれるタイプで、暑い気温が故に壁は最低限のものしかなく、ほとんどプライバシーが守られていないような家ばかりであったが、彼らの服装の感じを見る限り、これが最適なのであろう。


 また屋根は多くの葉を編み込んだ茅葺式であり、家の中に入れば清々しい程の木々の香りが充満していた。


 そのうちのだいぶ大きな家へと案内され、二人は丁重に持て成された。ここの森で獲れたであろう果物を多く使ったサラダのようなものに、動物たちの肉をふんだんに使った料理。少なくともここまで豪華で瑞々しい食事はカラスにとって数年ぶりといえた。  


 そしてその食事をしながら部族長であると名乗った先ほどの男に、オーの素性を明かさない程度の嘘をつきながら世界樹の元へ行きたいことを伝えた。


 部族の掟によって彼らは、ある地点から世界樹へ近づくことは許されていないが、そこまでは護衛を兼ねて案内をしてくれるらしい。

 男たちは少し休んでくださいと告げ、そのままカラスたちの元を後にした。


 話の途中からカラスは気付いていた、隣に座る少女のいらいらとした視線に。


「さあ二人だよ? 説明してもらおうか?」


 オーのその言葉は明らかにカラスが魔法を扱えるかについてだった。


「さあどこからはなすとしよう?」

「カラス、君はいつの時代の人間だ?」

「生年は二〇〇〇年」

「今の年は、カラスが生きていた時代の指標となる救世主の生誕から数えたら二万年とちょっとだ。一万八千年以上も昔の人間て言うことだね。世界システムを作り上げた者たちとほとんど同じ生年だよ」

「そうか、人類はあれから一万八千年も生き長らえたんだな。おかしいだろう? 俺がいた時代なんて年一くらいの頻度で人類滅亡説が唱えられていたんだ」

「そんなことはどうでもいいよ」


 重い声音だった。


「どうしてカラスが、過去の時代の人間だというのに申請が扱える?」

「俺が世界システムの庇護を受けた人間だからだ」

「それはおかしいだろう。だってじゃあカラスは私と同じように世界システムによって誕生させられたって言うのかい?」

「それは違うな。さっきも言ったが、俺の生年は二〇〇〇年。ちゃんと両親だっている。俺は一度死にかけた。二〇一五年のことだ。自然災害によってな」

「死にかけた……。それで?」

「世界システムの時空操作装置を利用して死にかけた人を治す。元の世界に戻らせる代わりに戦争の駒にして、富裕層の人間がその戦争でどちらの軍が勝つかを賭ける『神の遊戯』。その駒に選ばれたんだ」


 見ていなくとも知識があるオーはその非道な行いがされていたことを知っている。そしてその結果ある一人の駒によって世界が大きく改変され、その結果この滅びかけた世界があるということも。


「第何回の……?」

「六回だ」

「世界が改変された回の……」


 本来『神の遊戯』はその戦争で勝ち星を挙げた軍のエースを、元の世界に戻すというルールであるが、第六回の参加者の一人である悪人によって世界システムの操作権限を奪取されたが故にそのルールに大きな変更があった。


 それどころか世界自体が大きく改変されてしまったのだからルールもくそもなかった。


「じゃあ貴方は……」


 オーは目の色を変え、改めてカラスのことを見つめる。

その時オーは、カラスと出会った時ヨんだあの本、『英雄伝』。それもアルマの『英雄伝』を色濃く思い出していた。


 そう強く投影された映像はアルマという人物であったが、世界システムを奪取するほどの悪人を打倒するために、かつての生き残りが行った戦法は一人に数名の英雄の力を集約して戦わせるということだった。


 そしてアルマはその英雄の一人にすぎない。世界を元の世界に戻した人物、アルマの英雄伝だと認識していた英雄伝の主人公の名前は……。


――有馬 海莉――


「有馬海莉……。じゃあカラスっていうのは……」


 カラスは少し沈黙した後、また話し始める。


「その神の遊戯で仲を深めた女性がいた」

「リッカという人ね?」

「ああ、リッカはその時のごたごたのせいで、どこか遠くの時代に飛ばされてしまったみたいなんだ。世界改変を直した俺は世界システムに制限付きの時間移動の術を授かった。それを使って多くの時代を旅してリッカを探していた。その時に書いたのが旅行記。カラスは当時の俺のペンネームだよ。そして旅行記を出版した後、この世界に辿り着いてしまったわけだ」


 オーは少し考えた後、口を開く。


「そうか。いくら世界の英雄だとしてもカラスの身体は旧人類種。体内に世界システムへ行う申請と受理を使うためのエネルギー器官は備わっていない」

「ああ、その器官が無い者でも魔法を扱えた時代があったのは生命力あふれる世界樹の花粉が魔法の発現の助けを担っていたから。だが世界樹のない俺の時代には、世界樹へと突然変異する前の植物の花粉をエネルギーとして蓄えて利用したんだ。生憎エネルギーを感じ取るとかの技術は身についていたからね。でもその植物は世界樹ほど強いエネルギーを持っていなかった。だから俺がリッカを探しに飛べるのは数年に一度だ。そしてその世界樹の元となった植物もなく、世界樹も死んだこの世界で俺は魔法を使うことが出来ない」

「だから帰れない……。世界システムの元に辿り着く以外には……。いやでもそれならなぜさっき」

「一回分だ。帰るための」

「時間転移の申請には莫大なエネルギーが必要だ。そんなのを世界樹無しでなんて」

「移植されたんだよ、魔力嚢をさ。元の時代に帰る時に、いざってために。でも使っちまった。あの程度の矢を止めて、エネルギー方向を変換するなんてことは、簡単なことだったけどな」


 家へと吹き抜ける風が、簾を揺らし、音を鳴らしている。密林というのは意外と五月蠅い。遠くで獣の声が聞こえ、村の中だとしても近くの叢が揺れる音がする。


 だからこそ簾の揺れるの音に集中することで他の音から気を紛らわせる。過去を知ったオーは矛盾を自覚したあの時のように黙りこくってしまった。しかし今回は意外と早く口を開く。


「なんでだよ! なんで僕なんかのために!」

「お前のためでもあったが、あの時俺が使わなかったら俺も死んでただろう?」

「僕に申請を使わせたらよかったじゃないか!」

「申請は体力、所謂生体エネルギーを使用する。だから限界を超えた使用は死に直結する。知ってるだろう? 世界システムの場所はお前しか知らないんだから。あと言っただろう? ちゃんと自分を見ていてくれって。守るのは保護者として当然だ」


 涙を浮かべながらカラスを責め立てていたオーはその言葉に、口を噤んだ。つーっと彼女の柔らかな綺麗な頬を一筋の雫が垂れていく。


 そしてオーは静かに姿勢を崩していたカラスに覆い被さるような形で、カラスを抱きしめた。膝立ち気味に抱きしめていたオーはカラスの頭を抱え、静かに髪を撫でる。


 オーはカラスの自己犠牲に心を打たれたのだろう。だがそんな単純な話ではなかった。今までといっても数日しかなかった二人の絆は浅いだろうか、深いだろうか。


 会って数日の男を信頼しろなんて本来であればあり得ない話であるが、オーの中ではこのカラスという男が、信頼に足る男であり、彼のためであれば自分だって命を張れるとそう感じた。


「おい、苦しい」


 オーの胸に埋まる形になっているカラスがそう言うが、オーは「今はだめ。見せられる顔じゃない」と告げ、静かに彼女が落ち着くのを待った。




「私たちが行けるのはここまでです。お二人の無事を祈っております」


 部族長は二人にそう告げた。


 世界樹の根が太く、一本の高齢樹のような大きさなってきた辺りだった。根にはぽつぽつとたんぽぽの綿毛のようなものがくっついており、カラスはそれが死にかけた植物に寄生する菌類だということを知っていた。


「ここから先は死の森。菌類の瘴気に侵された大気によって森の外と同じような環境が広がっていますが、恩恵を受けたお二人であれば大丈夫でしょう」


 そう言われた二人はマスクを着け、その瘴気に備える。その後、部族長にお礼を告げ、死の森へと足を踏み入れた。


『結局あの人たちはなんであんなにカラスを敬っていたわけ?』


 オーが尋ねる。


『死にゆく世界樹を救う一手、若しくは看取るものになって欲しいらしい。自分たちは恩恵を得ていないから幹へと近づくことは出来ない。それを許されていないからここは死の森になっていると』

『部族なだけあって、やっぱり考え方が論理的ではないみたいだね』


 オーは呆れたように言った。それこそ全ての知識が世界中の科学を司る世界システムから来ていると考えればそう感じるのも仕方ないだろう。


『あれも文化だ。彼らにとってそれが常識で、あれが当たり前なんだ。違う文化で生きる俺たちが口を出せる問題じゃない』

『そういうものなのかな』

『そういうものなんだよ』


 死の森は先ほどまでいた不帰の森とは違い、一切動物などの鳴き声がしなくなっていた。しかしそれとは別に世界樹に寄生し始めているキノコの数は多く多種に及んでいた。


 太いものから細いもの、大きいものから小さいもの、綿毛のようなものから想像通りのような形のものまで様々であったが、全て一貫して白い菌類であった。


 黒い世界樹の根と、それを覆い尽くす白い菌類。カラスたちの前に広がる光景は異様とも呼べる荘厳な景色であった。


 しかしここまで来れば世界樹の根も凄まじいほどに大きなものへと変化し、足元にある土は既に消え、大地すらも世界樹に埋め尽くされて来ている。幸運なことに、世界樹の根に寄生した菌類が土のような役目を果たしているため、足元がおぼつかないなんてことはなかった。


 生憎、死の森と呼ばれているだけあって、辺りに自らを襲おうとする獣がいることもなく、自らを包み込む空気以外、自分たちの安全を脅かす者はなかった。

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