第三章 機械との旅路
遥か遠き星に願いを込めて
『だから、二輪車型のを貸してくれればよかったのに……』
カラスは若干息を切らしながら、そう愚痴を告げた。しかし愚痴を告げたと言っても灰に塗れたこの世界で直接口を開くことはせずに頭でその言葉を思っただけであった。
『言ったけどあれは僕の大事な家族みたいなもんなんだから、こんな野蛮な世界に連れて来られるわけないだろう?』
カラスの頭の中の言葉に対し、オーが口を開かずに応えたのは、二人の右のこめかみのあたりにあるシール型の機械によってであった。一対であるこの機械は、二人が脳内で考えた言葉を送ると考えると、それを察知し、もう片方の機械へと送信する。そのことにより一種のテレパシーに似た電波通信ができるのであった。
結果この灰に塗れた世界にて二人の言葉による攻防が終わることはなく、砂丘を越えるごとに、カラスはマチにいた二輪車型の掃除屋に乗ってくることが出来たらと愚痴を続け今に至る。
――所詮機械じゃないか――という言葉が頭をよぎったカラスはその言葉を出しかけて、咄嗟にそれを自分の底へ押し込めた。何度も自分のことを機械だの、人工物だのと告げるオーに対し、そんな浅はかな言葉を投げつけることがどうしてもできなかった。
彼女は人工物であっても機械ではない。血は通っているし、手には温もりもある。何より自分とこれほどまでに朗らかに会話を続けているのだから、少なくとも機械ではないだろう。
『どうしたの、急に黙ってさ』
考えているとオーが話しかけてくる。
『いや、それもそうだなと思ってさ。じゃあ適当に外で出回っている奴等を捕まえる分には問題ないんだよな?』
『それは全然オッケーだよ。寧ろ僕もそろそろ歩くのが疲れてきたしね』
二人の目的地は世界樹であったのだが、まずは砦の村へと歩を進めていた。カラスは一応依頼を受け、マチへと辿り着いた。村長には全ては教えず、オーが付けている新たな駆動装置を見つけただけと伝えるつもりであった。
オーには『律儀な男なんだな』とからかわれたが、自分の広まりすぎている名前と依頼の無断中止を考慮すると、これからも仕事をしていくうえで、この仕事を蔑ろにすることはできなかった。
と、考えていると依頼内容の一つであった行方不明者の捜索をすっかり忘れていたことを思い出す。
『そうだ、マチの外の砂漠で人の死体とかなかったか? もしくは人がここにいたってことがわかるような痕跡みたいなの』
『あーあそこは普段凄い浄化装置に溢れてるからねえ。人が近づいたらすぐ殺されちゃうんじゃないかな』
『もし、そうだったとして、その殺された人たちはどこに行ったんだ?』
『今頃はもうちゃんと弔われてるんじゃないかなぁ』
『自分たちで殺したというのに弔うのか? 墓を掘ってか?』
『そうだよ、この人がちゃんとここで生きていたっていうことを残すために、墓を作り、そこに弔うんだ』
カラスはオーがなにを言っているのかわからなかった。わざわざ弔うならばなぜ殺すのか。それはオーに聞いていいのだろうか。もし、それに対する答えを聞いて自分は納得して、このままオーと旅を続けることが出来るのだろうか。異様な不信感が凄まじい勢いでカラスの周りで渦巻き始める。
ここはなぜか聞くべきではないと思ってしまった。だからカラスはいつもの通り、その場を茶化すように皮肉で『酷い矛盾だな』と笑いながら言った。その瞬間オーはスイッチがオフになった機械のように歩くのをやめ、言葉も発さなくなった。
『どうした?』
カラスは自分が何か地雷を踏んでしまったのではないかと思い、尋ねるが返答はない。その後頭の中で、ではなく耳で「矛盾――」というオーの声が聞こえた気がした。
それから堰を切った様にオーはひとりでに話始める。
「そうだよ、おかしいじゃないか。わざわざ弔う――敬っているんだったら何でその命を奪うんだよ。命を奪うなんて行為に敬意なんて一つもないじゃないか。矛盾してる、矛盾してるよ……」
突然そう話し始めたオーの肩を揺さぶり、カラスはオーに呼びかける。すると今まで瞳孔が開ききっていたオーは意識を取り戻したように、その口を閉じる。
『すまない、動揺した。自分が今まで当たり前だと思っていたことが覆されるってのは気分の良いものじゃないな』
自らを嘲笑うように吐き捨てたオーは、そのまま振り向き、歩き始める。
『両親たる世界システムに疑問でも抱いたか?』
『嫌な質問の仕方だな、カラス。僕にとって世界システムは絶対だし、この世界にとっても世界システムは絶対だ。僕の記憶が抜け落ちているせいで、世界システムの真意が掴めないだけだと思いたい――』
寂しそうに呟くオーから、初めて世界システムへの想いを知れたカラスは、矛盾という言葉が良く効いたと思ったと同時に、オーの思想の動きを感じた。
世界システムを絶対唯一だと思っていたオーに、世界システムの矛盾を提示することでこちら側へと懐柔できるかもしれない――。
かなり歩いていただろう。砦の村を離れ、大砂丘をいくつも越え。物欲センサーと言おうか。掃除屋からの襲撃はあったものの一度たりとも二輪車型の掃除屋が二人の目の前に現れることはなかった。
とぼとぼと歩き続けているが、それはただの疲労であり、この灰の砂漠で水や食料がなく死にかけているということはなかった。それも何か困れば全てオーが駆動装置によって手品のようにポッと出してくれるため、水にも食料にも困らなかった。
もはや重さにしかならない水筒なんてものを捨ててしまってもいいのではないかと思う程に、オーとの旅は快適だった。
『今日はここで休もうか』
オーが久しぶりにその口を開いた。辺りは既に暗くなりはじめ、夜の砂漠はいかんせん冷える。
明日以降のコンディションを考えると今からキャンプを設営し始めるのが妥当であった。カラスが普段から扱っている丈夫な木材と麻布を組み合わせ、簡易テントを組み立て、テントの外には火を焚いた。
猛獣なんて称される獣たちは死に絶えた今、身を守るための火は必要がなかったが、人にはまだ火が必要だった。
もちろん料理をするうえでも必要不可欠だが、かつて自らの身を守ってくれていた火は今でも人々の心の中に支えとして絶えず煌々と燃え盛っていた。
オーが出してくれるいくつかの食料を手鍋に入れ、焼き、煮込み、蒸かす。今日の夕飯は蒸かしたイモと、イモのスープ、乾燥肉のソテーだった。
『できたぞ』
カラスが言うと、オーはまた話さずにテントから出てきて、自分の分の食事を貰い、テントの中に入っていった。カラスは器に移すのが面倒なため、それらが手鍋にある状態のままテントに入り、食事を摂る。
少し前であればこの食事も多くの会話が行われていたものだろう。だがオーが矛盾を抱えたあの時から、オーの口数は圧倒的に減り、快適ではある者の楽しいものとは言えなかった。
狭いテントの中で二人、会話が行われない冷えた空間に飽き飽きしたカラスは、少しの灰を諦めて外で食べることにする。夜は強い風が吹くが世界樹が花粉をまき散らす量は減る。結果的に人間は夜の方が動きやすいような世の中になっていた。
ぱさぱさとして、ねっとりと口の中に纏わりつくイモをスープで流し込み、味のアクセントが欲しくなれば、肉のソテーを放り込む。淡泊でありながらもやはり食事と言うのは力を取り戻させる感覚を味わわせてくれる。
ふと空を見上げると、灰の雲の切れ目が見えた気がした。今日は久々の星が見えるかもしれない。
十分温まったため、カラスは焚火に辺りの灰を被せることで火を消し、テントに使わなかった麻布を広げ、その上に寝転び空を見上げた。
曇天だ。灰によって創られし雲は日を陰らせ、植物を実らせなくなった。雲は人々から緑を奪い、日を奪い、月を奪い、星を奪い、天文学を奪った。
そんな世の中でさえも、人々は星と月に神秘を感じ、この灰に塗れた空で夜、星や月を異性と見ることが出来れば結ばれるなんて言う迷信があった。
テントの中にはオーがいる。少女であるオーに対し、恋愛的感情を抱くことはないだろう。しかしオーは微かにリッカと呼んだ女性に似ている気がする。
カラス自身リッカのことを覚えているわけではなかったが、あのアルマの英雄伝をヨんでから薄っすらと世界システムに奪われたはずの記憶が戻りつつあった。その記憶にいるリッカはどこかオーに似ていた。
しかしカラスはオーに対してそういう気持ちを抱くことはなかった。内面的に成熟しきっている彼女が少女の恰好をしているからどこか歯止めが利いているのか、彼女が機械だからかわからない。やはりカラスはリッカに似ているオーではなくリッカを求めているのだろう。
雲の切れ目から星が覗く。久しぶりに見た宇宙の輝きは酷くカラスの心を打った。美しかった。ただ眩く光り、何光年も先から、何百年もかけて光を届ける孤独な彼らは儚く、美しく、綺麗にその姿を輝かせていた。
この分厚い雲の上には星が輝く、満天の星空があるのだ。自分と彼らを阻んでいるのは目には見えても触ることが出来ない、自分自身に物理的影響を与えることが出来ないちっぽけな灰だけだ。まだ星空がある。それだけでカラスはまた明日生きることが出来る。
『星が見えているなら声を掛けてくれたらいいのに。この機械は数十メートル離れていても会話ができる代物なんだからさ』
食事を終え、口元を拭いながらテントから出てきたオーは寝そべるカラスを覗き込みながらそう言った。
『
『元気がなかったわけじゃないよ。所謂
『お前でもそんな感情を抱くんだな』
オーは呆れたように続ける。
『機械だからってことか? そりゃいくら冷静沈着を装っても、その根幹をブラされたら、こうもなるさ』
ふと、オーの頬についている灰汚れが気になったカラスはそれを拭ってやりながら『女の子だもんな』と皮肉を言った。
その言葉を聞いたオーは弾かれた様にそっぽを向き、『うるさいやい……』と小声で告げる。
火が消えていてよかった。若干の月明かり、星明かりだけで良かった。もし顔がはっきりと見えるほどの灯りがあったら、じんわりと頬が紅潮していることに気付かれてしまうかもしれなかったから。
照れ隠しか、オーはわざわざその流れでこの時代の星空の逸話を持ち出した。
『知ってるかい? 男女で夜、灰雲の切れ目から星空を見ることが出来たら、その二人は結ばれるって言う絵空事をさ』
カラスはオーの言葉に小さく笑いながら応える。
『知識って言っても人の中で流行っているそんな噂も知ってるんだな。やっぱり人間らしくてかわいいとこもあるんじゃないか』
『こんな時くらいはからかわなくたっても良いじゃないか』
そう吐き捨てた後、オーは不機嫌そうに布の上に寝転がる。
『逸話の条件は揃っちゃったみたいだけど?』
と意地悪にカラスはオーに尋ねる。
『もううるさいなあ。戦に向けての休息だよ! 星空を二人で見たからって何になるってんだよ。でもカラスもそう言うことに興味があるんだね?』
『興味と言うか、まあ好きな人だっていたし、今も思い出せないだけどいるんだよ。星空を見ながら少し思い出したんだけど、その人ってオーに少し似ていた気がするんだよね。だからあの時も間違えてさ』
『だからって、僕のことが好きになるわけじゃないんだろう?』
『そういう意味で言ったわけじゃないんだけどな。なんか思い当たる節はないかって。まあ男女で旅をしているわけだから考えないわけじゃないけど、オーはこれからもっと色んな人と会って、色んな人と恋をするんだと思うよ。俺はもうおじさんだ。どちらかというと保護者みたいな立ち位置かもな』
というカラスの言葉をカラスに背を向けるような形で寝そべりながら聞いていたオーは不満げな顔で、目先の灰が崩れたのを見ていた。そして一度立ち上がり、カラスの近くでもう一度寝転がり、次はその手を取った。
『知識が崩れて不安だから、今僕は正気じゃない。不安で不安で不安なんだよ。カラスが保護者だというのなら――それでいい。僕をちゃんと見ていて……ね』
大人だと思っていた少女の手は温かく小さく、でも確かな力があった。カラスはその手を静かに包み込み、『ああ』とだけ呟いた。
雲の切れ目の星空に一筋の星が流れた。
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