英雄になりたきゃ過去を捨てればいい

 本、書物、書籍、文書。言い方なんてどうでもいい。紐や糊などで閉じられた紙の束がそれも束のように棚にずらっと並べられている姿は荘厳で、言葉にしがたい何かがあった。


 その量は区や市で建てられている図書館とは比べ物にならない。国立図書館を見たことのないカラスはそれこそ比較できないが、その量からして国立図書館よりも大きいのではないかと思われるほど本が立ち並んでいた。


「これ、何万、いや億の単位じゃないか……?」


 そう告げたカラスはその膨大な数よりも地震が起きたら大変だなと、突拍子もないことを考えていた。


「十億行くか行かないかかな。いつのどんな時代でも人って本を書きたくなるんだよ。日記だったり、小説だったり、自伝だったり、記録だったり。一時期若者の本離れなんてこともあったみたいだけど、人と本ってのは結局切っても切れない関係だったみたいだね。皆覚えていてほしんだよ。自分が自分たちがいたって言う事実をさ」


 記憶がないはずのオーは物悲しそうにそう告げた。培養槽で作られたということは誰かのクローンかもしれないオーにその誰かの記憶が宿るということはあるのだろうか。それとも彼女の人間的本質か。そんなことを考えながらカラスは「結構あるな……」と呟いた。


「僕は多分日記でもすぐ飽きちゃうと思うな。生まれてまだ数時間だけど、そんな風に弄られてる気がする」


 と笑いながら自分の頭を優しく小突いた。


「俺も本を書いてたんだ。これだけあれば俺が書いたのがあってもおかしくなさそうだな」

「へぇそうなんだ。どんなのを書いてたの?」

「『旅行記』っていうルポを少しな。俺は結構夢見が良い方で、想像力が高いのか、色んな世界を夢の中で旅をしたことがあるんだ。そこで経験したことを本にしてみたら案外ヒットしてな」


 オーは目を瞑りながらもカラスの話を聞いていた。カラスはまたオーに嘘をついたことを多少申し訳なく思いながらも、オーの様子を見守った。

 少しするとオーは目を開け、一つの棚から一冊の本を取り出した。


「それは――」

「旅行記だね。ここにはある時点からの世界中の本が納められているんだよ。カラスの本は後に残すべきだって認められたみたいだね」


 と、オーはぱらぱらとページをめくりながらカラスの旅行記を眺めた。


「自分の書いたものを目の前で見られるって言うのはなんだか気恥ずかしいな」

「不思議だ。カラスが書いたものは全て過去に実在していた都市ばかりだよ。カラスは頭を世界システムに弄られただろうって言ってたけど、その話は本当だろうね。だってそうじゃなきゃ、記録なんて概念がなくなりつつあるこの世界で、これら多くの過去に存在していた都市の詳細をこんなに知識として持ち得ることは不可能だよ。しかもそれを夢で見たなんておかしなはなしだ」


 カラスの『旅行記』には大小様々な国や都市のルポが描かれており、その数はゆうに三百を超えていた。それらすべてが過去に存在していたとすると、カラスの夢の中でかつての世界を旅していたということになる。しかしカラスはそれほどまでの驚きを見せず、「やはりそうか」とだけ述べる。


「あんまり驚かないんだな」

「いや、まあおかしいと思ってたんだよ。その夢はやたらとリアルで、気味の悪い程だったよ。だがそれの元凶が時すらも超越する世界システムだって言われたら普通に納得せざるを得ないしな」


 そう言いながらカラスはオーの持っていた『旅行記』を取り上げ、出版年が見られる前に本棚へと仕舞い込んだ。そして話を逸らすようにカラスはオーに尋ねた。


「これだけ膨大な量がある図書館でお前は何を読みに来たんだ? 書物を読むより培養槽で頭にインプットされた方が効率が良かったんじゃないか?」

「いや、いくら形式的な情報を教えてもらっても自分で体験しなければ意味ないんだよね」

「体験?」

「うん。僕がここでするべきことは過去の人間に恋をすることだ」

「恋?」

「ああ。魚じゃなくて恋愛の恋だよ?」


 カラスは、世界システムは訳の分からないことをするものだなと思いながら、オーの後を追う。するとちょうど本を読むための机の上に、二冊の本が置いてあった。先ほどまで誰かが呼んでいたかのように置かれているそれらはオーが読むべきその本であるということが分かった。


「二冊とも『英雄伝』というのか」

「そう二冊とも英雄伝だけど、中身は全く違うんだ」


 左側の本を指差しながら言う。


「こっちは、世界システムを作る切っ掛けを作って、人類に英知を齎した人物の話」


 右側の本を指差しながら言う。


「もう一つは、ある時世界システムのコントロールを奪われ、世界改変が行われてしまった時に、その元凶を打倒し世界をあるべき姿に戻した人物の話。その名の通り、両方とも今僕たちが生きている世界の英雄の話だよ」

「そういうことか。その本も要するに俺の旅行記のようにフィクションの様でノンフィクション。その二人の英雄はかつて世界に存在して本当に世界を救って見せたと」

「うん。左の本の英雄の名前がレイで、右の本の英雄の名前がアルマっていうんだ」


 その名前を聞いてカラスは一瞬表情を崩すが、すぐに元に戻し、話を続ける。


「俺の通り名と同じだな」

「そうだね。やっぱりカラスは世界システムの計画しているなにかの根幹にかかわってるのかもしれない」

「ただの傭兵だぞ?」

「これだけの共通項を踏まえて、もう一度その言葉を言えるかい?」

「どちらにしても俺は世界システムの元へ行かなければならないみたいだな」

「そのためのチュートリアルだ。ラッキーなことにこれは世界システムが書き上げた本なんだ。だから最新鋭の技術が扱われている。さあ物語の中に行くとしようか?」


 オーは静かにカラスの手を取る。カラスは訳も分からずにオーと共に本に触れた。瞬間カラスとオーの頭の中に膨大な量の情報が流れ込んでくる。

それはさながら全身でその小説を体感するような感覚――。




 焦りだ。今この現状をすぐに打破しなければ死んでしまうかもしれないという焦り。


 ふと顔を上げると、多くのビルを覆う硝子は散り散りに砕け、ところどころから火を噴きだしている。車は電柱に突っ込み、バスは横転し、多くの人々は死に道端に転がっている。


 その人々の身体からはだんだんと植物の枝のような物が生え、手や足の皮膚も樹皮のように固くなっていく。そして最終的には、死にながらも立ち上がり、正常な人間を襲い始める。子供を産むということが出来ない彼らは、感染という力を使って、種を増やしていく。


 そのうちの一人が自分のことを追いかけていた。そんな奴等に対して本来でれば恐怖や気味悪さなど負の感情を抱くはずだが、なぜか自分は気になっている。逃げたいけど、逃げるわけにはいかないような。全速力で走って逃げたいのに、後ろを振り返りたくなるような。


 自分を同じ異形に成り下がらせようとしている者は――かつての友だった。そして自分の手には銃が握られている。


 ゾンビパンデミック、ウイルスパンデミック。彼らにとってそんなことはどうでもいいことであった。生きるか死ぬかの大騒動は人に塗れた世界を簡単に恐怖に染めていく。感染した者の体液――血でも唾液でも何でもいい――を自分の体内に取り込んでしまったら自分もリビングデッドに成り果てる。


 二〇一七年に起きたことであった。


 自分は走りながら考えに、考えその足を止めた。自分は振り向き、銃を構え、友を狙った。心の中でゆっくりと三つ数える。


 三。二。一。


 本来自分のために友を殺すとなれば、謝罪や悲しみの言葉が口から出るのであろうが、自分の場合は違った。


「俺の生を邪魔するからだ」


 ――ズドン――


 と、一つの銃声が辺りに鳴り響いた。銃口から放たれた弾丸は散弾であるために、異形に成り果てた友の頭部を粉砕させた。友の血液すらも感染源となり得ることを知っていた自分はその死体を、それこそ地面に転がるゴミのような目で蔑み、ただ無心に銃の再装填を行った。


 冷酷に、冷静に、冷淡に。この死に始めた世界で、他はどうでもいい――自分がただただ未来を見るために、自分は友すらも銃とナイフの錆にする。




「――!? はぁはぁ――」

 一瞬で呼吸を乱したカラスは机に手を付いた後、近くにある椅子に座り込んだ。ふと思い出したのはレイという少年がパンデミック後に初めて友を殺した記憶だった。だが見たのはそれだけではなかった。パンデミックが終息した後の孤独や絶望。新たな生との対面による悩みや殺意。そして彼の愛や慈悲の心も。


 遺術と称される駆動魔法や駆動装置の前身を作り上げたのも彼であり、その名の通り彼は英雄であり、新人類に父と敬われていた。


「言わなくてもわかるだろうけど、彼の名前はレイ。傀儡と呼ばれた樹に成り果ててしまった人から生まれた、植物と人のハイブリットである新人類種をまとめ上げ、新たな世界を作り上げた男の名前。僕の身体の中にある駆動装置を使うためのエネルギー器官も彼の子供ら新人類種からあるものなんだ」


 オーは淡々と述べながらレイの英雄伝を本棚のあるべき場所にしまう。カラスは先ほどのダイチの川で汲んだ水を口にして、乾ききった口内を潤した。


 そして口を開こうとするが、もう一度その口を閉じてしまう。


 レイという旧人類――樹と交わる前の人間――最後の男の孤独な人生を、本をヨむということで追体験したカラスは、簡単に感想を述べることが出来なかった。


「記憶投影式の本は初めてだっけ? さっきこういうのは経験あるって聞いたけどそんなこともないのかい?」

「いや、本では初めてかな。だが凄まじいものだったな。英雄とは……英雄は――」

「そうだね、僕も少し疲れたかな。図書館では御法度かもしれないけど、コーヒーでも淹れようか」


 オーはそう言いながらまたカタカナ言葉を呟き、光の中からポットと二つのカップを取り出し、カップに黒い液体を注いだ。


「なんでもありだな。世界システムは。これはもうずるの域だ」

「レイの気迫を見たからわかるだろうけど、これは全て人間が作り出した技術なんだぜ? だからその恩恵を忘れてしまった君たちが悪いんだ。それよりも僕が気になるのはそれより君がコーヒーを知っているってことなんだけどな」

「オーが言いたいのはレイの『記憶』か?」


 と、カラスはオーの疑問を誤魔化した。


「そうとも言うかな? まあゆっくりやろうよ。どうせもう一冊も読まなきゃいけないんだ。前知識からすると、恐らくアルマの英雄伝の方が苛酷だからさ。レイの英雄伝はカラスにとってのチュートリアルかもね」

「はは、そりゃ大変そうだ――」


 もう一度本の中に自らが入り込むような感覚を味わう。この脳の回路がショートしそうになる感覚は二度目としても慣れる気がしなかった。そしてカラスはアルマを体験する。




 手に握られている銀色の短剣は彼の象徴であり、彼が昔から所持していた武器であった。正面に立つのは人であり、その手には剣が持たれている。白銀の甲冑に身を包んだ正面の男は自分と敵対関係にある者であり、その男の背後には人族の兵士が備えている。


 それに対し自分の背後に備える者たちは異形の形をしており、この世界で所謂魔族と称される者たちであった。頭から狼の耳を、腰から狼の尾を生やし、左腕を金属の外骨格で覆っている自分もかつては白銀の甲冑を身に纏う人族の一員であった。しかし自らの内に秘められていた力を使うにつれ、身体は人ならざる者に変わり果てていき、自分は人の道を生きることを捨てざるを得なかった。


 本当の過去を知る者は数少なく、今目の前に立つ人族の男ですら、自分を異形と蔑み、今にも剣を振り下ろさんと構えている。


 ――だが私は王だ。人から生まれた異形の王だ――


 自らが作り上げた平等の楽園を守るために仮面をつけ、自らの元に歩み寄ってきた異形の仲間のためにかつての人族の仲間すらもこの短剣の錆にする覚悟であった。


 白銀の甲冑に身を包んだ男は人族の中で一位、二位を争う実力を持った戦士であった。人族の統治下を広げるために新参者である自分の元を訪れ、国を明け渡せと言う。しかしそんなことを受け入れるはずもなく自分は一対一の決闘を申し込み、自分に勝てれば国を明け渡すという約束をした。


 そして男はその剣を自分に向かって振り下ろす。この身体に成り果ててから、魔法は使えなくなってしまった自分であったが、それと同時に異形としての身体を手に入れたのも変わらなかった。そんな自分にこの男が勝てるはずもなく、振り下ろされた直剣は鮮やかな短剣の弾きによって、宙を舞い、男の後方の地面に突き刺さる。


 剣を失っても尚拳で向かってくる男に対し、自分は金属の外骨格を取り付けられている左腕を用い、激しい殴打を行った。


 こんな男が自分に勝てるはずがないのだ。


 ――だって私は人族の最大の英雄であったのだから――。




 二人の英雄は似ていた。今のために過去を捨てることが出来る人間が、英雄伝には描かれていた。そしてアルマの英雄伝を読み終わったカラスはその二人の英雄の共通点に気付き、オーに告げた。


「過去を捨てることのできる人間が、英雄になるのか? そんな浅はかな――あッ――」


 突然不自然な声を上げたカラスに驚き、オーは本棚にしまうはずであったアルマの英雄伝を手放し、カラスの方へ振り返った。その先には頭を抱え悲痛な声を上げるカラスの姿があった。


「カラスッ――」


 カラスの元に駆け寄り、オーはカラスの身体を支え、どうしたの、何があったのと訴えかけるがオーの声は届くはずもなく、カラスは未だに痛みに耐え兼ね声を上げる。それはだんだんと絶叫のようになっていき、喉が焼き切れんばかりの叫びをあげたと同時にカラスは地面に伏した。


 遥か彼方でオーが自らを呼んでいるような気がした。




 夢でも見ているような感覚であった。夢は記憶の整理のために見るものと言う謂れがあるが、本当に自らの記憶の整理をしているような夢だった。


 これはそうアルマの英雄伝だ。世界システムの掌握によって書き換えられた世界を元に戻すために『足掛かり』とされた英雄。多くの人間の能力を世界システムの力によってメモリー化し、それを全て一人の人間に統合させる。そのうちの一人がアルマだった。


 ――これはアルマの記憶か?


 そうアルマに一生を添い遂げる伴侶はいなかった。それはいつしか失った誰かを探しているからだった。記憶から消されたはずの誰かを。


 ――記憶を消された? これはアルマの記憶だ。


 その誰かの名前は何だっただろうか。アルマは思い出すことはなく一生を終えた。『足掛かり』のベースとなった者が求めた誰かを、次の『足掛かり』も生きる糧にしていた。本来は別人であった彼らは何の因果か、共に同じ誰かを求め、その者のために戦った。


 そして彼らは一つとなり、世界を元の姿に戻したのであったのだが――。


 ――これは俺の記憶か……?


 そう私が追い求めた彼女は、薄っすらとであるが機械が作り出した少女に似ていた気がする。オー、君は本当に誰なんだ。


 ――俺の記憶だ。アルマの記憶は――

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