第二章 レイとアルマ

皮肉屋の彼女と、皮肉屋の彼

 記憶障害なんて都合の良いことは明らかに何かしらの巨大な力による影響だと知っていたカラスは、その少女に対し警戒心をむき出しにして、問いかける。


「この状況で記憶喪失なんて、いささか都合が良すぎないか?」


 カラスの上着を羽織ったことである程度隠すということが出来た少女は自分がこの二種の武器を持った男に疑われているということを察し、少し悩んだ後に応える。


「その警戒心こそ、経験によって培われた本能というものだよね。それならこのように幼少期を省かれた僕たちはどうやってその時の流れから得る本能を獲得すると思う?」


 質問に対し、質問で返すという行為をした少女に対し、カラスは今まで必要としていなかった言語に対する意識を巡らせる。


 この世界でこそカラスは無口な男であったが、それはこの世界にある灰によって呼吸器が侵されているからであり、下手に口を開くことをしなくなっていたためであった。

 本来彼は相当な皮肉屋でおしゃべりな男であり、何度もその口の悪さで口論になったもので――といっても灰に覆われた世界という現実を前に、その多い口を閉ざすことが出来るくらいには考えが至る男でもある。


 しかしこの空間には生憎その皮肉屋の口を塞ぐことのできる灰はなかった。


「それならば質問に対し、質問で返すということが失礼に当たるということを知らないと踏まえて優しくその問いに応えよう。あれだけ仰々しい機械だ。睡眠学習及びそれに似た形で経験を脳に投影するんじゃないのか? その技術は自分も経験が合ってな。まあ裸にひん剥かれていて、誰かの上着を拝借するなんて手間は取らなかったが――」

「その通りだよ」


 少女はカラスの言葉が終わる前に告げる。


「機械によって頭に記憶や経験を焼き付けるんだ。だが誰かがその途中でその機会を壊してしまったから。そして僕が裸であるのは貴様が壊した容器こそ貴様で言う母の子宮であったからだ。貴様は母の膣から生まれ出た時から衣服を身に纏っていたというのか……?」


 その言葉の後にカラスの頬が赤くなるほどに可愛げのある笑顔を見せた少女はカラス以上の皮肉屋だった。




「知識はあるけど記憶はないということでいいんだな? だから名前も何でここにいるのかも、自分が何者かもわからない。だけどこの機械がどういう仕組みで動いていて、ここはどういうところで、この上にある機械都市についても全て知っていると」


 かなり刺々しい問答の末、二人ともによる謝罪が行われ、少女の現状、カラスの現状を共有した。


「浄化装置の根城か人の暮らせる環境はこの座標にあると思って、ここまで来てマチとダイチを見た後、僕を見つけたと」


 少女は掃除屋を浄化装置と呼び機械都市をマチ、今いるこの空間をダイチと呼んだ。


「ああ、その通りだ。忘れていたが俺の名前はカラスだ。有馬烏だ」

「アリマが姓、カラスが名ね。今そんな形式の名を使うなんて珍しい生を生きてきたのだな。僕の名は……。そうだ、わからない」

「不便だしあだ名という形で本名がわかるまでの仮の名を付けるとしないか?」

「それは妙案だ。所謂愛称と言う奴だろう? それなら愛のある名を付けてくれ」

「それを言うなら名案だろう? そしてお前の名前はオーだ」


 たまに似た言葉を間違える。それこそそのミスは機械的な言動が多い彼女が見せる人間らしさのようなものでカラスからしたら有難かった。


「おお。そのオーというのはどのような意味があるのだ?」


 オーは嬉しそうにその愛称を問うが、カラスはオーが眠っていた容器の機械部分壁面を指差す。


「まる……」

「オー」

「ゼロ……」

「オー」

「オメガ……」

「オー、ってか流石にオメガは無理があるだろ」

「いやだとしても、オーとはあのエイゴと呼ばれる言語を構成していた二十四分の一だろう? それが名前なんて……」

「俺は仮の名と言ったのであって、愛称とは言ってないぞ? そしてアルファベットは二十六個だ。しかも名前なんてものはどうでもいいんだ。結局のところその名前を良い名前にするか悪い名前にするかはお前自身なんだから。現状お前の名前についての良し悪しなんてせいぜい語感程度だ。いいじゃないか呼びやすくて。オー」

「カラスの名前もそうなのか?」

「ああ、有馬烏は本名じゃない。だがいつかこんな名前を使っていた気がするんだ。お前と一緒だよ。過去の一部の記憶が俺もないんだ」

「ふむ、それは都合の良い過去だな?」

「そうこんな都合の良いことはあるわけがないんだ。別にどこかに頭を打ち付けたわけでも、何か重いトラウマを抱えているわけでもない。だがそのせいで思い出せない人がいるんだ。今もいつかにいるはずの誰かを。だが記憶がないながらも確信があるんだ。記憶がないのは誰か第三者にココを弄られたからだ」


 カラスは頭を指差しながらオーに告げた。


「カラスの思い出せない人も、過去もどうでもいいし、知るつもりもないが今の言葉で僕とカラスの共通項を見つけることが出来た。お手柄だぞ」


 オーの言葉にカラスはクエスチョンマークを頭の上に浮かべる。


「僕が作られていたあの機械を作っていたのは? カラスたちが掃除屋と呼ぶ浄化装置を統制しているのは? カラスの頭を手術痕も無しに弄繰り回し記憶を改変させたのは?」

「世界システム……」

「そうだよ。何でもお任せ世界システム。生憎今の人間には恩恵を与えていないようだけど、世界システムに作られた僕はその恩恵を受けることが出来るんだ」


 そう言うとオーはその華奢な手をすっと伸ばし、カタカナ言葉で何かを呟いた。するとオーの手元に白い光の粒のような物が集まり始める。それは大小様々であるが、最後にはオーの手の前に膨らんでいく光に統合され、その光を大きくさせる。そしてその光を握りつぶすようにオーは手を畳み、さながらマジシャンが突然物を出すように、その手を開くとそこにはいくつかの衣服があった。


「魔法なんてものは久しぶりにみたな……」


 カラスがそう呟くとオーは否定する。


「君たちが魔法と呼んでいるものは全部世界システムの恩恵に過ぎないんだよ。かつての人類は僕みたいに世界システムの恩恵を受けるためのエネルギーみたいなものを蓄える器官を持っていたみたいだけどね。世界樹の花粉にそのエネルギーに似たものがあって、それを吸い込んで瞬時に恩恵に変換するなんて奇妙な技を使った人類もいたみたいだけど、結局のところは世界システムへの申請と世界システムの受理だ」


 衣服のいくつかをオーはカラスに見せびらかしながら話す。するとオーはその衣服を今立っている草の生えた地面に置き、カラスに羽織らせてもらっていた上着をあっさりと脱いだ。突然露になる素肌にカラスは視線を逸らす。


「どうしたんだ? 女の裸だからか? でも僕は世界システムに作られた機械も同然だ。子宮や膣口だってあるけど、流石に機械の穴に興奮はしないだろう?」


 と、股を広げ、本来人にやすやすと見せるべきでない部分を露にしたオーに対し、カラスはたどたどしくも注意する。


「いくら作られた存在だとしても見た目は人間だ。そんな真似二度とするなよ……」


 カラスのその言葉にオーは笑いながら下着をつけた。それこそ少女であるために胸部用下着は身につけず緩い衣服をそのまま羽織る。


「からかっただけだろう? 機械にも優しんだな、紳士殿は」


 カラスはからかうなら普通胸を使うものだろうと思うが、それを口に出すとまた面倒臭いことになる予想ができたため、苦笑いでその場をやり過ごす。


 それからオーは厚手のブーツにパンツ、上着を羽織り、外の灰除けのためのゴーグルをとりあえず額に当て、身なりを整えた。


「そうそう、さっきの続きだが、この服だってかつて世界システムを作り上げた人間が考え出した申請コードを告げて、体内にあるエネルギーを使って送信しただけなんだよ。かつては機械でもない人間がそんなことをやっていたとは驚きだろう? だけど何にでも理由はあるんだよ。魔法の因果はこういうことだ」

「遺術。外の人間はそう呼んでいた……。だから全て過去と言う話ではないみたいだが」


 オーはブーツの靴ひもを今一度きつく結びながら話す。


「隔世遺伝って奴だよ。誰だってそのかつての人間の力を継いでるんだから、小さなエネルギー器官がある子供が生まれてもなんらおかしくはない。だけどそれこそ混じってるわけだから僕みたいに物の空間を超越させたりなんてことはできなくて、大体やれるのは占いとか手品とかそんな胡散臭いモノ程度だろうけどね」

「ここまで知っていて自分のことがわからないなんておかしな話だな」


 カラスの言葉にオーは溜め息をつく。


「だから僕はおかしいんだってば。誰かさんが成長途中で無理矢理この世界に誕生させたんだからさ。未熟児と同じわけだよ」


 その言葉に引け目を感じたカラスは表情に影を落とし謝罪を述べる。するとオーはにやりと笑いカラスの近くに駆け寄った。そして小さな声で言う。


「そんだけ申し訳なく思ってるんだったら、もちろん僕の記憶探しの旅には付き合ってくれるんだよな? それこそ目的は一緒なんだからさ?」


 オーのその言葉に一瞬戸惑うカラスは口を開くが、それを遮りオーが続ける。


「生憎利害は一致してるんだよ。知識はあるって言ったろ? 僕は世界システムがこの広い世界のどこにあるか知ってるんだ。両親たる世界システムの元へ行けば僕の記憶の鍵は見つかるだろう。そしてカラスの記憶の鍵も。誰が、なぜ、人類を『掃除』する兵器をばらまいたのかも、ね?」


 全て相手に対し一つの答えしか許さないための会話運び。その言葉巧みな彼女にかつての自分の面影を見たカラスは笑い、その案を了承する。


「じゃあ改めてよろしく頼むよ。オー」

「ああ、任せてくれ給えよ。カラス」


 人間と機械は一時休戦を誓い、今絆を手と共に固く結んだ。

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