第34話

「まーた死に損なった」


 俺は窓の外を見ながらそう言った。

 いつだったか、あのツタの這った汚い壁の病棟には見覚えがある。

 もしかしたらあの時と同じ部屋にぶちこまれたんじゃないかと思った。

 向かいのベッドのリア充っぽいやつにお見舞いがいっぱい来てて、うるさくてたまらなかったっけ。


「ダメじゃないの学校サボってこんなところ来たら」


 さっきから俺が一人で喋ってるけども、エアお見舞い人がいるわけじゃなくて、ずっと黙ってるだけだ。

 ベッドに横たわる俺のすぐ隣で椅子に座って、制服のスカートの端をギュッと握りしめながら、無言でベッドのふちをじっと見ている。


 どうやら俺は半日以上寝てたらしい。

 目が覚めたら白衣のおっさん先生と看護婦が来て、目立った外傷はないけど頭を打ってるから一応精密検査がどうたらこうたら言ってたけども、俺はほとんど聞いてなかった。

 だって頭はだいぶ前からいかれてるから検査するまでもないしね。異常です。はい終了。


 そのくせ妙に頭の中はクリアで、むしろ調子はよかった。

 だけど先生たちと入れ替わりに制服姿の花がやってきて、ろくに言葉も発さずものすごく辛気臭い顔でいるので、なんだかこっちまで気分が落ちてくる。

 そしてやっぱり黙っているので、ここは俺が小粋なトークで盛り上げようとひとり語りを続ける。


「見てよこれ頭に包帯巻いちゃってさ、これで学校行ったらマミーが来たとかっていじめられるでしょこれ」


 全然ウケない。というか反応がない。キレが悪いなぁ我ながら。

 もうなんも思い浮かばなかったので、いま頭に浮かんだことをそのまま口にした。


「俺って周りの人を不幸にする人間なんだよ。生きてたらあかんやつなのよ」

「違う」


 やっと喋ってくれたと思ったら全力で否定された。

 顔を見ると、花は唇をわずかに震わせながら、

 

「私は拓美と出会えて本当によかったって思ってる。拓美といて楽しい。幸せ。拓美がいなくなったら、私が不幸になる」


 俺を見返した花の目元は赤く腫れていた。

 それだけで、俺はもう何か言い返す気も起こらなかった。

 とたんに自分がただいじけているだけの子供のように思えてきて、情けなくなった。


「……マサは、どう?」

「右足を複雑骨折。完全に元に戻るかどうかわからないらしいわ」

「そっか……」

「それと階段から落ちた時に、肋骨にヒビが入ってたんだって」


 そう言われて、じっと花の顔を見てられなくなって、一度天井を見上げた。

 

「……あいつ、バカだよな。俺をかばって轢かれるとか。俺のことなんてほっときゃよかったのに」

「そういうこと、言わないで」

「……ごめん」


 俺は頭を振ると、脇の台にあったペットボトルの水を手に取り口に流し込む。

 それからゆっくり蓋を締めて、ペットボトルを元の位置に戻した。


「ヒナは?」

「昨日、病院でずっと泣きわめいてたんだけど……家に帰したわ。多分、そのうちまた来る……かどうかはわからないけど。『あたしがタクを、マサを……二人を苦しめたんだ』ってひどく落ち込んでた」

「そっか」


 わざとそっけなく言うと、花もそれ以上は何も言おうとしなかった。

 代わりに花の顔をまじまじと見て、笑いかける。

 

「花は……やっぱり冷静だね」

「……バカ」


 花はうつむいて、拗ねるように言った。

 この子は賢いから、いろんな事、いちいち言わなくてもわかっている。今までだってそうだった。

 だからこれ以上はあれこれ言っても全部余計なことのように思えたので、俺はそれきり口をつぐんだ。

 花もそれにならって黙っていたが、先ほどの沈黙とは異なる種類の沈黙だった。

 その証拠に少しあった後、花のほうからしゃべりかけてきた。


「あのね、私……警察官は、やめるわ」

「どうして?」

「だって、結局全然役に立たなかったもの」

 

 花はあっさりとそう言い捨てた。

 あれだけ胸を張っていた花が自分からそんな事を言うなんて、なんだかすごく意外だった。


「それによく考えたら私……お父さんが、いじめっ子を謝らせて撃退したことよりも……。話を聞いてくれて、一緒に怒ってくれて、ずっと寄り添ってくれた。それが嬉しかったんだって。急に、そんなことを思って」

「ふぅん、そっかぁ……」

「だからその代わりに、教職取ろうと思って」

「へえ、花が先生かぁ……いいかもなぁ。でも花が先生になったら、生徒に刺されそう」

「刺されそうになったら投げ飛ばしてやるわよ」


 花は冗談めかして言うと、ふふ、と小さく笑ってみせた。

 

「拓美は?」

「俺は……よくわかんないよ。花みたいに立派じゃないから、先のことなんて何も考えてないし……いつ死んだっていいって、思ってたから」

「そんな風に言わない。次そんなこと言ったら、もう口きかないから」

「花……」


 花は椅子から少し身を乗り出すと、俺の口元に向かって人差し指を立てた手を近づけてくる。

 怒った顔だけど、なんだかすごく優しい雰囲気があって、不思議と気持ちが安らいだ。

 なんとなく、初めて花と出会ったときのことを思い出した。

 自分ひとりの心にしまっておこうと思ったこと。自分が今まさに感じていること。

 無性に聞いてほしくなって、おのずと口を開いていた。


「俺、前に飛び降りた時はさ。俺はヒナが好きだ。あたしはタクが好きだ。って二人に一気に言われてパニクってさ。やっぱ何もかんも、ずっと昔のままじゃ、いられないんだなって……なんか急に悲しくなっちゃって。だけどそんなの、俺のわがままだよね。ずっと、みんな変わらないわけないのに」

「……そう。拓美も、何か変わった?」

「わからない。けど今は……あいつらと一度、ちゃんと話しようかなって、思ってる。もうあきらめて、認めた上で……それでどうなるかはわからないけど」


 花は肯定も否定もしなかった。

 ただ頷いてじっと俺の言葉を、話を聞いてくれた。

 でもそれだけで十分満たされた気がした。


「それととにかく花のことを、近くで見ていたい。これからも、ずっと一緒にいたい」

「それは、もちろん私もよ。でもそれだけだと、拓美はまた迷子になっちゃうかもしれないから……なんでもいいから、将来の夢。何か目標を立てましょう」

「おっ、さっそく花先生出たな。でもいきなり夢って言われてもなぁ~……。花が先生になるとして……そしたら……。わかった、夢は専業主夫! 花に頑張って働いてもらおう」

「何よそれは」


 花は相好を崩して、くすりと笑った。

 

「あ~今のは冗談で、えっと……」

「いいわよ。でもそのかわり……」


 花が腕を伸ばして、俺の手を取った。

 大事なものを包み込むように握った彼女の両手は、優しく、あたたかかった。


「ちゃんと生きてね」

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いじめられていた美少女を助けたら幼馴染と修羅場になった 荒三水 @aresanzui

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