第33話
目まぐるしく起きる出来事に半ば茫然自失となっていた花は、バタンとドアが勢いよく閉まる音で我に返った。
雅人について慌てて後を追おうとするが、すぐそばでへたりこんだままの陽愛にふと目が留まった。
「……ウソだ……タクが、あたしのこと、嫌いだなんて……」
うわ言のように何事か繰り返す陽愛。
どうしたものか一瞬迷ったが、彼女に対してかける言葉も取るべき行動も何も思いつかなかった。
それより何より今は、拓美たちが気がかりだ。結局花はそのまま陽愛を残して、二人を追って外に出る。
通路を走って階段付近までやってくると、何事か雅人が叫ぶ声と、ダンダンダンと階段を不規則に踏みしだく足音が上の方から聞こえてきた。
花が一段飛ばしで階段を駆け上がっていくと、物同士がぶつかるような激しい音がして、絡み合った二人が上から踊り場に転がり落ちてきた。
下敷きになった雅人の上で、いち早く拓美が跳ね起きて階下へ身を躍らせる。
「拓美!」
すかさず呼びながら拓美の腕を取って捕まえようとするが、拓美は花の伸ばした手をするりと抜けて、脇目もふらずに飛ぶように階段を降りていった。
「雅人くん、大丈夫!?」
目の前で床に倒れ込んだ雅人のそばにかがみこむ。
ひとしきり全身を打ったであろう雅人は、顔をしかめながらも膝をついてすぐに立ち上がると、階段上を見上げながら言った。
「……あいつ、屋上から飛び降りようとしやがった」
「え?」
「もし屋上の扉が、閉まってなかったら……」
軽く咳き込みながら、雅人は花を押しのけて下り階段へ体を運ぶ。
花もそのすぐ後について降りていき、エントランスを抜けて建物の外に出るが、すでに拓美の姿はなかった。
外はしとしとと小雨が降り出していた。あたりは陽が暮れてもう暗く、見通しも悪い。完全に見失った。
「拓美は、どこに……」
「……橋だ」
「橋?」
花の問いには答えず、雅人は駐輪場のほうへ走っていくと、すぐに奥から自転車を転がしてきて、そのままの勢いでペダルに足をかけて飛び乗った。
「ちょっと! 雅人くん!」
呼び止めるが、雅人は花を顧みることなく立ちこぎをはじめ、全速力で走り去ってしまう。
仕方なく花も走って後を追いかけていくが、自転車はとてつもない速さで、大通りの角を曲がったところであっさり見失った。
花は弱い雨に打たれながら、しばらく車の行き交う通りを前にあてどなく立ちつくしていたが、
「橋って……まさか」
雅人の言葉を反芻する。
いつか過去に拓美が飛び降りたという橋。
もちろん花はその経緯も場所も知らない。
それだけでは途方もない手がかりのように思えたが、花はひらめきを得たように再び走り出す。
橋、と言われて花が思い当たるところは一つしかなかった。
二人で学校から拓美の家にやってくる時、拓美はいつも少し遠回りをする。
最初の数回こそ違和感があったが、いつしか取り立てて疑問にも思わなくなっていた。
だがその疑問は今、突然に答えを得た。
遠回りしてまで拓美が道を変えていた理由。
おそらく拓美は、あの橋を通るのを避けていたのだと。
花が向かうのは、明るい駅方面とは真逆の方角。距離にしてみたら、それほどでもないはずだった。
しかしそれが今は、やけに遠い。雨で悪い視界と、ずっと収まらない胸騒ぎ。普段よりずっと息が上がるのが早い気がした。
やがてすっかり街頭もまばらになり、流れていく周囲の建物は背の高い雑木林に変わって、目的の橋付近に到着する。
ゆるゆると流れる川をつなぐさほど大きくもない橋だ。雨と薄暗さのせいで川の水面が妙にどす黒く見えた。
静かだった。遠くの踏切の音が聞こえる。辺りには通行人はおろか、車道を走る車もほとんどない。
さらに歩道を走っていくと、行く手に自転車が投げ出されるようにして横たわっていた。
雅人が乗っていた自転車に間違いない。
それを跨いで少し行くと、すぐさま異変に気づいた。
橋のほぼ中央に、もみ合う二つの影を見つける。
「ぁ……」
とっさに何か叫ぼうとしたが、どういうわけか声が出なかった。
急に足がすくんでしまい、それ以上近寄ることもできなくなった。
小さい影が何事かわめいて大きな影を押しのける。
よろめきながら再度組み付こうとする雅人を、拓美が腕を振り回して殴りつけた。
そして身を翻して、欄干によじ乗ろうとする。
「タク!!」
だが背後から雅人が拓美の腰元にしがみつき、そのまま引きずり下ろした。
地面を転げた二人は、またももみ合い、へし合い、もつれ合ったまま、勢い余ってそのまま車道に飛び出した。
二人を追った花の瞳を、突如強烈な光が射抜いた。
眩しさに目がくらむ間際、大きな四角いシルエットが逆光に浮かび上がり、同時に耳をつんざくクラクションの音が響いた。
今度こそ花は叫んだ。
「拓美!」
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