火星の流しそうめん屋さん

下田もた

第1話

 じいさんはいまや火星で唯一の流しそうめん屋であった。


 じいさんがまだほんの子供の頃、流しそうめんは大はやりであった。流しそうめんと言えば、エスニックでエモーショナルでエネルギーもたっぷり、通称EEE食品として大変に流行したものである。

 東にグルメな男がいればどの流しそうめん屋がオススメかと教えを請う者が集まり、西で歯痛が社会問題になればそうめんを食べれば平気なのにと言い、北に空いた土地あらば開墾して流しそうめんハウスを建て、南に美味しい流しそうめん屋があると聞けば一日かけていってそうめんを啜る、そんな時代であった。

 しかしその熱狂は長くは続かなかった。


「エスニックさではソバの方が上なのでは?」

「エモーショナルさと言っても、流すだけで何が変わるというのだ?」

「エネルギーは……そもそもそんなに無かった」


 魔法が解けるのは一瞬であった。流しそうめん屋は一つまた一つと潰れてゆき、大体がコンビニエンスストアかケアセンターになって、どれもまあまあ繁盛している。

 しかし不憫なことに、じいさんのじいさんも、じいさんの父ちゃんも、流しそうめんを心から愛する者だった。じいさんもどうしても諦めがつかなくって、もう一度みんなが流しそうめんを食べにきてくれると信じて、およそ五十年にわたりそうめんを流し続けた。

 今日もお客さんはいなかったけれど、明日はきっと来てくれるはず。きっとみんな、またそうめんを美味しいと言ってくれる。そんな能天気な願いでそうめんを流し続けて、五十年が経ってしまったのだ。 

 じいさんは、じいさんのじいさんが残した小さな家に住んでいる。隣に建っている火星なんちゃらセンターというばかでかい建物のせいで日当たりが悪いガレージに竹筒を巡らせて、今日もたった一人でちょろちょろとそうめんを流し続けている。



 マイケルは拳が痺れるのも構わず、何度も拳を机に叩きつけた。理不尽さへの押さえきれぬ怒りが、呼気となって歯の隙間から漏れている。


「どういうことだ、冷却粒子の供給が断られただと」

「落ち着けマイケル。騒いでどうにかなることじゃあない」

「ああすまない。あんまり最高な状況についはしゃいじまった」


 ボブは沈痛な面持ちで嘆息した。精密機器ばかりの部屋の中、その感情的な音はやけに大きく響いた。


「地球の方々は俺たちの現状を非常によくご理解なさっているらしい。俺は何度も言ったぞ、早急に冷却粒子十トンを送るべしってな」

「今、地球は新惑星の開発にかかりきりだ。後回しにされたんだろう」

「火星みたいな旧植民地にはかまってられないってか」

「喚くな、まだ手はある」

「何が残ってるって言うんだか」

「冷却水だ」


 しんとした沈黙が二人きりの管制室を支配した。マイケルはしばし絶句し、やがて小さく笑いを漏らす。


「おいおい、もう一回言ってくれボブ。よく聞こえなかった」

「冷却水だ、マイケル。もうそれしかない」

「そりゃ最新技術だな。最新技術すぎて、学会はもう何世紀も開かれてないらしいぜ」

「だが、冷却粒子が手に入らないんだ。もうこれしかない」

「ノウハウなんかとっくに失われてる。今時ナマの水を扱える人間なんていると思うか?」

「俺はガキの頃一度だけ川の博物館に行ったことがある」

「そりゃ大先生だ。……先生、教えを請うても?」

「今から文献をあたろう。俺たちは出来ることをするだけだ」


 ボブは力強く言うものの、悲痛の色を隠しきれてはいなかった。マイケル同様、彼だって水の扱いなど知らないのだ。料理は毎日調理ロボットが提供してくれるし、飲料はより効率の良い精製ジェル、風呂は家庭に備え付けられた滅菌ミストを浴びるのが慣習となっていた。

 かつては火星でも、水が生活に欠かせなかった時代があるという。だがマイケルにとってもボブにとっても、それは歴史の教科書の中でしか知りえない時代だった。


「冷却水を詰んだロケットで迎撃、か。今は旧石器時代だったか?」

「無駄口を叩くな。火星の命運が俺たちにかかっているんだ」


 マイケルは自嘲を漏らしながら改めてモニタを見る。


『小惑星ジャーデン衝突まであと七十二時間』


 相変わらず、そこには絶望的な事実が映っていた。



 よっこらせっと、と立ち上がってじいさんは冷凍庫から氷を取り出し、旧式のピックで削ってからせせらぎの中へぽちゃんぽちゃんと流しだした。そろそろ入れなければと思ったのだ。

 じいさんはせせらぎの音で現在の水温がわかる。目の前のレーンだけではない、部屋中縦横無尽に流れるあらゆる地点の水温を把握している。

 じいさんは大気中の僅かな湿度や気温の変化さえも読みきって、なるべくそうめんが伸びないよう水の流れを調整することが出来るのだ。

 水温調節だって水量調節だって、水の扱いに関して言えばじいさんの右に出る者などいない。ただ一つ残念なのは、そうして頑張って流したそうめんを食べてくれる者が誰もいないということくらいだ。

 もう一時したらあと五十四立方センチメートル相当の氷を入れなきゃな。じいさんはそこまでわかっている。もっとも、その技術が凄いのかはじいさん自身わかってはいない。


『あと三日で小惑星ジャーデンの衝突――』


 音の悪くなったニュースを聞きながら、じいさんは水とそうめんを流し続ける。一番美味しい水温で、誰も食べてくれないそうめんを流す。ずっと、ずっと……。



「一つ、わかったことがある」


 資料室に入ってきて開口一番、ボブはそう告げた。良い知らせで無いことは明白で、マイケルは無視して資料の世界に没頭していた。


「聞け」


 目の前に手をつかれても尚もマイケルは無視を試みた。互いに昨晩から不眠不休で、お互いの顔を見るのだってうんざりなのだ。


「冷却水のほかにも、問題がある」


 そこでようやくマイケルは資料から顔を上げた。そこにあったボブの顔は、火星入植センターの面接の時だってこんなに憂鬱な顔はしていなかっただろうと容易に想像がつくほどのものだった。


「まあ、簡単なことだ。冷却粒子が無い以上、熱の溜まり易い箇所ではロボットアームを使用できない。人力でマスキング作業をする必要がある」


 マイケルは資料を空に向かって放り投げた。複数のタブレットが床に落ちてけたたましい音をたて、一拍遅れてコピー用紙が舞い落ちる。旧時代の技術だからと、わざわざ紙の資料にまであたっていた努力が今無に帰したのだ。


「ああ簡単だ。そんな簡単な芸が出来る奴なんざ、募集したら面接時間だけで火星が死に絶えてからまた蘇るまでかかりそうだ」

「まあ、マスキング作業自体は相当程度に器用な人間であれば手動で出来るらしいが」

「その相当ってのはいつ基準だ?」

「……五十年前だな」

「じゃあ、今で言えば達人級じゃなきゃ無理だな」


 人類の活動に占める「手作業」というものの割合はこの数十年で九割減したという。人類が宇宙に携わる精密機器の扱いをロボットたちに託して、もう数十年が経つ。マイケルもボブも、ピンセットすら持ったことが無い。マイケルは一度フォークという旧世代の遺物を使おうとして挫折したことを思い出し、肩をすくめた。


「今度のハロウィンは愛するご先祖様に伝えるよ、ちったぁ自分で手を動かせってな」


 その日まで生きていられるかも定かでないことを、マイケルは誰よりも理解している。恐らくは今火星にいる誰よりもだった。それを見たボブは、どういうわけか頭を下げて来た。


「こんな報告になってすまない。お前は飲料ジェルを分解して、それを上手く流せないかとあれこれ頑張っていたのに」

「見てたのかよ」

「四苦八苦して最後は水浸しになっていたな」


 マイケルは決まり悪さで舌打ちした。ボブはとんとんと紙の端を揃えて差し出してきた。

 二人はまだ諦めてはいなかった。

 


 ちょろちょろと流れるそうめんの前でじいさんは佇んでいる。その眼光の鋭さは古の忍者を思わせる。加えて侍を思わせる抜刀の構えをしているが、じいさんの手にあるのは一膳の箸であった。


「ほっ」


 摘み上げたのは、ピンクの色麺である。

 じいさんは一日あたり約九時間そうめんが流れる様を見続けている。流れる水に不純物が混じっていたら即座に取り除く。じいさんはこどもだった頃から箸で蚊を掴むことが出来た。今は蚊の方が死滅してしまったが、このくらいの箸捌きは朝飯前なのだ。 

 もっとも、誰も褒めてくれはしないし、じいさんもさして好きでやっているわけではない。いや、昔は好きだったのかもしれない。でもいつからか好きという気持ちがよくわからなくなってしまった。じいさんの楽しみらしきものといえば、これくらいしかなかったのだ。


『ここは火星の第三冷却粒子製造工場。B&M基金により設立され、今では火星の約八割の冷却粒子を供給している工場で、見学はいつでも自由に――』


 ふとモニターを見上げてみれば、定時ニュースがいつもの施設案内を始めていた。無料チャンネルではこのようなつまらない番組しか無い。

しかしこの施設は知っている。じいさんもこないだ店の定休日に見学に行って肩の荷を下ろしてきた。だが記憶に深いのは施設自体では無かった。申し訳ありませんが休業いたします。そんな言葉を打ち込んでいる時、じいさんの手がふと止まった。だってどうせ、じいさんが店を休めたところで残念がる人なんかいないのだ。自分は何に謝っているんだろうなあ、とじいさんはちょっと悲しくなった。



「マイケル」

「良い知らせ以外は聞かないぜ、ボブ」


 目の下の隈を濃くしたマイケルの声は掠れていて、明らかな疲労ぶりに自分で笑ってしまいそうになった。ボブはそれにほんの少し逡巡した後、大層申し訳なさそうに言った。


「衛生局からの許可が下りない」


 マイケルの口がぽかんと開く。渾身の力を込めてそれを一旦閉じてから、ジーザス、と改めて天を仰いだ。


「許可。許可か。ああ大事だ。火星の一大事の前でその重大さに眩暈が起きそうだ」

「俺は真剣に言ってるんだマイケル。今回のロケットは何もかもアナログなんだ」

「知ってるさ。結局迎撃地点までフルで自動制御するのが叶わなくて、途中まで有人飛行でそこからの切り離し……人類はまだ月に到着してないんだったか?」 

「有人飛行の際には、乗組員の消化系に影響のない環境が保てるかどうか、そのデータを許可申請に添える必要がある」

「データでも何でも適当にでっちあげてこいよ!」


 マイケルは思わず手に持っていた工具を地面に叩き付ける。ボブを責めるのはお門違いだとわかっていた。だが彼の言う言葉は、あまりにも次元が低いと思えた。


「正確なデータを取るには、おおよそ一年腸内環境を一定環境に保つ必要……要するに、一年間同一物質を摂取し続けた人物のデータが必要だそうだ」

「馬鹿言うなボブ! この飽食の時代に一年同じモンを食い続けてる物好きがいるかよ! お笑いだな、俺がオーパーツみてぇなロケットと格闘してる間に、お前は衛生局でへこへこした挙句くだらねぇ条件を土産に押し付けられてすごすご帰ってきたのか。ありがたすぎて涙が出そうだ。ちゃんと靴は舐めたんだろうな!?」

「俺だってそんな規定は知らなかった!」


 ボブがこのように声を荒げるのをマイケルは初めて聞いた。マイケルの知る彼はいつも仏頂面で淡々と喋る男であった。ボブ自身も自身が声を荒げたころにひどく驚いている様子であった。いつになく歯切れ悪い様子で、施行令が、裁量が、事例の特殊性が、と説明らしきものを始めた。きっと衛生局のロボットに言われたことを繰り返しているのだろう。ボブ本人もほとんどその内容を理解も納得もしていないことはよくわかった。


「……そんな泣きそうな顔するなよ、ボブ」


 ついマイケルがそう言えば、ボブは無言で踵を返した。その肩は小さく震えていた。マイケルはふと、幼い頃に見たニュースを思い出した。神様に会うと書き残してメインストリートの入植記念タワーから飛び降りた女。マイケルの脳裡にふと自分とボブが一緒に空を舞う姿が浮かび、ぞっとしねぇな、と自嘲することしか出来なかった。



 そうめんというのは、水を吸う。

 朝に茹でたそうめんも、数時間も流されていたらそれはもうたっぷりと水を吸う。そうなってしまえばもう食べられたものでは無いから、じいさんはそうめんを回収する。そして、また新たに茹でたそうめんを流す。

 朝、茹でる。じいさん食う。昼、茹でる。じいさん食う。夜、茹でる。じいさん食う。

 そんなわけで、じいさんの三食の食事といえばもっぱらそうめんであった。

 売り物にはならないが、水を吸ったそうめんのぷりんとした食感もじいさんはそう嫌いではない。

 美味しいんだけどなあ。お客さんに食べさせてやりたかったなあ。わしが食べてしまってごめんなあ。

一緒に食べる人もいないから、ちゅるん、というじいさんが麺をすする音ばかりがやけに大きく響く。

 朝も昼も夜もそうめんである。もう五十年流しそうめんだ。じいさんのじいさんもそうだったし、じいさんの父さんもそうだったから、当然じいさんもそうだった。今時の食事事情は昔に比べだいたい貧相かつ通り一辺になってきているが、じいさんほど単調な食生活を送る者はいないだろう。飽きたという感覚すらじいさんにはもうよくわからなくなっている。



 火星入植センター地下一階、人気の無い第五倉庫。動き感知の電気ももう働かないが、マイケルは勝手知ったる様子で闇をすいすい歩いていく。やがて、ひょいと一つの棚の影を覗き込んだ。


「やっぱりここか」


 暗がりの中、ボブが巨体を丸めて壁と向き合っている様は滑稽であった。こちらを振り向かない男の隣に、マイケルはのっしりと座り込んだ。


「お前はしくじるといっつもここに来るよな。研修の時もそうだった」

「研修初日に冷却粒子を自分にぶっかけて凍死しかかった奴に言われたくない」

「うるせぇな、蚊がいたんだよ」


 くっくっと喉から笑いが漏れた。あの時のマイケルは大変だったが、ボブの慌てようといったらそれ以上だった。この無愛想な男は、たまたまペアを組んだマイケルを猛烈な勢いで背負って医務室まで運びこんだのだ。すぐ側に緊急ケア用ロボットがいたにも関わらず、だ。


「マイケル」

「おう」


 マイケルの顔を見た瞬間、ボブの何かが決壊したようだった。 


「俺たちは見捨てられたんだ。冷却粒子が尽きてるのは金持ち連中が出航するのに使ったからだ。冷却粒子を送ってもらえないのは、もう俺たちは、火星は用済みだと思われてるからだ。ロボットアームだって、あんだけ電気をケチられりゃ元から使えなかったも同然だ。それに今度は衛生局だ。適当な理由をふっかけて許可を下ろさないつもりだ。もう俺たちに渡す紙の一枚さえも無駄にしたくは無いんだろうさ」


 ボブは思うままにまくし立てた。一度堰を切ってあふれ出したものは止まらなかった。最後はほとんど言葉にならず、ボブは自分の喉がからからに乾いて貼りつくのを感じていた。

 マイケルはそれをいつものように茶化さなかった。最後までそれを聞いて、それからひどく優しい声で言った。


「……泣いているのか、ボブ」

「泣いちゃいない。泣いちゃいないさ、マイケル。ただただ、俺はもう少し」

「ここには秘密が多すぎる。最後に施設の終わりを確認する人員が必要だった。そうだろう。助かってみようと暇つぶしにあがいてみた俺たちが馬鹿だったのさ」


 火星入植センターには、もうボブとマイケルしかいない。突如機動を変えた小惑星ジャーデンに対して、コンピューターは無慈悲な計算結果を出した。今から迎撃するよりも、火星を捨てた方が安上がりであると。

 もう少し昔だったら非難の声もあったかもしれない。しかしいつからか、皆コンピューターに逆らうということをしなくなっていた。真っ先に逃げたのは火星入植センターの大株主と大口取引先で、次に上級役員。やがて密かに情報を入手した上流階級が逃げ、入植センター中級職員が逃げ、下級職員が荷物室に押し込められた。ボブとマイケルは、ただただコンピューターがランダムに選んだ「後始末役」の新米職員であった。

 もう火星に残っているのは余程の物好きか、自殺志願者か、罪のない庶民だけだった。彼らはニュースから流れる小惑星接近のニュースに喜び、空を見上げたりするのだろう。そのニュースを管理している人間たちはとっくに別の星に逃げているというのに。

 マイケルとボブに残された時間は少なかった。そして、ほんの気紛れでどうにか火星が救えないか足掻いてみたかったのだ。そしてそれは無駄に終わった。終わってみれば、妙な清々しさが残った。マイケルとボブは、どちらともなく立ち上がった。


「夕飯にするか。そうだな、流しそうめんなんかどうだ」

「ナガシソウメン? なんだそりゃ、ボブ」

「ああ。食べたこと無いだろう? 最近火星に出来た店でな。どういうものかわからないが、前から気になっていたんだ」

「最後の晩餐に妙なもんは食べたくねぇなあ」

「そう言うな。最後くらい冒険しよう」


 ボブはマイケルの背を叩いた。マイケルは少しだけ俯いて、やがて腹を鳴らせて照れ隠しのように笑いながら流しそうめん屋の扉を開けた。

 がたりと、古びた扉が鳴った。



 がたりと、古びた扉が鳴った。

 じいさんははっとしてそちらを見たが、誰もいやしなかった。風がおんぼろの扉を鳴らしただけだった。

 じいさんはひどくがっかりした。そして、またいつもの嫌な想像に浸ってしまうのだった。

十年ほど前から、じいさんは思うようになっていた。自分はこのまま、誰からも必要とされないのではないか。じいさんの人生には何も無かったのだ。伴侶も賞賛も安らぎも何も無かった。無為にそうめんを流し続けてきた。もしかして、じいさんはいてもいなくても同じだったのではないか。それは恐ろしい想像だった。それを思うたびじいさんの手も足も震えてとまらなくなる。じいさんのじいさんは死に、じいさんの父さんも死に、じいさんはたった一人だった。足元がぽっかりと空いて宇宙に投げ出される幻覚を見る。だがもしそれが現実だとしても、誰もじいさんが死んだことになんて気づかないのだ。

 だったら、少しくらいいいじゃないか。

 じいさんは壁に映ったホログラムを見上げる。じいさんのじいさんと、二人の若い男――確かマイケルとボブとかいったか――が握手している映像だ。じいさんのじいさんはかつてこの星を救ったことがある。流しそうめんにより培った技術によって、冷却粒子の供給が止まった状態で見事小惑星迎撃有人ロケットを整備し、乗り込み、見事小惑星ジャーデンを破壊してみせた。結果、流しそうめんは一時のブームを作り出したのだ。


『――今日は小惑星ジャーデン衝突回避の日。五十年前に偉業を成し遂げた二人、マイケルとボブのM&B基金によって建立された第三冷却粒子製造所には今日もたくさんの見学者が――』


 モニターからニュース声がする。子供たちが大勢製造所に集まって、二人の銅像の前で写真を撮っている。

 じいさんは今まで、誰に褒められたことも認められたこともなかった。いつかそんな日が来ると信じて、じいさんはいつの間にかじいさんになってしまった。もう時間は無いのだ。今度は誰もじいさんなんか頼らないかもしれない。それでも良かった。そう思ってしまうのは、あるいはじいさんは何かしてみたかっただけだからかもしれない。何でもいい、記憶に残ることを。

 ああ、さっきのあの扉の音が、誰か来てくれた音であったら良かったのに。誰かがら来店して、流しそうめんを食べて、美味かったと一言言ってくれたら。そうであったら、じいさんはこんなことをしなかったかもしれないのに。

 でもじいさんは夢想せずにはいられないのだ。誰もがじいさんの足元でどうか貴方の技術が必要だと乞う姿。じいさんが笑ってそれに応える姿。見事難題をこなしたじいさんに皆が拍手を浴びせる姿。職員とじいさんが固く握手を交わし笑って写真を撮る姿。じいさんはそれを生まれた時から夢見てきたのだ。

 どうかそんな日が来ますように。さもなくば、誰かがわたしを覚えてくれますように。


「どかーん」


 じいさんはまるで子供のようにわくわくしながら手元のスイッチを押した。モニターの中で製造所が爆ぜて大きな炎があがる姿は、小惑星が衝突するさまに似ていた。

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