第8話  酒の肴2

「5年、前・・・」

家主が呟いた。

話を続ける。

「仕事の帰り道、何気なく公園に立ち寄ったんです。ベンチに腰掛けていると、疲れていたせいかまぶたが重くなって・・・。目が覚めていつも通りの帰り道を帰ると家がなかったんです。」

家主がこちらを見つめていた。続きを促しているようだ。

「5年後に住んでいる家は3年前、つまり今から2年後に新築になるんです。そこに住んでいました。なので、あの場所までは来れたんですが、建物が違っていたので驚きました。」

「そう、だったん、ですね。」

自分でもどうしてこうなったのかよくわからないので、状況の説明をした。

すると家主が口を開いた。

「5年後、ということは2020年でしょうか?」

「そうです。」

「じゃあ、オリンピックの年ですね。」

「っ。そう、ですね。」

「盛り上がっていますか?」

「ええ、はいまぁ。」

延期になったとは言いづらい。延期になったと言えば、なぜそうなったのか説明しなければならない。

 その説明をすれば将来の不安になるかもしれない。伝えておけば色々と対策ができるかもしれないが、なんとなく言わない方が正解だと思った。

もっと気の利いた言葉でごまかせれば良かったのだが、そこまで場数を踏んでるわけでもないし、頭の回転もそんなに良くない。窮地に立たされれば、火事場の馬鹿力的なものでもっとうまいこと言えると思っていたのだが、そううまくもいかないらしい。

「いろいろ聞きたいことはありますが、まず確認なんですが、どうしたいですか?」

家主が質問してきた。

「どう、とは?」

「5年後に帰りたいですか?」

そりゃ帰りたい。と思ったのと同時に、いや待てよ。もしここで過ごしたとしたら、あの事態にもうまく対応ができるかも知れない。

中国に渡って食い止める。とまではいかなくても、何か原因を探ったり、お金を無駄なことに使わないといった、もっと身近なことができるかも知れない・・・。いや待て待て。そうなるとこの辺りに住み続けていれば、いつか自分自身と対面してしまう。それにあの時代の自分は今どうなっているのか。もう一人の自分に会わないように生活していくというのも正直面倒だと思う。あの時代に帰ろう。

「帰りたいですよ。」

「まぁ、そうですよね。では、これからはどうやって戻るかを考えなくてはいけませんね。何かきっかけのようなものはありましたか?」

「うーん。そうですねぇ。」

自分なりに色々考えてみていたのだが、思いつかない。

何も思いつかない様子を見て、家主は口を開く。

「では、直前まで何をされてましたか?」

「確か、近くの公園のベンチでうたた寝をしていました。」

「うたた寝しただけで5年飛ばされますかねぇ・・・。きっかけにしてはだいぶパンチが効いてないというか、なんというか・・・。」 

確かにそうだ。公園でうたた寝くらい誰でもありそうだ。いや、あの時期はほとんどいなかったかもしれないが・・・。

「それでは温度とか、風景とか、どうでしたか?」

「温度、は心地よかったですね。春先ですし、ほどほどに風もあり、桜のかをりもしてました。風景は、桜を見ていて、やけに暗かったような・・・。」

「暗かった。ということは、月は出てなかったんですね?」

「月は見てませんが、夕方でしたし。いつもよりなんとなく暗いなぁとは思いましたね。」

「そう、ですか。じゃぁなぜ、あの日だったんでしょうね。」

「あの日、というと?」

「うちの前にいらっしゃった日ですよ。5年前の同じ日にこちらに来たわけではないじゃないですか。」

確かにそうだ。てっきりこういうものはきっかけのある日、例えば世界がなくなる数日前とか、大事な人が亡くなるきっかけより少し前とかに飛ばされることが多い。気がする。

自分の場合は大切な人がいるわけでもないし、強いて言えばあのウイルスを食い止めるために飛ばされたのかとも思ったが、それにしては微妙な時期だ。ということはこれも違うと思われる。じゃあ一体何がきっかけで2020年4月17日から2015年4月4日に飛ばされたのだろう。

うーん。とお互い考えていでもなかなか拉致が開かないので、とりあえずまた明日以降考えるとして、今日は休むことにした。

片付けはこちらで担当した。


寝支度を済ませ、挨拶を交わし、寝床に向かう。


少しハンモックに揺られながら天井を眺める。


さて、いつ帰れるのだろうか、そもそも、帰れるのだろうか。どうやってこの世界にきたのかが全く分からない状態で、戻れる気がしない。まずは、来たきっかけを考えた方がよさそうだ。あの日のことを思い出そうとすると急に睡魔が襲う。


今日はかなり気を使って過ごしたからだろう。他の人が何の気なしに近づいてくるものだから過敏に反応してしまい、しばしば嫌な目で見られてしまった。


念のためマスクと体温計を買っておいた。気が動転しててすっかり忘れていたが、念のため体温を測っておこう。


体温計に手を伸ばし、脇に挟み込む。

腕に沿うように体温計を当てた方が正確に出るそうなので、最近この測り方に変更した。


36.7度


少し高めだが、平熱がこのくらいなので問題ないだろう。


念には念を。これからはマスクをしっかりつけておこう。


とりあえず今日はこのまま寝よう。衣食住に恵まれていることに感謝しつつ眠りについた。

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