第5話

「というわけで、クッキーを作ります!」

「はい。こちらがすでに量り終えた粉類です」


 今回は、一般的なプレーン味と、ミツルの好きな抹茶味を作ることにした。そのため、小麦粉もそれぞれに分けている。


「ごくろう! さすがいっくん!」


 これだけはやっていてほしいと彼女が言ったので、素直にやっていた。


「それではまず最初に、小麦粉をふるいます」

「この作業って、本当にいるのか?」


 ずっと思っていたことを、口にしてみる。彼女はこちらを見て、一瞬呆けた顔を見せた。かと思えば、ふんっと鼻で笑ってくる。


「これはおいしいクッキーを作るために必要な工程なの!」


 粉ふるいを手に持って、彼女は意気込む。


「いや分かるけど。分かるけどなんとも言えない」

「おいしいクッキーが食べたいって言ったのはいっくんじゃん!」

「それはそうだよ、だから手伝いたいんだけど、なにか俺でも出来ることはないか?」


 そのためにエプロンを腰に巻いて、きちんと手を洗ったのだ。


「じゃあこれ代わって?」

「まさかの選手交代」

「代打~いっくん~♪」

「野球かよ……」


 そうぼやきながらも、粉ふるいを受け取る。粉ふるいはすでに白くなっており、俺も指もまた白くなった。気にせず、小麦粉をふるいにかけていく。彼女の練習に付き合う家庭で数回程は経験していることなので、最初よりはスムーズに出来ているはずだ。


「この間に自分は、バターとタマゴを常温に置くよ」


 なるほど。彼女は分担して時間短縮をしようとしていたのである。手際が良い。


「分かった」


 しばらくの間、互いの作業に集中して沈黙が訪れる。小麦粉がふるいにかけられる音が、よく聞こえる。


「オッケー☆ あとは自分に任せて!」


 宣言していたことの終わった彼女は、僕の手からふるいを奪っていった。渡すときはあっさりと手放したのに、奪うのにはゆっくりと時間をかける。まるで舐めとられているようだ。

 そこで以前、自分の鼻血を舐めとられたことを思い出して身体が震える。あと少しで、俺と彼女の唇は触れあっていたのだ。いやでも、意識してしまう。視線は自然と彼女の唇へ向き、しかしなにをやっているんだと思い直して目を逸らす。それが数回。


「どしたの?」


 さすがの彼女も、俺の挙動が不審であることに気が付いたようだ。


「な、なんでもない」


 嘘だ。


「……ふーん」


 なんでもないわけがない。


「じゃあ、いっくんは課題やってきなよ」

「え」

「今日が連休最終日なのに、どうせ終わってないんでしょー?」

「う」


 図星である。


「分からないところは後で教えてあげるから、とりあえずやっておいで?」

「分かった……」


 彼女の表情が真剣そのものだったので、俺は素直に頷くしかなかった。




 しばらくすると、いい香りがキッチンからしてきた。どうやら、ちょうど今焼いているらしい。関係代名詞についてのプリントを解いていたのだが、途端にwhatを書いていた手が止まる。

 数秒はそのまま止まっていたのだが、堪えきれなくなった俺はキッチンに駆け込んだ。


「出来た?」


 問いに、オーブンを見ていたミツルがこちらを振り返る。その目は俺を見て一瞬だけ驚いたような顔をした。それにどうしたのと聞く間もなく、彼女は笑顔に戻る。


「もう少し」

「そっか」


 その間に洗い物でもしようかと、腕をまくった。


「久しぶりにいっくんのそんな少年みたいな顔見た」


 彼女に向けた背に、ぽつりと言葉が溢される。そうだっただろうか。彼女が言うのならそうなのだろう。


「そりゃ、俺ももう16だから。そんなやたら滅多に少年っぽくならないよ」

「言うようになってー!」

「なんだよ」

「昔は泣き虫だったのに」

「ったく。昔の話はいいだろう」


 彼女の言葉が否定できないだけに、俺は過去の話をするのは苦手だ。


「いっくんは強くなったよね」


 それでも彼女は、語るのをやめない。諦めた俺は、使ったボウルなんかを洗いながら話を聞く。


「いつの間にか身長も自分も追い越してるし、1人で野生のスライムくらい倒せるようになるし」

「スライムは泣き虫だった頃にも倒せてた」

「そうだっけ?」

「そう」

「ま、自分のほうが強いのは相変わらずだけどね」


 そう彼女が言ったのと同時に、焼き上がりを告げるアラーム音がキッチンに鳴り響く。


「焼けたー!」


 さっきまでの昔を懐かしむ口調はどこへやら。いつもの明るく騒がしい口調でそう言う。


「わ……」


 オーブンの扉を開けた途端、辺りいっぱいに広がる甘くて香ばしい香り。どちらかといえば、抹茶の香りのほうが強い。


「クッキーだ」

「そうだよ。自分はクッキーを作ったんだよ」


 今更とでも言いたげに笑う彼女が、オーブンシートごとケーキクーラー(デジタルはかりとともに買った)の網の上にクッキーを乗せる。


「あとは冷やすだけ!」

「まだ食べれないのか?」

「もー! 焦らないの☆」


 伸ばしかけた俺の手を、彼女に払いのけられる。


「焼きたては割れやすいの!」

「そうなのか」

「そうなんです! 持って行くから、もうちょっと課題やってなさい!」

「台詞がお母さんだ」

「およ。ママにやるみたく、自分に甘えてみる?」


 ニヤニヤと笑いながらこちらを見る彼女に向かって、遠慮しておくよという言葉を溢しながら苦笑する。俺の記憶には母親に甘えていたような頃はないんだよ、とは言えなかった。


 *


「出来たよー!」


 英語の課題が大体終わった頃、ミツルがクッキーを持ってきてくれた。


「おお」


 そのクッキーはカラーペンやスプレー、アラザンなどで色鮮やかに彩られている。本当にかわいらしく、今まで課題と向き合っていたせいで出来ていた眉間のしわもなくなるようだった。


「とても手先が不器用だと言っていた人間が作ったとは思えないな」

「練習したからね」


 まるで褒めて欲しいとでもいうように頭を近づけてくるので、お望みとあればと頭を撫でた。


「すごいすごい」

「ぷにゃあ、ありがと」


 かわいい。


「食べてもいい?」

「うん!」


 その無防備に笑う顔に自分の顔を近づけて、今度こそと唇を奪った。なにをされているか分からないとでも言いたげに彼女の目が見開かれる。ついで、どんどんと胸を叩かれる。彼女の脚力はすごいが、腕力はそうでもない。やがてその抵抗もなくなり、なすがままに俺に身を預けてくる。その様がひどくかわいく思えたので、より一層彼女の口内を浸食してしまった。


「……なんでこんなことするの」


 解放した彼女は、真っ先に俺を睨み付けてきた。肩で息をする頬の赤い目を潤ませた彼女に睨まれても、怖くもなんともない。


「したくなったから」

「伏線とかなんにもなかったよね?」

「現実は物語じゃないから。脈略がなくても、起きることは起きるよ」

「起こしてるのはいっくんじゃん! 他の人にもこんな子とするの?」

「それはキミが一番よく分かってるだろ」 

「うびび」


 彼女がふざけた鳴き声をあげる。それでも彼女は真剣なようで、しばし俺のことを睨みつけていたかと思えば、途端に目を伏せてクッキーのほうを指差した。

 

「とりあえず、クッキー食べて! 話はそれから」


 クッキーは秒で食べた。

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キミの足蹴で起きる朝 城崎 @kaito8

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