第4話

 夕方。


 ミツルにもらったクッキーを、一噛み一噛み、大切に食す。

 おいしい。

 その甘さをじっくりと味わいながら、出されている課題を片付けていく。半日で終わる実習の日だからと、今日の課題は少し多めだ。


「お……?」


 因数分解のプリントをしながら、ふと思う。今日あった調理実習のおかげで、少なくとも今の彼女はクッキーの作り方が分かるようになった。つまり、材料を渡してさらに出来る限りの手伝いもすれば、彼女単体が作ったクッキーが食べられるのではないか。

 食べかけのクッキーを、光にかざしてみる。

 これはおそらく、何人かで役割分担をして作ったものだろう。調理実習というくらいだ。俺たちが討伐するときと同じように、班を組んだりしているんだろう。そこには女子のみならず、男子もいるはずだ。いや、女子であってもミツル以外は知らない人間である。他人が、得体の知れない手で触っているのだ。

 それよりも、2人で作ったもののほうがいい。


 そこまでを考えて、突然冷静になった第三者的な自分が疑問を抱く。


「なぜ俺は、彼女の手作りクッキーを食べたがっているんだ……?」


 いやいや。その答えは簡単だ。彼女が、プロ並みに料理を出来るからである。料理と菓子作りは違うというのを聞いたことはあるが、彼女のことだ、出来ないことはないだろう。


「クッキー? 自分1人じゃ到底作れないよー!」


 だから、当然のように放課後やって来た彼女の口から出てきた答えに、俺は心底驚いてしまった。


「えっ」

「不器用だし、がさつだし」

「ぐぬぬ……」


 即座に否定出来ないのがなんとももどかしい。彼女もそれを分かっているのか。なんだようと抗議の視線は向けてくるけれど、口には軽く笑みを浮かべている。


「で、でも」

「料理は習慣……ていうか、作れなきゃ死ぬって環境だったから、死にたくない意地で出来るようになっただけ。 お菓子作りは無理! 繊細な作業は、自分には向いてない!」

「そ、そうなのか……」


 彼女の口からそこまでの言葉が出てくるとは思わず、よほどのことなのだということが伝わってくる。そんなに変わらないだろうと思っていた、自らの軽率さを恥じた。


「も、もー! いっくんったら、そんなに自分たちが作ったクッキーがおいしかったの?」


 慌てたような彼女が、茶化した調子で問いかけてくる。その問いには、すぐに頷ける。


「おいしかったよ」

「そかそか。じゃあ、そうだねー……」


 彼女は奮起するかのごとく、腕まくりをして拳を高く掲げる。


「頑張って覚えちゃおうカナー☆」

「いや、そこまでしなくても」


 掲げた時点でなにを言い出すか若干の予想はついた。しかし、本当に言われると遠慮をしてしまう。彼女のクッキーを食べたいと思ったのも本心だが、それ以上に無理をしてほしくないという思いが強いからだ。

 そこで彼女は、拳を下ろして俺の両手を握った。ゆっくりとした瞬きのあとに俺をしっかり見つめ、そして微笑む。


「自分はね、いっくんのおいしそうに食べる姿がとっても好きなの!」


 無邪気な笑顔と言葉は、俺の心にゆっくりと溶けていく。


「だから、いっくんがおいしいって思って食べてくれるものを作れるようになりたいのは、無理でもなんでもないんだよ?」


 楽しいこと。

 そう宣言されてしまったら、彼女を止めようだなんて意思ははじけ飛んでしまう。むしろ、そんなことを思ってくれているだなんて。たまらなく嬉しい。


「ありがとう、ミツル」


 だから俺は、彼女の手を壊さない程度に握り返す。


「俺に出来ることがあったら、なんでも言ってくれ」

「じゃあ、デジタル式のはかりが欲しい!」

「今あるやつじゃダメなのか」

「ダメ! お菓子作りは、材料を正確にはからないと、話にならないんだよ!」

「なるほど……。剣を習うよりもまず己が肉体を鍛えよ、みたいなことか」

「うん! 絶対違う!」


 いい笑顔で完全否定されるのは、中々に精神に悪いようだ。

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