第3話
かつてのこの世界には、モンスターなんていなかったらしい。さらにいえばこの国では、滅多なことでは武装する必要もなかったという。戦いが日常の一部である生活しか送ったことのない自分にとって、それは絵空事にしか思えなかった。
野生で遭遇するモンスターのみならず、ただすれ違っただけの人間がなんの理由も無しに襲いかかってくる。それが俺の生きている世界だ。武装もせずに、街なんかへ出てみろ。良くて病院送り、最悪の場合は死ぬ。そうなったとしても、武装をしていなかった人間が悪いのだ。なにも文句は言えない。もっとも、ほとんどの人間が学校で護身術を習っているため、武装せずとも戦えなくはないのもまた事実ではある。
体育が単にスポーツをやる時間だったのは、およそ200年前。今では護身術や格闘技、身を隠す術などを学ぶ、生活に一番根付いた授業となっている。1週間で5日の学校に通う日があるとすれば、普通科であっても7時間は入っているものだ。俺が通うモンスター殲滅科では、大体15時間程が入っている。そう、座学が少ないのだ。だからこそ俺は、殲滅科への入学を希望した。
意外だったのはミツルだ。彼女の脚力は幼い頃から強く、ハッキリ言って俺よりも格段に強い。だからてっきり殲滅科に来るものだと思っていたのに、彼女はなんと普通科に行った。理由を聞いたところ、俺と一緒のクラスだと幸せすぎて無理だという。そんなことで持て余される才能に嫉妬するのが半分、一緒にいることが幸せであることを主張されて嬉しいのが半分といったところだ。
「なんでいっくんがニヤニヤしてんの?」
昼休み。ミツルが作ってくれたおそろいの弁当を、2人で食べ進めていた。俺はどうやらしばらく意識を飛ばしていたらしい。近くに彼女の顔があるにもかかわらず、まったく反応が出来なかった。彼女だから良いとはいえ、もしも別人の侵入を許していればどうなっているか分からない。それにどうやら、俺はニヤニヤとした表情を浮かべているらしい。
「え、ニヤニヤしてたか?」
「うん。ニヤニヤしてた」
こんなことでポーカーフェイスを崩す自分は、やはりまだまだ精進が足りない。戒めの意味を込めて、ぱしりと頬を叩く。
「なになに? 自分でエッチな妄想でもしてた? キャッ☆」
たしかにミツルのことを考えはしていたが、思考はエッチなことからほど遠い場所にいた。
しかし、彼女の口からそんなことを言われてしまったら、むしろそんな思考を始めてしまうものである。セーラー服から覗く太もものさらに上を見たい。膨らみ始めた彼女の授乳器官を見たい。邪な感情が、脳内を埋め尽くす。
「鼻血、出てるよ」
穏やかな口調の彼女は、そう指摘してくる。そうなのかと思い鼻を拭おうとした瞬間、俺の鼻の下にぬめったものが触れた。
彼女の顔が、すぐ側にある。はあと彼女の吐き出した息を、俺が吸い込む。ちろりと覗く彼女のピンク色をした舌が、一部分だけ異様に赤くなっていた。これは、つまり? 彼女の舌が、俺の鼻血を?
「は、ええ、おおお!?」
勢いよく仰け反り、そのまま壁にぶつかって頭を打つ。
「いったぁ……」
打ち所が悪かったのだろう。いつもならばモンスターに一撃を食らってもそこまでの痛みを感じることはないというのに、このときばかりはただの木の板があり得ないほどに痛かった。
「もう。おっちょこちょいだなー♪」
どこか楽しそうな彼女は、俺の頭を優しく撫でる。原因は彼女にもあるので、その行為は複雑だ。
「……ミツル」
「どしたの?」
「そういうことは、あまりしないほうがいい」
「いっくんだからするんだよ?」
「俺の存在をなんだと思っているんだ?」
「ぷへら! それはいっくんが一番理解してるでしょ!」
また感情の分からない鳴き声を発する彼女の口が、さっきと変わらずに俺の弁当に入っているものと同じおかずを食している。そう思うだけで俺は、弁当のふたを閉じることしか考えられなくなった。
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