(三)付喪神

 ざっざっ。

 霧に煙る草っ原のなかを進む。祠へと向かっていた。

「ぶちりめ、追ってこぬのか」

 春竹がぼそり。

 辺りは冷えた静けさに包まれている。霧が薄くかかっていた。

「こ、これっ」

 弓月が叱る。才蔵はけろりという。

「でも、かかってこないのか。ここなら、二進も三進もいかないのに」

「や、やめて」

 鈴々は慌てた。でも、才蔵は首をひねっている。

「ぐずなやつ」

 草むらは、さわさわとゆれるのみ。

「やめとくれ。くるならこい、みたいな」

 豊春も口がふるっとなった。

「愚かな。ぶちりはさらに追い詰めておるのよ。逃げ場がないと心砕かれ、おのれでくたばるのを、楽しんでおる。恐ろしい」

 淡宝がべそはどこへやら、憎々しげなものいいをする。

「それ、まわりくどい」

「なんと」

 春竹も才蔵にうなずいた。

「ふむ。ぶちりといえば血に飢えたとみるや、ここはずいぶんと毛色が違う」

「臆病もの、やも」

 ずばりと才蔵。

「えっ」

 と、ものどもの足が止まった。

「な、なにぬかす。みるがいい、我らは、もはや逃れられぬ。このまま蜘蛛の糸に絡め捕られた蝶である。それを、呆けたものいいをするな」

 淡宝が声を荒げた。

「なら、蜘蛛どの。つらをおがませろ」

 才蔵が草っ原に向けて怒鳴った。

「つらとな」

 あわわと淡宝がなったところで、春竹が腕組みをした。

「つらか、そうか、どんなつらの、なのか」

「この、もののけか」

 弓月も腕を組む。

「どれも、罠ばかり」

「というと」

「罠に掛けるはいいが、そこからほったらかし。骸は、喰われてもおりませぬ」

「ほう」

「ゆえに、蜘蛛は、どこへいったやら」

 豊春が膨れた。

「こんな霧やら、仲間を狂わせ、逃げ道を無くす。そんな、おっかないぶちりが」

 鈴々がふいに、ぽつり。

「あたかも、付喪神みたい」

 春竹の目が丸くなった。

「おっ、その類いやもしれません。たとえば木の付喪神は、ひとを山に迷わせるものの、さりとて、取って喰らうわけではない」

「なら、この、もののけとは、なにもの」

 才蔵が鈴々を突っついた。

「なにものって」

 ふむと、鈴々は目を閉じた。

「もしや、唐でいう、彭侯かしら」

「そう、千年を超えた古木に宿るもののけ。その昔、呉という国で男が木を切ったら血が流れて彭侯があらわれた。ひとの顔を持つ犬とやら。煮て喰ったら犬の味がしたとも」

「うわ、喰ったのかよ」

 春竹ははたとひざを叩いた。

「いや、いかにも、それは」

 弓月もうむとうなずく。

「ぶちりの一匹」

 ひとり、淡宝がいらついた。

「えい、それがなんぞ。もののけがばれたところで、どうするや。そも、ぶちらねば、むざむざ、くたばるだけではないか」

 それは、そうではある。心がまた冷えてくる。

 うつむくのを嫌ったか、才蔵がおどけた。

「古木の付喪神か。なら、春竹房。よく神社で杉にぶっといしめ縄を張って、これは御神木ゆえ登るな、騒ぐなというけど、あれもそうか」

 春竹はにっこりする。

「はい。付喪神のなかには、ひとに恵みを与えるものもおるとか」

「ちなみに、古木の憑きものは、悪戯や騒ぐのを嫌うのか」

「もちろん。いじめれば枯れてしまいます」

 才蔵がにたり。

「なるほど、付喪神にも、臆病で腕っ節はからっきしのがいるのか。ほれ、鈴々のやつは喰われたな」

「才蔵さんは、なにがいいたいのやら」

 才蔵の眉がぴくりとなる。

「おどかそう」

 周りは、えっとなった。

「もしや、ひとのつらの犬神ならば、犬には犬をけしかけるのがいい。滅茶苦茶嫌がるから。それで尻尾を出せば、そこをぶちる」

「やあ、面白そう」

 豊春が笑った。

「わんわんと、吠えたてまわるのか。ひょっとして霧も消し飛ぶかもしれぬ」

 弓月も笑みが戻った。

 嘲笑ったのは淡宝。

「この、阿呆め。どこに犬なんぞおる。よしんば浜でうろつくのがおろうと、そもそもここから、抜けられぬではないか」

 才蔵はうふふと笑う。

「あのね、おいらが鼻たれのころ、近くの神社で、まぁ吠える犬がいた。おいらも手こずったね。ぶちっていうの。あれが、ある朝ころりで、どれほどほっとしたか」

「なにをいうておる」

「だから、そのぶちを呼ぶ」

 くいと、指した向こうには黒々としたどんぶり山。そこに、あの沼がある。

「そうか、犬の霊を呼び、ひとに憑依させるのか」

 春竹が手を打った。弓月もうなる。

「うむ、あの沼ならやれぬことはない。呼べたら、犬神もかぎつけるやもしれぬ。あわよくば、ぶちりをぶちるぞ」

 よおしと豊春がぺんと腹を叩いた。

「おいらが、そのぶちになる。みなさま、よろしく祈祷をやってくだされ」

 淡宝が、ま、まてとわめいた。

「ど、どう、そのぶちとやらを呼ぶ。こいこいで、くるものなのか」

 才蔵がこんどは崖の方を差した。

「ほら、あっこ。竹がにょっきり、いい枯れぐあい。あれでおいらが犬笛をこさえる。里の神社では、それで呼んでた。里の犬笛はおいらもこさえた。まだ手に覚えがある」

 わっと笑みが広がった。もう淡宝も知らぬ顔。

 ふと才蔵の瞳が、きらり。

「ぶちりめ。おそらく近くに居る。さて、おいらの罠やいかに」

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