(二)付喪神
「おのれ、いかにする」
「霧は斬れぬ」
「ぶちりを、ぶちるしかない」
「なら、ぶちりはどこぞ」
「さ、捜せ」
「どこを。霧に迷うがおちである。いや、やつのねらいは、それやもしれぬ」
もはや、浮き足立ちかける。とたん、ひゃはっと淡宝が笑ってる。ひゃはは、ひゃはは、ひええいと笑い、かつ泣いた。周りはぎよっとなった。
「や、やはり、あれか、あの祟りか」
淡宝がつぶやく。春竹がやんわりと訊いた。
「それはどういう」
「たわけたことがあった」
淡宝の目玉が据わっていた。
「そも、ぶちりの沼は霊験あらたかゆえに、決して犯してはならぬ。それはそれは尊きにして恐ろしき処。いわば荒神さまともいえる」
目玉がぎょろっとなる。
「荒神さまは厄を呑む。そこでぶちりとなった。祈祷により厄とみたてた獣を山に放ち、あげく生けにえとして奉げる。さも荒行ゆえ死人も出るが、それに見合う厄祓いである」
その目が血走った。
「ところが、こたび山伏が二人尋ねてきた。久しぶりのものゆえ、明海さまはつい気を許しぶちりの供を許した。これがしくじりであった」
「しくじり」
大瓦の眉がうねる。
「ぬしらは、山伏が下手をしたと耳にしておろうが、それは真ではない。そう、あれはまさに、明海さまが祈祷をなさんとしたとき、こともあろうか、山伏のひとりが斬りつけたのだ。おそらく、この荒神さまを奪おうとたくらみおったな」
おおっと声が上がった。
「血は飛び散り、それが沼を汚した。すると、なんと沼はぐらぐらと波だち」
淡宝は息が乱れた。
「ぱんと、弾けおった」
口から泡が吹き出る。
「沼から、禍々しき霊が次々に吹き出ておる。人魂も飛び廻り、あれはあの世ぞ」
「ひっ」
才蔵が顔をしかめる。
「ものどもは、憑りつかれ沼へどぼん。むろん山伏も、つらにこぶをぶら下げ、沼へどぼりと沈む」
淡宝はまた、泣きじゃくる。
「痛々しき明海さまは、祈祷にて鎮めんとした。なれど、すべてを封じ損ねた」
「逃しましたか」
ふむと、春竹は唇を噛む。
「一匹ではない」
「なんと。そして、匹とな。ひとの魂ではないのか」
みな、ざわっとなった。
淡宝の目玉がぎろり。
「ひとにあらぬもの。けものにあらぬもの」
「むう」
目玉が陰る。
「おぞましきもの」
春竹が眉をひそめた。
「もののけ」
「それが、ひとに憑いたのが、こたびのぶちり」
弓月は苦り切った。
「ぶちりも、ぶちりよ。おのれ、真面にぶちれようか。そうか、この辺りの骸も、もののけの霧に、行き倒れとなったな」
「やもしれぬ。こうして明かしたうえは、その方らでなんとかしてたもれ」
またおいおいと泣き始めた。もはや他はだんまり。霧はまたひとつ、濃くなってゆく。才蔵はひとり天をにらむ。
ふと、春竹がぽつりとつぶやく。
「成さねば」
力を込めた。
「もう、ぶちりが居る。これをぶちらねば、どのみち助からぬ。成さねば成りませぬ」
弓月もふむとうなずく。
「まったく、他のぶちりはともかく、まずはここから。おい、ぬしはあと、知ることはないか」
淡宝はうなだれたまま。
「なあに、憑かれておってもひとであるなら、どこかにおる」
大瓦は霧の草っ原をぐるりと見渡した。
才蔵がさらりという。
「これ、案外と近くに居るやも」
ざわりとなった。
「ひょっとして、仲間にまぎれておるや」
淡宝がぼそり。
とたん、坊主どもの背筋が寒くなる。
「ば、ばかな」
「お、おう。そんなことなど」
互いにわいわいとなったところで、ざわっと背丈ほどの草がゆらいだ。
「見つけたわ。そこじゃあっ」
雄叫びが上がる。
ぶんと、太い薙刀が落ちてきた。
「あ、あぶねえ」
すんでのところ才蔵が鈴々を抱き飛び退く。どすん、地に刀刃が深々とめり込む。
「なんだっ、おめえら」
はああっと荒い息がある。草むらから、二人。
「円海房、法山房」
春竹は息を呑んだ。
「往生せい」
にたあと笑う円海。
「ふははっ。ぶちりどもが、たんとおるわ」
法山がくいと見廻す。顔は青白く、唇はひくと震え、その瞳はまるで定まらない。
「いかぬ。心がやられておる」
弓月はうめいた。
ぐいと円海が薙刀を地から抜く。
「ぶちる」
「ぶちる。それ、ぶちるぞ」
そのわめきで、同じつらつきのものどもが草むらからぞろぞろ。
ぶちる、ぶちる、ぶちれ、ぶちれっ。
「えいっ、たわけがっ」
大瓦の一喝。
ひるみがあった。
「いまっ。まずここを逃れる」
「弓月房」
「春竹よ、この先に地蔵の祠があった。塩で清め、のちに祈る、それで結界となる」
大瓦もうなずく。
「わしがくい止める。早う、いけっ」
薙刀をぶんと廻す。
大瓦のほか腕っ節のものが残り、あとは弓月につづく。あの淡宝はけろりとしたつらで、我先にと逃げていた。
と、才蔵の足がひたと止まった。えっと鈴々。しばし見上げてる。あの、竹の突き出た崖であった。
びゆう、びゆうと後ろでは薙刀がうなる。
きええっ、奇声があった。がきいっと薙刀が噛みあう。ぬうう、やあっ、互いに跳ね返って、打ち合いにのち、ようやく大瓦が柄で円海を突き、反転して法山をぶっ叩いた。
のされたものどもが、ごろりと転がる。
「えい、仲間でつぶしあうか」
かたわらのものがうなずく。
「まこと卑怯。霧で心を弱らせ、あげく狂わせる」
「ずるい、ぶちりめ」
他のものもいう。
「大瓦房。得てして、このようなやからは腕が軟なのやも」
「ぶちりの、腕っ節か」
大瓦の眉が跳ねた。
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