第三章 鈴々の帝鐘

(一)付喪神

 霧がまたひとつ濃くなる。

 白い靄がひたひたと迫ってくる。

 山道はいつしか細くなり生い茂った草に埋もれゆく。別の道をたどるといきなり崖に出くわす。崖下を望めば岩の割れ目から枯れた竹がにょきりと棘のように出ていた。

「ほかには」

 才蔵が口を尖らせた。

「それらしき道が、見当たらない」

 額をぬぐい春竹の息は上がっていた。

 また、崖から下を望む。

 草っ原の一本松で、こちらに気づいたのか、薙刀がくるっと廻った。

「ここから、だったけどな。なんであっちの山へいけない」

「みょうですね」

「ようし。廻ってみるか」

 くるっと背を向けると、とっとと才蔵は山道を下りる。ふうふうと春竹が続いた。

 辺りはしんと静まる。寒さがじわりと凍みてきた。

 ひゃああ、ひええ、ひえええっ。

 一本松の草っ原では、しなびた瓜づらを真っ赤にして奥の院の淡宝が人目もはばからず泣いている。

 日ごろの能面は砕かれていた。

「ああっ、ああ、怖や。ああ、怖や」

 周りのものはぼそりとつぶやく。

「気が滅入る。役立たずなら、せめておとなしゅうしておればよいのに」

 辺りは、ただこの泣き声ばかりが響いていた。

 鈴々が豊春の袖を引く。

「いつまでこうしてるの」

 豊春は首を傾げる。

「あらま」

「けど、薬草はたんと採れた。これはありがたい」

 太い指がのぽっこり膨らむ腰袋を叩く。

 鈴々の顔はうかないまんま。

「それも、みょうなの。ほら、この当帰とうきはもっと寒い処にあるものだし。この甘草かんぞうは和国より、唐っぽい」

 ふっと見上げる。

「あの崖に竹なんか、まるであたしの里みたい」

 豊春はただ目を丸くした。

 ざざっ。

 荒々しく草を踏み分け五人ほど戻ってきた。

「おう。どうであった」

 渋いつらの大瓦が訊う。

「はてさて、道をたどればもとに戻り、あったはずの道筋は藪となっております」

 もうひとりが続ける。

「加えて円海と法山のものどもがはぐれてからは戻りませぬ。近くでおおいと声はするのですが」

「ふうむ」

 大瓦の眉がぐいと、跳ね上がる。

「今一度、呼びに参りましょうや」

「まてっ。ここでぬしらまで霧に巻かれては厄介よ。いま少しすれば薄れよう」

 二人はうなずくも霧が晴れる気配はない。

 しばしあって、おおい、おおい。呼ぶ声がする。ざざっ、ざざっと大勢の草を踏み分ける音が近づく。白いもやから人影が二組。北より才蔵と春竹たちに、東から弓月のものどもが戻ってきた。おびえたように震える淡宝のそばを通る。

「まだ泣いとる」

「こんなやつがここで、とって喰われぬのが不思議ぞ」

 構うなと、大瓦が目配せ。

「やれ、どうであった」

「いけども、いけども。知らぬ間に、戻っておるのです」

 弓月は辛い。

「まるで、狐か狸に化かされてる」

 才蔵はぶつくさ。

「まったくどうなっておるやら、訪ねようにもあれではの」

 ひそひそと坊主たち。

 立ってられぬのか、よろっと淡宝は松に寄りかかる。

「やいっ、なにか知らないのかっ」

 才蔵が胸座を掴み上げた。ぐにゃりと淡宝はしおれてゆく。

 怖や、怖や、ああ、あああ。

「ふん」

 ぽいと離す。

「始めは、むしろ威張ってたのに、霧が濃くなるにつれて、みるみる」

 春竹はため息をつく。どすんと、弓月が薙刀の石突で石が砕いた。

「らちがあかぬ。ならば大瓦房、宝林とやらを呼びましょう。あれなら、なにか知っておるやも。御堂から、とっとと連れ出しませぬか」

 声を荒げる。

「それは、もうやった」

「大瓦房」

 大瓦は苦いものいい。

「呼びにやったものが、戻らぬ」

 坊主どもは、冷やりとなった。

「それで、わしも寺へ向かった。ところがほれ、道がゆけば戻るのよ。あげく霧に呑まれそうになった」

 重苦しいものが、心にのしかかる。

「まさか、ここから」

 弓月がぶるっとなった。

「抜けられぬ」

 くっと、春竹は嘆いた。

「霧に呑み込まれたら、すべもない」

 才蔵は地団駄するしかない。

「なんだよ、こんなのあるかっ」

 と、大瓦が天を仰いだ。

「出おったな」

 弓月がうなずく。

「ぶちり」

 みな、息を呑む。

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