(一)道が消える
ぶるると痩せた馬がいななく。
どうどうとなだめ、再び山道を登りだす。馬の背には荷が山と積まれていた。それが崩れぬよう宝明寺の坊主たちが馬を引く。
「それ、俵がずれておる。奥の院まで、もう少し」
「馬を倒すまいぞ。この兵糧を谷に落とすな」
「ようやくの船ゆえの。しくじれば、わしらぶちりをやらされる」
「おどすでないわ」
騒ぐ坊主たちを尻目に扇をぱたぱた。
秀麿は涼しげに笑った。
「急ぐぞ。届けて早う降りねば、日が暮れては厄介」
細く急な山道。辺りはこれまた焦げたような木肌の木々が茂り昼なを暗い。ようように、石畳があり苔むした山門がみえてきた。その先にぴたりと固く門を閉じた寺がある。
端が反り、ひどく黒ずんだ屋根がのぞいた。
「やれ、もう少し」
「ふんばれ。まったく、ここはひとも馬も枯れよる」
馬を励まし門を抜けた処で、扇子がぱちりと音がした。
「先にいけ」
「おや。秀麿さまは」
「なに、道草。狐がおる」
えっと僧たちは辺りを見廻す。
「いいからいくでおじゃる。馬がへばったら、担ぐのはお前たち」
あっと声を上げ馬を引きずるように門へ向かった。しばし秀麿はたたずむ。
扇子をぱちり。
「ここまででおじゃる。伊賀の子狐」
山門の屋根からひょいと顔がのぞく。とんと下に降りた。
「さて、いつの合戦ぶりだろ、甲賀のひでり」
あっけらかんと才蔵。
「相も変わらぬの。その名で呼ぶもので息があるのは子狐くらいじゃ」
ほっほほと秀麿が笑う。
「みたところ、またひとり商いか。甲賀衆といえば群れたがるのに、ほんと嫌われとる」
ぱちんと扇子が鳴る。
「銭に好かれればよい。阿呆と組んで銭を分けるなど、まっぴら」
才蔵は小首を傾げた。
「その、やたら欲深なものが、なんでこんな処に。もっと京や難波のお大師のところが、おいしかろうに」
才蔵は心が躍っていた。
・・はてさて、乱波でも、とびっきり胡散臭いのが仕切る、このぶちりの厄祓いとは、なんだろうな・・おっかないのか、びっくりするのか、面白いのか・・
手の内に汗がじわり。
・・ねたが欲しい・・どんなねたがあるのやら・・でもねたは、ねたでないと手に入らないのが乱波・・おいらにねたはない・・そこを、なんとか盗れないものか・・
ほほっと秀麿。
「それは、こちらの台詞ぞ。子狐こそ、なぜ島におる」
「おいらは、厄祓いとやらで、たんと銭になると耳にした。そりゃつまんでみたい」
ぱたぱた扇子を仰ぐ。
「まろとて。ふうふういうて、忍び、刀を抜いて、なんてせぬ、せぬ。坊さんのお守りで銭が稼げるなら、それこそ、おいしい」
お歯黒が笑ってる。
さてどうしたものかと、おつむをひねる間に、ぴしゃりと一手打たれた。
「里は、もうないのう」
才蔵の眉がくいと曲がる。
「ああ、やられた」
扇子をぱちりぱちり。
「日の本の
その扇子がひらりと舞う。
「あの、百地の頭目もどこへやら。あとは、死人の山と焼け野原」
ぱちっと扇子を鳴らす。
「そうよ、あのあと、まろはましらと会った」
「ましら」
才蔵は苦いものいい。
「うふっ。その、ましら。百地がどこで拾うたか茶坊主。鳴きまねや声音がせいぜいのうすのろ。いや、とろいにもほどがある。口を叩くので組んでみると石垣はずり落ち、木の枝から転げ、堀で沈む。なにもせずに逃げるしかなかった。とんだお笑い。
そのくせ、あやつのようなのは媚びるのはうまいもの。おかげでこたびも、まんまと百地と逃げのびた」
「ぼんくらめ。さんざ、お役めとか、里のためとかいって、それでいざとなったら、おのれは、なんもかも放り投げて尻をまくる」
「なのに、ぼやきおった」
扇子がぴたと才蔵に向く。
「子狐、あの里の合戦に戻らなかったか」
さっと才蔵の血の気が引いた。
「やれ、またも里が攻められる。その知らせに、うんともすんとも。なにが霧隠れか、なにが指折りか、逃げたな、尻をまくったなと、うるさいうるさい」
心がぐらりとなるのをこらえた。
「子狐は、上忍なみのお役までもらっておる。それなのに、ふがいない。あのお役は、わしこそが、相応しいものであったとぼやく」
お歯黒が冷やりと笑う。
「子狐のお役。でも、そのお役ゆえに、足が向かなかったか」
才蔵は冷や汗がじわり。
「なんでも、間引きの役とな。使えぬ乱破を始末する。それこそ、ましらなら、ためらいもあるまい。ところが、それがひとの好い爺さまや、婆さま。さらに、こわっぱどもなら心が折れるの。しかし、命とあらば逆らえぬ。ひとは役に立たねば、生きてはならぬものなのか」
込み上げるものを、なんとか抑え込む。
「ゆえに」
ぱちりと扇子が鳴った。
「やらずに、やらせた」
「えっ」
きょとんと、才蔵はなった。
「しらばっくれるな。まろは見抜いておる。そのお役を、つまりは合戦にやらせおった。これで、手は汚さぬ、心も痛まぬ、背いてもおらぬ、まさに見殺しという策。やるのう。ただ、里まで間引かれるとはの。ほほっ」
もう、たまらない。
「やあっ、利いた風な口を叩くなっ」
怒鳴ってしまった。
冷ややかに見てる。やがて、扇子がすっと下がった。
「ゆれたの。なんぞお役めか、ねらいがあれば、その重荷ゆえ心はゆるがぬもの。とすれば、子狐よ。よもや、まこと酔狂できたのか」
才蔵はうつむくしかない。
・・やられた・・踊らされた・・ねたがないのが・・ばれた・・
みるみる白塗りの顔がつまらなさそうになってゆく。
くるっと背を向けた。
「おさらば」
くそっ。涙がこぼれる。ふと、ゆきかけた足が止まった。
「なれど、子狐もけっさく。よい、ねたをひとつくれよう。なにも知らぬなら、知らぬうちに島から去れ」
ふっと、声音が沈む。
「闇に、あれがおる」
「あれ・・」
はっと顔上げたとき、そこに秀麿の姿はなかった。
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