(三)墨島

 ごおん。ごおん。

 まだ夜が明けきらぬうちに寺の鐘が鳴る。

 ぞろぞろとねじり鉢巻きに槍、はや太刀に手をかけたものどもが湊に集まった。

 宝明寺の坊主が呼ばわる。

「さて、これより海を渡る」

 おうと声が上がった。

 ひょこり。

 そこへ、白衣の狩衣に袴という宮司姿の男が出た。

 なよっとした胡瓜きゅうりのよう。

 老けている。やや小柄な背丈であった。

 髪を後ろでちょんと結び、瓜つらを白く塗りたくる。

 額には眉をぽんぽん。小さめの目玉がにっと弧を描く。鉤鼻の脇に黒子がひとつ。薄い唇から除くはお歯黒であった。

「こたび、明海和尚より采配を任された、秀麿ひでまろでおじゃる。みなの衆、よいかの」

 おおっとみな顔を見合す。

 ただ、才蔵はこめかみがぴくりとなった。

「その名を墨島と呼ぶ」

 やれ、のぞめるやと、秀麿は海をみやる。

「ここより四里ほどかの。ちょうど淡路の島より、やや小ぶりの島でおじゃる」

 扇子をひらりと、島を空になぞる。

 なにをするもくねっていた。

「島は山が三つ。どんぶりの山を後ろに、手前に椀の山。右手にも椀の山のである。よって手配りは三方からの山狩り。一手は手前の椀から、どんぶりへ。一手は右手の椀から。もう一手は裏からどんぶり。みなの衆、どこから攻めるかは船を降りるまでに決めおけ。狩りは早いもの勝ち。なお、兵がばらつかぬよう、偏るおりにはくじとする。よいか」

 みな異論はない。

「なお、憑きものはどんぶり山の上にある奥の院にて封じる。それでぶちりの証となる。褒美が出ようの」

「采配どの」

 太蝦蟇のだみ声。

「ひとつ聞く。その、逃げた獣はなにか。猪か、熊か、それによっては武具を変える」

 宝明寺の坊主がしかめっつらで寄ってきた。

 ひそひそり。しかし秀麿は涼しげに扇子をひらと扇いだ。

「このごに及び、いまさらじゃ」

 瞳が冷たく笑う。

「それはの、獣にあらず」

 おおっと、どよめいた。

「そも、奥の院での儀式のおり、手違いがおきた。放ちの猪がふいに暴れての、客人の山伏がなぶり殺した。それで憑くものが、そのまま山伏に憑りついたのよ」

「なんと、ぶちりは、なのか」

「まさに。なれど侮るな。もう、どれほどの、ぶちる役のものが死人となったか。ゆえに、あれは、ひとというぶちりである」

 うむと、うなるものども。

 ちらほらと顔が渋くなるものもいた。

「なに、つわものたちよ。おぬしらなら、とったかみたか。それで褒美なら、楽なものでおじゃる。あの、金の御札も振舞おうぞ。はげめ。さて、最後に」

 ひらひらと扇子が招く。

 おずおずと、やたら包帯を巻いた坊主が出てきた。

「宝林房でおじゃる。ただひとり戻られたお方。こたび、ぶちりにて死人となったものの冥福を祈り、かつ厄除けも祈ると、島に渡る」

「おう、骨のあるの」

「たんと祈ってくれ」

「坊さま、ぶちりをみたか、どんなつらぞ」

「鬼でも憑いたか」

 周りは口々に騒ぎ出した。ぱんぱんと宝明の坊主が手を叩く。

「さあ、さあ出発ぞ。船に乗れ」

 ちらと鈴々。

「どうしたの才蔵。おっかない顔をして」

「いや、まさかの、ひでり」

「えっ」

 鈴々は空を仰いだ。

 ふっと、才蔵に苦い笑みがあった。

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