(一)墨島

 翌朝はからりと晴れた。

 鈴々がひとり茶漬けをかっこんでいる。

 向こうでは、まだ大いびきの才蔵。

 応宝寺のものたちは日の出に起きると、さっと水を浴び朝日に向って経を唱えた。ただちに用意の粥をすませると握り飯をこさえ出す。

 はっと起きた鈴々は手伝おうとするも春竹は首を振った。

「島のこともある。二人は今日は休みなされ。気晴らしに湊の町へゆくもよい。なれどなるべくそこの、いびきどのとがいいでしょう」

 そのまま宿を出ていった。

 ふうと鈴々。

「よし、それなら」

 そっと才蔵にあかんべえをして外に出る。糸瓜の爺さまと茄子の婆さまは畑なのか姿はなかった。

 田んぼを抜けて林の脇を通り道を下ってゆけば湊町へ入る。けばけばしい町並みがずらり。ただ唐かぶれの店々は朝の光にくすんでみえた。店先には酔いつぶれたものがちらほら。なんともぶざまであった。

 てくてくと、町並みから石段へと登った。

 はたして、宝明寺の門は開き朝の読経をしている。集まるひとの列にまぎれ境内へゆき、そのまま本堂へ上がった。

 居並ぶ黄色い袈裟の坊主たち。ただそこに唐の客人らしき姿はなかった。

「いないか、道家の坊さま」

 本堂をそろりと下りて、境内を掃くものにそれとなく尋ねる。首をひねるのがせいぜいであった。なら、こんどは本堂奥へゆき、明海とやらに会えぬものかと足を向けたところで肩を掴まれた。

 どきりと振り向く。

「やめな」

 才蔵がいた。その顔に笑みはない。

 くいと目配せする。

 鈴々がそっとうかがうと、木や柱の影からのぞいてる。ひとりふたりではなかった。

「戻ろ」

 うなずくしかなかった。

 足早に石段を下りる。つけるものもいたが才蔵が鈴々の手を引き、あちらこちらと店を巡ってまんまとまいた。

 ほっと息をつく鈴々。冷や汗がたらたら流れる。

「助けてくれたの」

「糸瓜爺に起こされ、茄子婆が娘がひとり歩いてったというから追っかけた。どこへいったとみたら、まったく、ひと足遅かったらどうなったやら」

「あ、ありがとう」

「う、うんっ、こっちも」

 才蔵は鼻をぽり。

 あっ、船のこと気にしてたのねと、鈴々は笑みを浮かべた。

「それにしても、あのひと癖もふた癖もある寺へなんでまた。誰か捜してるの」

 鈴々がさっと曇った。

 ためらいにゆれる。

「唐の、唐の坊さまに会えたら」

「道教とやらの坊主かい」

「えっ」

「鈴々もそこの娘だろ。阿国姉さんは前から気づいてたみたいだけど」

 血の気が引いた。

 才蔵はこきりと首を鳴らした。

「もう聞かない、そっからは。それが一座の流儀」

 鈴々はそのままうつむく。

「いえないものは、いえないな」

 才蔵がくっと唇を噛む。

「おいらも、そうよ」

 口が強張った。

「さ、才蔵」

 苦い顔でそっぽを向く。こういう才蔵は初めてだった。

 鈴々は冷やりとなった。

「もう、やめよう。いわないことは、いわない」

 ぺっと才蔵は唾を吐く。

「昔のこった」

 声が震えてる。

「あっ、あたしも聞かない。それが流儀」

 しかし、才蔵はふり切る。

「おいらは、おいらはそう、戻らなかった。それだけだ」

 しぼり出すものいい。

「も、戻らなかった・・」

「そうさ。里に、尾張の兵が迫るのを知っていながら」

「でも、それは」

「いいや、おいらを甘くみるな。前に攻めてきたときなんか、さんざ遊んで追い返してやった。おいらは強い、そうさ、間引きの役がきたくらいにな」

「ま、まびき」

「どうだっ、すごいだろ」

 鈴々は話についてゆけない。胸がどんどん鳴る。

 ・・これは・・才蔵の心のよどみや悲しみが吹き出そうとしてる・・

「ねえ、まびきってなに。もう、わからない」

 ふつふつと沸き上がる。

「乱破のなかでも強いってことさ。そうさ、おいらが戻れば、戻れば」

 その瞳から涙があふれた。

「里はつぶされたっ、口の減らねえ爺さまに鍋のうまい婆さま、どじだけど可愛いわっぱども、みんな、みんな、どっかいっちまった」

 嘆きが心をびりびりにする。

「おいらは、おいらはな、みんなを、み、見殺しにっ」

「やめてえっ!」

 ぺんと、鈴々が才蔵のほおを叩いた。

「もう、やめて」

 はっと才蔵。そこに涙いっぱいの鈴々がいた。

「らしくないっ」

「あっ、ああ・・」

 才蔵は、気恥ずかしそうにそっぽを向く。

「わるかった。みな忘れてくれ」

「うん」

 ふううと風が流れた。

 鈴々は指さす。

「あの、そのお店で買ったのなあに」

 ぷらんと、やや大ぶりの巾着が腰にゆれる。

 ほれと巾着の口を広げた。

「塩やら胡椒なの、あと素焼の碗か。あら、その包み、あたしの辛子入りの粉薬」

「階段に落ちてた。嗅いだら辛子、使えるってな」

「使える・・」

「鳥の子とか、ほうろくとか呼ぶもの、つまり煙玉をこさえるの」

 鈴々は手を打った。

「ああっ、あれね、虫退治の。そう、島でもぞろぞろいそう」

「それもあるけど、そうだ、これって、ちと面倒なのさ。鈴々手伝えよ」

「なに、えらそうに。いいけどあたしのお代は高いわよ」

「銭取るのか」

「鈴屋ですもの」

 いつもの二人に戻っていた。

 仏頂面で才蔵が歩きだす、そのあとを離れないよう鈴々が続いた。

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