(二)応宝寺の坊主たち
「なめるな。下手ないかさましやがって」
どっぷり酒に酔っただみ声が飛んだ。
砕かれた茶碗、転がるサイコロ。床には、ひとが三、四人のされて転がっている。
さびた胴丸に剥げた鞘の脇差ひとつ。いかにも足軽くずれが目玉をむいている。血の気の多そうな猪づらだった。
「鬼の猪といわれた、わしを怒らせたらどうなるか、みやがれ」
血に赤く染まったひとりを蹴り上げた。
「まずは、銭を倍で払え」
ぶるぶると震える。
それをひとの背越しに、鈴々は見ていた。隅で船酔のものを介抱していたが手早く道具を仕舞う。
「君子、危うきに近寄らず」
そろりと場を離れ、階段と見廻したのがまずかった。蹴られたものの目に止まった。
とたん、そいつは叫ぶ。
「あっ、あれでどうだ。あれはわしの娘ぞ」
「え、えっ」
鈴々の道具入れの葛籠が落ちる。
「おっ」
猪づらがゆるりと向く。
「な、なに、そんなひと知らない」
そいつはけけっと笑った。
「なら質草にする」
「へい」
猪づらはにたあっと笑う。歯抜けが不気味だった。
「いや、やめて、ちがう、ちがうの」
そこに聞く耳など無い。
鈴々は葛籠を急ぎ拾い、猪づらをするりと抜けようとする。そこへ、足を掛けられ転がされてしまった。
「こりゃ、めんこい」
「やめて、あっちにいって」
ぶひぶひと、においを嗅いでくる。
「喰らいたいの」
べろりと舐めてきた。これは本当に喰らいつかれる。鈴々は冷えを抑える辛子入りの粉薬を葛籠に手を入れ探った。こういうときに出てこない。
「ぶつけられたらいいのに」
泣きたくなる。
「めんこいの、その白い腕をかぶろうか、足をかぶろうか。いやあ、よだれが垂れる」
猪づらの酒臭い息。鈴々はしやがみこみ、目を閉じる。
「いやあっ」
ぱんと音がした。
ぴくっと目を開けると前に白い足袋がある。そして、尻もちをついてほおをなでる猪づらがいた。
「そら、邪まな酔いはさましてやったぞ。なら娘はいらぬな」
すらりと細面の僧がひとり立っている。
「あの袈裟は」
鈴々には覚えがある。鎧こそないが絵巻物といわれた僧兵たちのものだ。
「こちらに酔うたものがおる。はよう頼む」
まさに仏であった。
「は、はい」
裾を払い、そそくさと立ち上がる。
「ま、まてや」
猪づらは鼻息がぶひぶひ荒くなる。
「こいつはな、そこのやつの娘で、わしの銭の形だ。やらねえ」
「愚かな、銭の形など親にあらず」
そっと伸ばす手を鈴々は握ろうとする。
「やろうっ」
猪づらが掴みかかった。するとあっけなく押し倒された。
「あっ、お坊さま」
猪づらは馬乗りになった。
「口ほどもねえ」
「ひかえよ。無礼もの」
「うるせえ。さあ、念仏となえろ」
拳をふり上げた。と、その猪づらがぐわっと歪んだ。
「あいたっ」
上げた腕がひねりあげられている。
「これしきの外道でなんとする」
「大瓦房」
弁慶づらがそこにあった。そして、ひねりあげまま猪づらをひょいと持ち上げた。猪づらはなすすべもない。
「往生」
そのままぶんと投げる。ごろごろと転がり、あげく壁にぶちあたってのびた。こきっと大瓦は首を鳴らす。
細面のものは立ち裾を払う。鈴々も一緒に払った。
「いや、すまぬな」
「いえ、助けていただきました」
やや、ばつがわるそうに笑う。
「わたしは
鈴々には願ってもない助け舟となった。
「喜んで。鈴々と申します」
春竹はにっこりと笑った。
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