第二章 おだぶつの秀麿
(一)応宝寺の坊主たち
「唐は道教の坊主とな」
みゃみゃとかもめが二羽三羽と飛んでゆく。
ひょろりとした坊主が首をすくめた。隣のでっぷり坊主もあごに手をやる。
波がやや荒れる。ゆるりと船は傾いた。
鈴々はひしと縁を掴む。
「で、では、唐からのお客人というのは。宝明寺におられると耳にしました」
ひょろりが眉をぴくっ。
「娘よ、なぜ知りたがる」
「あ、あたしは商いで漢方を扱おうております。その学びになればと」
でっぷりが鼻で笑う。
「なるほど、商いか。なかなか抜け目がないのう」
鈴々はきゅっと口を結んだ。
ひょろりは冷やかに笑む。
「なんの、強かでのうてはここにおれぬ。はげめ、はげめ」
なんとものれんに腕押し。
鈴々はぺこり頭を下げ背を向けようとした。ふと、ひょろりがぼそり。
「うむ。唐の客人なら、ちらほら」
でっぷりも続ける。
「されど、そのものたちは、もう宝明寺には居らぬ」
「えっ」
「厄祓いに呼ばれたのよ。ならば島の寺の奥の院か」
「で、では奥の院へゆけば」
ひょろりは渋い。
「はて、どうであろう。あそこは我らも詳しいことは知らぬ。門も食いものを運ぶおりにしか開かぬきまり。わざわざ山の奥へ登ったところで、その坊主に会えようか」
「そも、たどり着けるやら」
えっと鈴々。
「これ」
でっぷりは、これはしたりと舌をぺろり。
「いや、いらぬことを」
「あのう。それは」
どんどんと荒々しく船蔵からひとが上がってきた。
「また、酔うたとよ。手を貸せ」
「ほれ、娘。ゆけ」
「はげめ、はげめよ」
「は、はい」
鈴々は煮え切らないがゆかねばならない。
ぐらり、またゆれる。
あっと縁をつかみ、小さく舌打ちした。
「もうっ、あのばかたれ狐はどこっ。あたしひとりがきりきり舞い」
その船の穂先で人影があった。
えっくしょんと、くしゃみをひとつ。
「ちと寒いか」
へらへらと才蔵は笑った。
青い空に雲がゆるゆると流れてゆく。
風が冷たいのがむしろ心地良かった。そのままうとうとしたとき、がしゃりがしゃりとうるさい音がする。
「なんだい」
いささかむっとなった。
とんと蜻蛉を切って甲板へ降る。みると大鎧を三つも四つも置き布でぬぐう大柄の僧がいた。大汗かいて、ふうふういっている。その手際の悪さに、なおいらっときてしまう。
「あんた、あの薙刀のものかい」
「あっ、ああ」
のっぺりとした返事。丸い顔に目も鼻も丸い。にたっと、その笑みも丸っこい。
「なに、その下手な・・」
その才蔵になにか、引っかかった。まじまじと見つめる。
「な、なんだ。おらになにかあるか」
「あ、あっ・・」
はっとなった。
「うわっ、まさか、村祭りで相撲やってた豊乃山じゃねえか」
「あや、うれしい。知ってるのか」
なおも丸い笑みになるその胸元を、とたんに才蔵はぐいと掴む。
「な、なにする」
「ふざけんな。やい、銭を返せよお」
「ひぇ、なんのこと。おらは、おめえなんか知らねえ」
「うるせえ。おめえの一番に賭けてな、こっちはすっからかんになっちまった」
「そっ、そんなこといわれても」
早や、うるっとなる丸顔に手を離した。
どんどんと才蔵は地団駄。
「むかつく。あれは河内の祭りか。前の日たまたま稽古を観ちまったから、稼ぎを叩いたら、ころりってどういうこと。下手はおめえと猿飛のおたんこに大笑いされた」
丸めた頭をぽりと掻いている。
「豊乃山。なんで、あそこで踏み込まない。ぶちかませねえんだ」
「え、えっ」
「その、でけえ図体のくせに、ちっとはこらえろよ」
しおしおと小さく丸くなる。
寂しい笑いがあった。
「まいどのこと。おらはどうにもおっかない。それで、いつも尻すぼみ。もう相撲にならないと土俵を下りた。親方がせめて喰えるように寺に入れてもらったけど、そこでも盗人を前に腰抜かして、とどのつまりは厄祓いしろってなった」
才蔵がうむっとうなる。まん丸はさらに小さくなった。
「おめえ」
「みんな、でっかい鏡餅って笑ってる」
「おう、ならめでたいじゃないか」
「ええっ」
「餅でも、大福でもいい」
ずいと才蔵は寄った。
「いいかっ」
真っ直ぐに瞳を見る。
「この目に狂いはない。おめえは強い」
「えっ。そんな、勝手な」
「やかましい。おいらはおめえにっ」
「・・・」
「賭けた」
ふと、才蔵の瞳から熱いものがほろり。
「踏み込めよ。その一歩っ」
「お、おめえ」
「あんなにも稽古してたろ」
「それと、土俵は」
「違わない。やれるものは、やれる」
もう一度、その胸元を掴む。
「込められる」
その丸い瞳もうるうる。
「そら、ぶちかまし」
「えっ、ここでっ」
「やってみな。そして、土俵に戻れ。おいらはまた賭ける」
ぐすっと丸鼻をすする。
「おめえはなんていう」
「才蔵」
「そうか、おらはいまは、豊春」
「坊主はどうでもいい」
「えっ」
「ここに居るのは豊乃山」
豊春はこくりとうなずいた。
そこから甲板は稽古の場となった。
ねじり鉢巻きの豊春がどんと帆柱にぶつかり、てっぽうを放つ。しばしのあと引いてまたぶつかりてっぽう。よい汗が飛んでいた。
そばで、親方づらの才蔵が観ている。離れて、でっぷり坊主とひょろり坊主も観ていた。
「やれやれ、ぶちりの備えは船を降りてからにしてくれ」
ひょろり坊主は苦い笑い。
「なに、船蔵よりましじゃ」
その船蔵では、押し込められたものどもが荒れていた。
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