(四)邪鬼あらわる
がらがらと積み重ねた戸板が崩れて、大きな音をたてた。炎のなかにひとらしき黒焦げのものがのぞく。三つ、四つとあった。咽るほどの臭いにおいが広がる。
いらついてきたのか、浜安がわめいていた。
「おまえら、いつまで林におる。そら、酒だ、女だ、早くもってこい」
まげは切ったか、ざんばら髪で目玉はぎらつき、小ぶりな丸鼻に口元はぐいとへの字。ほおはこけて、青白いつらをしている。
なるほど、邪鬼を描けばこうかもしれない。
浜長は苦りきった。
「いっそ、叔父どのを呼ぶか。あそこは鉄砲がある」
「いや、あの叔父はくせもの。あとで、どうねじ込まれるやら」
浜守のひとことに、浜長はむうとうなるしかない。
そこへ、間八が戻ってきた。
素焼だがそっくりな首長の瓶を二つ抱えていた。小粒金は浜守が懐から一つ。
浜長が目を丸くする。
「はて、巫女のまじないか」
阿国はにっこり。
「はいな。鬼をくらくらさせるもの」
浜長も浜守も白鈴も首をひねる。
と、わああっと幼子が泣き叫んだ。はっと屋根をみると、浜守が子供の頭を鷲掴みにしている。その眼は赤く血走っていた。
「そうか、兄じゃらがおるのか。いざとなれば、どっちつかずのへっぴり腰の兄じゃらがの。それで腰が重いのなら、その腰を蹴ってくれる」
げしげしと瓦を蹴った。
「兄じゃら。そうさな、酒は灘の酒がよい。女はほれ、京は高砂屋の白菊を呼んでこい。とっととせねば、首のないわっぱが屋根から落ちるぞ」
その子の母であろうか、ひいっと声をあげて倒れた。
いよいよ、浜長も浜守も追い詰められた。村のものは息をひそめて二人を見ている。
「さ、酒か」
浜守があたふた。
はっと山休が腰に下げた瓢箪を出した。
「祝いの濁酒です。灘とまではいきませんが、値の張るものゆえ、これでなんとかなりませぬか」
うむと浜長が受けとった。
「酒はよいが、よりによってあの、京でも名高い遊郭の高砂屋とはの。ふっかけおって。それに、白菊とな」
狛犬眉がハの字になる。
「いや、もしや、前に店の前を浜安を連れ通ったおりに、それはあか抜けた娘どもがわらわらと。御ひいきにとあいさつ」
「そのうちの、ひとりか」
「おそらく。なれど、おいそれと遊べる店ではないゆえ、焦がれておったのやら」
浜長と浜安は、なすすべが見当たらない。
おらあっと、また叫びがあった。ざくり、と子の髪をむしった。
「どうした、灘の酒はあ、白菊はあ。こぬなら、三つ数える。いいか、ひとおつ」
血塗れの太刀がぐいと上がる。
「兄者っ」
「こうとならば、矢を放て。童はやむえぬ」
阿国がずいと、出る。
「早く、これに濁酒を」
二つの瓶を浜守に渡す。
屋根では、これみよがしに数えている。
「ふたあっつ」
とくとくと瓶は満たされた。それを下げるや、阿国はふらりと出てゆく。
あっと、浜長も、浜安も白鈴も止める間もない。
「みいっつう」
阿国が林からひょっこり。
浜安はおや、となった。
「なっ、なんだ。尼に用はねえ」
その白い頭巾をひらりととる。黒髪がふわりと風になびいた。
「戦の場ゆえに、この成りでね。あたしは、高砂屋の阿国」
「なにっ」
浜安の目が丸くなった。
「御ひいきのあいさつと、勝ちの祝いに陣に参れば、はて、なにがあったやら」
ぬけぬけと、阿国は笑ってみせる。しんと、林のなかは固唾を呑んでいた。
お、おまえと浜安の声がうわずる。
涼しげに阿国は境内をゆく。
「戦は心を痛めつけるとか。ならばなぐさめるのが、あたしらのつとめ」
屋根の端には大きな梯子がかけられていた。
「ひょっ。や、やるのか、床遊び」
「あたしで、いいかい」
そのつらが、くしゅっとなって浜安は飛び跳ねた。
ゆるゆると阿国は梯子を登ってゆく。林では浜守がはらはら。
「なにか、あるのか」
白鈴は答えようもない。
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